寂光山 龍口寺の御首題
▼龍口寺の御首題です。
「龍口寺」は「竜口寺」と表記される場合もあります。
右上の印は「日蓮大聖人龍ノ口 御法難之霊跡」、
中央の印は「片瀬 龍口」。
寺名は音読みの「りゅうこうじ」ですが、
「龍口」はまた「龍ノ口」と表される地名は「たつのくち」と読みます。
▼今では一段と人気で賑やかになった江ノ島周辺ですが、最寄駅は3つ利用できます。
▼龍口寺は日蓮没後の1337年「龍ノ口法難の霊跡」として日蓮の弟子日法が「敷皮堂」という堂を建立したのが始まりと伝わります。
「敷皮堂」とは法難時に日蓮が足元に敷いていた敷皮を安置した事にちなむそうです。
また「霊跡」と言うのは、日蓮の重要な遺跡や歴史的な沿革を残す寺院を霊跡寺院、由緒寺院と呼んでいます。
霊跡寺院は誕生寺や池上本門寺など14寺、由緒寺院は40寺以上あります。
さらに総本山である久遠寺を「祖山」と呼び、その下に「大本山」「本山」と続き、
ここ龍口寺は本山、霊跡寺院という立ち位置のようです。
そして「法難」とは仏教界全体や各宗派、あるいは仏教者個人が受ける迫害や弾圧のことを言います。
▼ここ「龍ノ口」は鎌倉時代の刑場のひとつでした。
その刑場で1271年、日蓮が処刑されそうになっています。
直接は日蓮が国家平和、民衆救済を説いた「立正安国論」を鎌倉幕府に奏上したものの、政策を中傷するものと怒りを買ったことが原因です。
▼ところが、龍ノ口刑場で日蓮が斬首されそうになると奇跡が起きました。
処刑の直前、江の島の方から稲妻が飛んできます。
斬首役人の目をくらませ、処刑に使われる刀が折れたとも伝えられています。
結局、処刑は中止になり、龍口寺境内には連行された折に日蓮聖人が一晩を過ごした土牢が今も残っているそうです。
日蓮は他の宗教者に比べ数多くの弾圧、法難を経験したようです。
「日蓮四大法難」というのは伊豆、小松原、松葉ヶ谷、そしてここ龍ノ口法難です。
そんなドラマチックな生涯だった日蓮はドラマにしやすかったのでしょう。
1958年に「日蓮と蒙古大襲来」、1979年に「日蓮」がスペクタクル時代劇大作映画として製作されています。
もちろん、日蓮の法難は後に尾ひれが付いた部分や創作的な部分もある伝説と分かっているものの、ネットや書物、ドラマなどで何度も見聞きしているうちに、
あたかも真実のように理解してしまいそうになるのは何ともコワイ話です。
▼龍口寺を出て、すぐ北にある「常立寺」に寄ってみました。
ここも龍の口刑場で処刑になった人々を弔っているそうです。
梅の季節には多くの観梅客が訪れるそうですが、訪問日は空っぽ。
寺の方も声をかけれど反応なしでした。
龍口寺、常立寺を参拝したのは御首題の日付にあるように2013年。
龍口寺でも上掲の写真のように、ほかの参拝者に会うことはありませんでした。
確認はしていませんが、2022年現在では有り得ない各境内の様子かもしれません。
再訪したいと思っている寺院ですが、儘ならぬ予定なので記事にしています。