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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

幸國寺の御首題(東京・新宿区)〜「布引祖師」と呼ばれる「江戸十祖師」のひとつ

▼正定山 幸國寺の御首題。(日蓮宗/東京都新宿区原町2-20)f:id:wave0131:20220311182305j:plain

朱色の印は「江戸十祖師」「厄除 布引祖師 奉安」「正定山 幸國寺」です。

墨書きは易しく、御首題をいただいた経験者は読めるでしょう。

 

御首題は2016年、ご就職らしき年配の男性に浄書いただいたものです。

 

その1年後の2017年、当寺のHPが新しくなり、現在はFBやインスタなどのSNSも駆使されています。

 

失礼かもしれませんが、当ブログが御首題をいただいた際のご住職は、とてもとてもSNSを使いこなし、情報発信できる方のようには見受けられませんでした。

 

おそらく2017年前後にご住職が代替わり、あるいは人事交代があったのでしょう。

 

そして墨絵、イラストを交えた御首題が授与されると言うことで「幸國寺」の名称はネット上で一時賑わいを見せていました。

2022年現在はイラストなど内容的に同種の御首題を授与する寺院が多いせいか、いきなりトップに出てくることはないようです。

 

授受双方の姿は常に変化しているのでしょう。

 

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▼当寺は地下鉄「牛込柳町」からスグの位置にありますが「大久保通り」から一歩奥まっているので目立たない場所に門を構えています。

近くの「市谷柳町」交差点は、谷底のような地形で、かつては車の排気ガスによる一酸化炭素濃度が都内で最も高かった交差点でした。

周辺の住民には「柳町ぜんそく」と呼ばれた呼吸器系疾病が多く見られ、その後のガソリンの無鉛化に繋がっています。

 

▼その交差点から新宿方面に坂を登りきった先の路地に車を進めると幸國寺の駐車場があります。

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大久保通り」の周辺は住宅や多くの寺院の間を狭い道路で埋め尽くされ、とても駐車場など見つけられる地域ではありませんが、それぞれ専用の駐車場を設けている寺院も少なくはありません。

 

加藤清正により1630年に創建されており、当時はもっと広い寺域を有していたので、現在も駐車場があるくらいでは驚かなくても良いことかもしれません。

 

清正は旗印に「南妙法蓮華経」を記し熱心な法華宗の信者だったそうで、のちには「清正公(せいしょうこう)」様として神格化されています。

 

▼表に回って総門から参道を進みます。寺の読みは素直に「こうこくじ」です。

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幸國寺の名称は文字通り「幸せに暮らすことができる国の寺」「幸せに暮らすことができる国を目指す寺」という意味だそうです。

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右脇に控小屋がある山門はとても趣があります。

田安家の屋敷門を移築したものだそうです。

 

▼上の写真とは別の日の山門は提灯が下げられていました。

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▼中央の提灯は、いただいた御首題の印と同じく「厄除 布引祖師」。

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▼「布引」という珍しい名称ですが、長野には「布引観音」と呼ばれる「釈尊」があります。

同じ「布引」でも意味は少し違います。

幸國寺の布引は、1264年、千葉・小湊での疫病流行を知った日蓮は、白い布にお題目を書き弟子に託して、小湊の地でこの白布を船から引き流し祈祷をしたところ、疫病は治ったと伝わります。

それにちなむ白布を携えた木像が作られ、その像はのちの江戸時代に当寺の開山時にこちらへ移されたそうです。

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そして江戸の町で度々起こる疫病に人々は当寺の尊像に救いを求め、いつ頃からか「除厄布引祖師」と呼ばれるようになったそうです。

「厄除け」は様々な神仏がその名を冠しています。

現在は「厄年」と関連付けて「厄除け」を願うことが多いでしょうが、かつては災厄,苦しみ,特に病苦に対して救いを求めたのでしょう。

現代でも「疫病神」などという言葉も残っており、当時は病になるのも、治るのも神仏の影響と真剣に考えたようです。

 

▼2度目の訪問では境内に真新しい八角形の建物ができていました。

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琉璃殿」と称される納骨堂だそうです。(▼内部写真は「googlemaps」)

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都心部では多くの寺が、死後のマンション、集合住宅の造営にますます盛んです。

それも機能性、デザイン性などが高められ、あたかも高級マンションです。

 

 

▼江戸時代の民間信仰だった「江戸十祖師」の寺院記事。

wave2017.hatenablog.com

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