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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

下谷七福神の御朱印【7】 〜元三島神社 七福神ゴールはラブホ街を抜けろ

三島神社御朱印

もとみしま じんじゃ主祭神大山祇命(東京都台東区根岸1-7-11)

 

 

三島神社 下谷七福神 寿老神御朱印(2024年)

三島神社 下谷七福神 寿老神御朱印(2013年)

三島神社御朱印(2017年)

御朱印は石段を上がった先の狭い境内左手の社務所でいただいた。

駅近の神社ということでもあり七福神巡り以外の参拝者も多く、今回、1月7日の下谷七福神巡り中、この神社が一番のニギワイだったように思う。

 

初詣で有名な寺院もあるものの、やはり「初詣=神社」というのが一般的通念だろうから、1月中の神社の賑わいはどこも同じかもしれない。

 

無住の小さな神社でも同様かもしれず、それと比較すると寺院に詣でる人は少ない。

 

神に手を打つか、仏に手を合わせるか、その場所と形は違えど祈る気持ち、願う気持ちは同じなのだろうが・・。

 

▼元三島神社はJR「鶯谷」北口からスグ。

鶯谷」は、その文字を読めても正確に書ける人は少ないかもしれない。

さらに山手線で降りた経験、利用したことのない駅のランキング上位にある。

もっとも山手線の内回り、反時計回りで上野から池袋間の駅名を正確に言い並べられる人は少ないはず。

 

▼そんな名誉ある鶯谷駅の北口。山手線の駅とも思えぬ眺め。

三島神社に直接訪問する場合は、この北口を利用すれば、もう神社は目の前。

しかし今回は下谷七福神を三ノ輪方面から巡っているからこの駅は利用しない。

 

直前に参拝した入谷鬼子母神から寺院前の道を北へ向かう。

▼「鶯谷駅下」の交差点を左に見ながら言問通りを進む。

坂上の先が鶯谷駅南口になり上野の山、高台へと続く。

その高台から見て、ここは下の谷「下谷」なのだが、本来の下谷上野広小路あたりだったらしい。

いずれにしても江戸時代以前は広大な沼沢地だったのだろう。

 

言問通りが高架になり、尾久橋通りと別れる交差点というややこしく、高架の圧迫感があるせせこましい場所に社号標が建つ。

▼社号表の右の細い路地が参道となるわけだが、路地の先はホテル街。

ラブホ街ではあるが、鶯谷駅北口に続く道でもあるので人々が多く行き交う。

▼神社入口前の細い通りもラブホが林立。

東京でこれほど多くのラブホに攻められている神社は他に知らない。

ラブホ街近くに鎮座と言えば新宿の花園神社、湯島の妻恋神社などが思い浮かぶが、ここほどではない。

 

▼一の鳥居の先の狛犬は、子獅子が今にも落ちそうにしがみついている。

▼手水舎は簡素で好感。竹筒の先から水がチョチョロのスタイルが定着。

▼手水舎を正面から撮ろうとしたらステキな欧米の女性とバッティング。

「ソリー!」の言葉と笑顔ですれ違う。

ヨーロッパ人らしい女性二人だったが、それにしてもこの神社に参拝ですか?

ガイドブックに何か特別なご利益などが紹介されているかもしれない。

 

当社は鎌倉時代の弘安年間の創建。

今治市大三島にある大山祇神社から大山祇命が勧請されているが、その神社は江戸時代に下谷金杉村へ移転が命じられ、さらに浅草寿へ移転させられている。

後にそれぞれの跡地に「三島神社」「三島神社」として創建されている。

浅草の神社は「本社三島神社」「寿三島神社」などと呼ばれている。

 

ということで台東区には三島神社が3社鎮座することになる。

 

玉垣に刻まれた「笹乃雪」は創業300年以上の豆腐料理の老舗。

七福神の「寿老神」は社殿内なのか確認できないが、主祭神とともにあいさつ。

と思ったが、この記事を書いているときの写真整理で「寿老神」の居場所がわかった。

▼この写真の右下。かすかに寿老神の文字と姿が見つかった。

次回はこの位置を意識して参拝しよう。

 

▼社殿の位置は高台にあり、上野山からの高台の延長線上先端になるのかも。

▼帰り道は鶯谷駅の北口と南口を結ぶ線路沿いを歩く。

何ともそそられる呑み屋が続く。しかし七福神スタート地点の吉原に車を駐車させている。立ち寄るわけには行かない。

▼もう一度ラブホ街に入り込むと公園の一画に喫煙スポット。

車だからアルコールは飲めないがケムリは吸える。

スモーキングブギして下谷七福神終了!

 

 

wave2017.hatenablog.com

 

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