結局、前回記事ではこれが言いたかったのですが、
脱線転覆!したので今回は前進あるのみ!
本門寺では若いお坊さんにもかかわらず、本当に親切で優しかった。
「御首題専用にしますか? 」
「はい!」
「では表紙も記入しておきますね」
「ハイ!」
「1ページ目は菩提寺さん用に空けておきますね」
「お願いします!」
「ありがとうございました」
日蓮宗でもないワタシだから、この御首題帳の1ページ目は永遠に空欄、永久欠番。
これでイイのです。
いただいた御首題にも「参拝」とあるんだもの「参拝記念」なのです。
キンチョーする必要は全くなかったのに、何事も初体験はカタクなるわ。
1ページ目を空欄にしておく自分のことをインチキと感じていたワタシも、
このあと少しは日蓮さんについて知識を得ます。
今やインチキとも思わずに、ご本尊に向かって題目を3回唱えます。
経験から感じるに、総じて日蓮宗のお寺ではたいへん丁寧な対応をしていただけることが多い。
本堂を開けて「どうぞ、お参りください」とたびたび案内していただくことも多かった。
しかし、そんな案内を寺側はどう思っているのかしら?
ワタシたちを相手に「この方は日蓮宗?」「若いのに熱心!」「本山を巡ってるのかしら?」
当たり前に様々な疑問を持たれます。
「日蓮宗ですか?」と問われることもあるかもしれない。
イエスかノーか、はっきり言えば良い。
ワタシの場合は「ノーですが、興味はあります・・」
帰り際はご住職夫婦揃って見送られ、テレるじゃないの!ということもしばしば。
もちろん極端な例外もあり「押し売りがやってきた」かのごとくの対応で、
御首題をいただくどころではない寺もありましたが、
そんな時は「ご縁」がなかったと、サッサと忘れましょう。
そういう寺は、お互いそろそろ忘れたところで、またシツコク訪れます。
くじけていられません!
初御首題をいただいた本門寺ではキンチョーしてた「蚊」が「蛾」になっていました。今やここまで成長?している?
向こうも忘れている、もしくは断られた最初の方とは別な方の対応であると、
御首題をいただけた時もありました。
しかし、2回目もいただけないとガッカリ度も高い。
3回目もダメだと「蛾」も粉振りまいて挫折だ、根性なしです。
もともとタマなしです。1、2年インターバルを取ることにします。
さて、最初の本門寺での「キンチョー御首題」から1年半。
その御首題帳が全部埋まった。もちろん1ページ目は永久欠番で白いまま。
片面使用だから、ワタシが予想していたより早く埋まってしまいました。
で、2冊目の御首題帳を池上の日蓮宗新聞社直営ショップで求めました。
この時はまだ御首題は専用のものにしておこうと思っていました。
さて、新しい御首題帳を持って、本行寺に向かいました。
「最初のページは空けときますか?」尋ねられました。
「いいえ、2冊目なので・・」
1ページ目に揮毫いただきました。
▼日蓮宗本山 池上 大坊 本行寺の御首題。(東京都大田区池上)
御首題は専用にしようと思っていたのは5年前のこと、今はもう変心しています。
専用でなくともヨイ。他の宗派と混在でかまわないどころか、神社と一緒になってしまっていても構わないことにしています。何ら問題ないのです。
なかには混交だと断られる場合もあるかもしれませんが、ワタシは経験していません。
あえて混交にする必要はないのですが、人それぞれの考え方でいいのでしょう。さらに言えば、昨今は寺社側が「よく理解している」ということだと思います。
もし「他宗派、神社が同居している御朱印帳には御首題は書けません」と言われたら、そんな寺の御首題は諦めれば良いのです。
日蓮宗の中にもたくさんの分派があります。
さらに当たり前ですが寺の数だけ対応は異なります。
まぁ、数多く経験すると見えてくるものもあります。
失うものは何もありません。
もちろん「御首題専用」にしておくことは「ブナン」に間違いありませんが・・。
そして、くれぐれも礼儀は怠らないように・・・。
▼日蓮宗総本山 身延山 久遠寺 奥の院 思親閣の御朱印(山梨県南巨摩郡身延町)
2014年に身延山 奥之院 思親閣で求めた「帳面」の1ページ目。
これは「御朱印」でしょうねぇ。
この先のページは御首題が続いています。
まだ相当空きページがありますが・・。
昨今は御首題を求める人も多くなっっているでしょうから、
もはや寺院側も「最初のページは菩提寺用に・・云々」は言葉に出さないかもしれないね。時世時節ねっ!
せっかく寺院側が御朱印に対してオープンな状況になりつつある中、ワタシたち御朱印、御主題を求める側もオープンでなければ、正直でなければならない、今です。
思親閣から富士山を眺めていると、細かいことはどうでもよくなります!