尾張 多賀神社の御朱印
「おわり たが じんじゃ」主祭神:伊弉諾尊(愛知県常滑市苅屋洞ノ脇51)
▲写真右の由緒書きにあるように地元の人は「お多賀さん」と呼んでいる。
発音は「おたかさん」と聞こえたが、それはこちらの先入観で、多分「おたがさん」なのだろう。
関西では寺社を呼ぶ場合は、ほとんど「さん」づけ。
「住吉っさん」「天満の天神さん」「お東さん」「えべっさん」などなど。
寺社に限らない。
「おはようさん」「おくどさん」「お豆さん」「あめちゃん」、何でも「さん、ちゃん」なのだ。
雅とも言えるが、牛豚などは「お牛さん」「お豚さん」とは言わない。
何に「さん付け」するかは、関西に住まないとその区別はつかないのだろう。
関東での多くはそんなに敬意、愛着、親しみなどを単語には込めない。
ここ常滑のように愛知県西部、尾張はそんな関西言葉の地理的な東端にあたるかもしれない。
授与口で500円ワンコインを手渡して、その場を離れたら「お釣りです!」と言いながら、受付の男性に追いかけられた。
もちろん一旦出したものは覆さない「賽銭がわりに・・!」と。
関西人ではないのだ。
書置きにしてもこのご時世、300円とは、けなげ。
本来逆なのだ。
有名寺社は大勢の参拝者が訪れるから御朱印300円で良い。特に書き置きは。
しかし地方の寺社の御朱印を求める参拝者数はタカが知れている。
平日は無人の寺社などで御朱印をいただけたら500円、1000円でも理解ができる。
書置き500円を当たり前にしたのは有名寺社だ。
グチのようになったが、そもそも御朱印に「価格」はなく、その数字を押しつけられるものでもない。
御朱印に対して向き合い方次第で、0(ゼロ)〜∞(無限)で構わないと思う。
とは言え、そうはいかなくなったブームでもある。
▼関東人としては多賀神社鎮座地の常滑も「尾張」範疇とは考えにくかった。
だが「尾張国」は愛知県の西部で知多半島全域まで含まれていた。
三河湾に突き出す突端の南知多町まで尾張だとは認識していなかった。
この町に泊まるのはそれなりの目的がある。
だから昼夜とも予定があり、寺社巡りなどしていられない。
▼常滑駅前の「ルートイン」に泊まった翌朝、駆け足で「尾張多賀神社」を往復。
ホテルから車でたった10数分だが 時間がないと長く感じる。
▼そんな時間がないなか、ムリムリ訪問したのは昨年UPしたこの記事のため。
カニが神使いとする神社があるとは知らずに、これまでこの地のカニを喰らい、この地を訪れていた。ハズべきことだ。
▼で、参拝なのだ。
▼さっそく神橋の先の手水舎でカニさんを発見。
サワガニっぽい!
▼石段の先にニノ鳥居が見える。朝から駆け上げるハメになる。
▼お出迎えは和かではないが彼らは忠実にお役目を果たしている。
▼二ノ鳥居手前の百度石と両サイドにさざれ石。
▼鳥居の先はスコーンと気持ちよく清掃されている長く真っ直ぐな参道。
▼参道途中右手に「奥山半僧坊」の鳥居。
▼社殿前の広場にも手水舎。
▼水盤の中で大ガニが泳いでいる。食べでのありそうな かなりの大きさ。
▼この方より2〜3倍大きかった。
当社の起源は1612年、近江国の多賀大社から勧請されている。
▼二重になっている拝殿の屋根。
美しいこの造りには確か名称があったはずだが思い出せない。
▼本殿の左に並んでいるのは「山神社」「富士浅間神社」。
「富士浅間神社」は1527年の棟札が残っているそうだから、創建はもっと古い。
この辺りで浅間神社は珍しいかも。
急足だからほかにカニが見つけられない。
▼これは当社のHPにアクセントとして使用されているイラスト。
正元山伏が近江の多賀神社から勧請したときに背に蟹がのっていたことから神の使いとされているが、誰の背? 正元山伏の背か?
正元山伏って何者?
▼絵馬もカニ。ただしこの写真は借り物。(photo=「photoAC」)
▼もっとたくさんのカニを見つけたかったが、時間のためここまでで断念。
▼宿泊ホテルの常滑駅前には主なホテルは2つだけ。
名鉄常滑線がのびている中部国際空港セントレア内にはホテルがいくつかある。
そんな状況からか駅前のルートインは安い。6〜7000円で泊まれる。
これまで別館しか泊まっていないが新しく部屋も広い。