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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

まだ間に合う 花菖蒲の見頃&御朱印 〜「堀切菖蒲園」と東京東北部の菖蒲

予定していたわけではないが、近くを走っていたので「この時期は菖蒲が咲いているはず」と、堀切菖蒲園に寄ってみた。

菖蒲園近くのパーキングはどこも埋まっている。

やむなく対面になる荒川と綾瀬川の中間になる河川敷の駐車場へ。

▼駐車場は堀切ジャンクションを見上げる場所にある。

▼河川敷にはグランドもあり少年野球チームなどの利用では無料で止められるかもしれないが、500円徴収された。

今時、駐車料金500円は高くはないと言う思いをさせられるのは恐ろしいことだ。

 

▼電車利用の場合は京成本線「堀切菖蒲園駅」を利用する。

何ともショボく、ステキな駅だが、東武伊勢崎線にも「堀切駅」がある。

東武線の駅で降りてしまうととんでもないことになる。荒川を挟んで足立区側にあるから菖蒲園まで「堀切橋」を渡って20分ほど歩くハメになる。

 

▼訪問日6月7日は、同じ葛飾区の「都立水元公園はなしょうぶ園」と併せて「葛飾菖蒲まつり」が開催されていた。

「菖蒲まつり」は6月14日の日曜まで開催されているので、この記事のUPはギリギリだが、まだ間に合う。

堀切、水元の両会場とも日曜には多くのイベントが用意されている。

「阿波踊り」は7日だけの催しだったようだが、なぜ堀切に「阿波踊り」?

賑やかでハデだから、まつりのイベントに組み込まれたのだろう。

東京で有名なのは「高円寺の阿波踊り」。

しかし、昨今は渋谷など東京のあちらこちらでイベントに駆り出されている。

「応援連」はさぞかし多忙なことでしょう。夏場だけだと思うけど・・。

「菖蒲園駅」から菖蒲園までは南に徒歩10分もあれば十分辿り着く。

途中、下町のレトロな商店もある通りや、菖蒲園近くには「あじさい通り」で咲いている紫陽花などがあり菖蒲園まで飽きさせない。

▼道々には菖蒲をデザインした絵タイルも。

▼江戸時代末期から続く「堀切菖蒲園」正面入口。入園無料、希少、ウレシー!

「江戸花菖蒲誕生の地」でもある。

 

▼当時から名勝地であったから数多くの浮世絵が描かれている。

二代広重はなんとも長閑な雰囲気を出している。

▼三代広重は艶やか。

決して素人ではない女性二人。この様相で堀切までの脚は何だったんだろう。

駕籠か、隅田川を舟で遡ってきたに違いない。

高下駄を履いていても着物が土泥で汚れそうで裾を持ち上げている。

あまりに場違いな美人なのか、左端のおじさんは「アチャー!」

 

▼現代では着物の裾どころかスニーカーも汚れない。土剥き出しの通路がないのだ。

近年リニューアルされたらしく、どの通路もタイルやコンクリートで固められている。

まるで洋風庭園のように、あまりにキレイに整備され、随分前に訪問した時とは異なる風景に風情、趣、素朴さが失われているように感じたが、昔の記憶も定かでない。

東京に限らず予算豊富な神社・寺院では参道の砂利もコンクリートタイルで覆い被せられてしまうことが多い。

一般的には多くの人に「キレイになった」「歩きやすくなった」と思われるに違いない。浮世絵の世界など無用なのだ。

コンクリートタイルの上を歩いていると、ある神社を思い出させられた。

小規模な切通しのようで、それでいてカチカチには踏み固められていず、裸足で歩きたくなるような参道が緩やかな勾配で延びていた千葉御宿の「瀧口神社」。

多くの寺社がビルの中に、まさにビルトインされている東京。

土と草と風、そして陽が匂う寺社は地方に行かなければ遭遇できないのでしょう。

都会の公園などは寺社よりエスカレートし、素朴さは不便と同義語。

しかしさまざまな品種は持つものの菖蒲たちの姿は江戸時代から大きな変化はしてないようです。

無粋な高速道路の高架橋、高級そうなマンション、小洒落た一戸建て住宅が借景となった「堀切菖蒲園」をお楽しみください。

1年ぶりのブログUP、変わらずヒニクめいた斜め記事になりました。あしからず!

 

▼堀切菖蒲園訪問とともに御朱印も、と言う殊勝な方はこちらの神社で期間限定御朱印がいただけるかもしれません。

wave2017.hatenablog.com▼さらに堀切にはこの神社も徒歩圏内

wave2017.hatenablog.com

▼東京東北部には「綾瀬しょうぶ沼公園」も見事な菖蒲に出会えます。

▼綾瀬で菖蒲を見たらこちらで御朱印

wave2017.hatenablog.com

▼京成本線「堀切菖蒲園駅」の5つ先に「江戸川駅」があり、駅近くの河川敷、青い空の下に「小岩菖蒲園」が広がっています。

wave2017.hatenablog.com

御朱印から距離をおいて 1.5年。

BLOGを死なせない道を模索中!

 

浅草神社 三社祭の熱気と御朱印熱気(東京・台東区)〜クールダウンしたか?御朱印ブーム

4月以来の投稿なのに、時期外れな記事になる。

25.05.18 sun にフラッと出かけた「三社祭」。

遠ざかる昔に一度訪れただけで、御朱印と関わってからも、この祭りを一度も見ていないなかった。

 

▼まずは浅草の町の祭熱気をご覧あれ。

雷門前の通りはは祭好きの男と女達で埋もれている。

▼被官稲荷神社付近にも神輿が繰り出している。

浅草の街はどこを歩いても祭囃子が流れ、各町内神輿の巡行がどこでも見られる。

浅草神社が所有する本社神輿は「一之宮、二之宮、三之宮」の3基だが、今回は遭遇していない。もっとも各町のそれと区別はつかない。

一昔前と比較して、法被姿の女性が目立つ。「祭りは男たちのもの」から変化した。

氏子である44の町がそれぞれ所有・管理する神輿は約100基あるから、その迫力と賑わいは他の祭りを圧倒するかのよう。

江戸時代から続く三社祭だが、神田、山王、深川の「江戸三大祭」には含まれていない。が、数え方によっては「江戸五大祭」や「東京三大祭」に数えられる場合もあるようだ。

他のたくさんある「三大・・・」同様、明確な根拠はないかもしれない。

 

浅草へは、始めから飲み会などの予定がある他はほとんど車で出かける。

それも日曜が多く、日曜はコインパーキングメーターが「休止中」なり

▼赤のラインをウロウロすれば、ほとんど空きのパーキングが見つかる。

横のラインは「染太郎」の前の一通、縦のラインは「かっぱ橋道具街通り」。

銀座などの繁華街の最近は、日曜でもパーキングメーターを稼働させているが、浅草はまだ、その憂き目に合っていない。

休日なら1日中駐車していても無料だが、東京ではそれがドンドン少なくなり、いまや貴重な存在かもしれない。

この赤ライン付近でどうしても見つからない場合で、なおかつ特別なイベントがない日には「東本願寺」の境内に駐車させてもらうこともある。

御朱印目的ならもちろんのこと、そうでなくともきちんと参拝し、駐車は短時間で境内を出る。お咎めないはず。

このパターンは上野の「寛永寺根本中堂」でも使わせてもらうことがあるが、基本は墓参利用などでの檀家専用の駐車場だろうが、ここも短時間ならお咎めなし。

社寺は神仏のように心広く、寛容だと信じている、自分勝手に・・。

 

▼さて「かっぱ橋道具街通り」に車を止め、雷門前へ。

インバウンドも含め、いつも賑わう雷門だが、三社祭期間中は「雷門通り」がフリーになって、渋谷のスクランブル交差点も顔負けの人の往来。

▼仲店通りの賑わいは言わずもがな。

その左右の裏通りもいつものように行き来が容易でない。

▼写真は正月の仲店裏通りの様子。三社祭もほぼ同様の混雑ぶり。

浅草寺本堂横。あきらかにインバウンドが目立つ。

浅草寺で唯一戦災から免れた「二天門」も人が映らないように撮影するのは無理。

三社祭」の本拠地 浅草神社へ。

▼「三社大権現」の白い大幟は普段はない。

浅草寺境内ほどの混雑はない。境内も浅草寺ほど広くはないが・・。

観光客は「三社祭」が目当てなのか、それとも浅草寺、浅草の街?

東京在住の人でも浅草と言えば浅草寺で、三社祭は見聞きしていても、浅草神社は知らない人も少なくない。

まぁ、浅草神社は知らなくても良いのだ。

昔は神仏仲良く、寺も神社も一括りだったのだから。

さらに浅草寺浅草神社の境界は感じさせず、ほぼ地続きなイメージ。

 

▼三社さまはお出かけで、神輿庫は空っぽ。

浅草神社境内で一番の混雑はここ。「最後尾」の案内を持つ男性がいる。

▼老若男女が並ぶ「御朱印所」である。御朱印内容は想像できる。

こんな光景を目にすると、まだまだ御朱印ブームは冷え切ってはいないのだろうか?

肌感覚ではブームは落ち着きつつあると1人理解しているが。

 

本ブログでは24年を最後に、今年はまだ一体も御朱印を手にしていない。

いわゆる「足を洗った」というような、まるっきり御朱印に縁切りという訳ではないが、やはり「冷めた」とい言葉が一番正確かもしれない。

だから、気が向けば、また地方の初訪問の寺社などではいただくだろう。

 

そして一番の変化は御朱印を取り巻く環境に寛容になったことかもしれない。

商機逞しい寺社、限定御朱印、イラスト・切り絵御朱印、2000円の御朱印、遥拝の御朱印、通販的な御朱印・・・何でも許せるようになった、それらに群がる人々も含め。

もちろん、それらは本ブログが御朱印に「冷めた」要因でもある。

だが、本ブログも10年間ヒートアップしていたのだ。

その間の変化についていけなくなっただけだ。

クールダウンしたのは御朱印ブームより、本ブログそのもの なのだろう。

 

 

 

 

  

 

乗蓮寺「東京大仏」の御朱印(東京・板橋区)〜足を洗った「巡り」、切れない「縁」の御朱印

赤塚山 乗蓮寺東京大仏御朱印

じょうれんじ」浄土宗別格本山、本尊:阿弥陀如来板橋区赤塚5-28-3)

二つの御朱印には11年の間隙がありますが、ともに書置きで構成も筆跡も同じです。

三つの印だけすべて新しくなっていました。

右上の印は「日本三大仏の一 東京大仏●宮」●は読めません。

中央は阿弥陀如来梵字キリーク」。

左下は「東京大仏乗蓮寺之印」「東京都大仏殿乗蓮寺」だと思います。

「日本三大仏の一」は青銅製、坐像などの条件のもと大きさが日本三番目と言うそうですが、時の移りとともに他で新しい像が建立されるので、完成時点では3番目と言う、何とも心もとない話になります。

「◯◯三大」のような表現は参考、目安として理解することにしています。

 

乗蓮寺東京大仏御朱印(2024年)。

乗蓮寺東京大仏御朱印(2013年)。

 

乗蓮寺へのアクセスは成増駅からバス利用が便利のようです。

徒歩だと成増駅下赤塚駅西高島平駅ともに18分程度。

足の速い人なら15分以内に到着するでしょう。

23区内ではほぼ最北、東京のハズレで、西北になる隣は埼玉です。

 

▼車なら正門前に駐車場があります。

▼赤塚周辺は起伏に富み、史跡の豊富な緑豊かな地域で、板橋十景のうち約半数が周辺にあるそうです。

▼山門の石段を上がる前に、右手に閻魔堂が見えます。

▼覗くと少し滑稽な閻魔王を中央にして十王、奪衣婆の像が見えました。

▼山門に登ります。

▼歴代将軍から朱印地を与えられ、将軍の休息「膳所」ともなっていたことから、この紋が各所に見られます。

▼山門内部は口を開けた「阿形」と口を閉じた「吽形」の金剛力士

▼山門境内側には「多聞天」と「広目天」。

▼山門をくぐると正面に本堂。右手に大仏が見られますが、そちらは後にしましょう。

▼まずは「洗心」です。

▼立派な龍が立ち上がっています。

コロナ禍がウソだったように柄杓が添えられ、満々と水をたてていました。

 

▼堂々とした本堂はどこか見覚えがある姿をしていますが、どこにでもある姿かもしれません。

▼本堂内部は左右に南無阿弥陀仏の文字、中央は阿弥陀如来像でしょう。

▼どこか見覚えがあるのは、この不釣り合いに大きくGOLDに輝く鴟尾のせいかもしれません。と言ってどこで見たかさっぱり覚えがありません。

1973年までに板橋宿にあった当寺は国道、高速道の拡張で当地に移転しています。

▼本堂脇は弁天堂があるので弁天池?

▼2024年、東京の12月初旬はまだ秋真っ盛りです。

▼この境内は板橋区史跡「赤塚城二の丸趾」。

寺の北に隣接して現在は公園になっている「赤塚城址」があります。

 

▼さて11年振りに大仏と対面です。

知る人ぞ知る「東京大仏」でしょう。

御朱印に関わり始めて多くの大仏たちに会ってきました。

奈良鎌倉越前高崎など、東京と近郊では上野池袋牛久、そして小さな小さな大仏の鎌ヶ谷など数え上げたらキリがありません。

大きいこと、高いことは人の目や心を惹きつけるのでしょう。

▼横顔と伸びた背筋が凛とした気配を感じさせられます。

▼大仏も素晴らしいのですが、この寺には津藩藤堂家・江戸下屋敷染井屋敷)にあった石造物が並んでいます。

染井屋敷」と呼ばれていた下屋敷は、桜木の品種「ソメイヨシノ」の発祥の地とされる駒込にあったようです。

これらの石造物は200年を経て乗蓮寺を安住の地としたようですが、時が流れればまたほかの地に移されるやもしれません。

でも形ある限り打ち捨てられたり、砕かれたりすることはないでしょう。

露天の石造物は次第に経年劣化していきます。

しかしまだまだ200年、300年は楽にその姿を保ち続けるでしょう。

その時、どんな人々がどんな思いで、この石造物を見るのでしょう。

石造が造られた当時の人々が、まさか200年後の現代の日本人の姿や心を想像できたはずはありません。

同じように、現在の我々の時間から200年後の人々の姿は想像できません。

それを正面に知り得るのはこの石造物たちだけでしょう。

私は貝になりたい」わけではないけど、こんな石仏になって数百年後の世界を知ってみたい誘惑は大きく膨らみます。

▼こんな日本の原風景的な絵を数百年保ち続けられるのは寺社しかないのでしょう。

▼板橋信濃守忠康の墓。

▼説教浄瑠璃五代目若大夫の墓。

墓域には冒険家 植村直己も眠っているそうです。

 

天保の飢饉供養塔。

正面の「南無阿弥陀」の特徴ある文字は祐天上人の筆。

目黒区「祐天寺」でいただける御朱印と同じ書体です。

 

▼なぜか、おそらくアジアの方々が奉納されたと思しき絵馬が多い。

 

▼秋がいっぱい降り注いでいた12月の乗蓮寺訪問でした。


1月20日以来の投稿になります。

そして現状では直近最後にいただいた御朱印ですが、高島平に住む知人を訪ねた折、懐かしくて訪問した乗蓮寺です。

もうすっかり「足を洗った御朱印巡りですがあえて巡りはしませんが御朱印との縁はきれないでしょう。

参拝作法:長蛇の列に並ばないのはマナー違反? 〜 御朱印をいただかない 二社目「神田神社」

▼2025年に入って2ヶ所目の参拝は1月19日の神田神社

一年中参拝者で賑わう神田明神だが

年が明けた1月中は、1年12ヶ月の中でも、一番の人出になるように思う。

 

江戸総鎮守であり、大黒恵比寿将門を祀る神田神社は、

年始には企業の役員や社員が仕事始め、商売繁盛の祈願に訪れるニュースがTVなどで発信されるが、

もちろん個人も縁結びや商売繁盛などの祈願で人気があるのは、

都心にあり交通至便なことも影響しているのだろう。

 

いずれにしても、いつ訪れても参拝者で賑わう境内だ。

 

拝殿前は10列ほどが各列10人ほど並んでいたが、それほど時間は要せず参拝できた。

列は当然、拝殿正面に当たる中心部の列が長くなる。

警備員が比較的空いている左端や右端に誘導していた。

そそくさと一番左端に進んだ。

毎度のことで願い事はせず、感謝の気持ちだけを伝えるので端っこで十分。

 

神田明神文化交流館「EDOCCO」は、もうすっかりお馴染みになった。

館内も大賑わいで、シンプルな書置き御朱印もここでいただける。

しかし、本ブログの今年は御朱印はいただかない。

代わりにというわけではないが神札をいただいた、1000円。

昨年、富岡八幡宮でいただいた同じような神札は1500円だった。

初穂料でご利益に差があるわけではないと思うから、安いに越したことはない。

もとよりご利益を求める気持ちはないので安いに限る。

昨年は神田神社破魔矢富岡八幡宮で神札。

今年は柴又帝釈天破魔矢神田神社で神札。

授与品を求めるのにまったく一貫性がないが、その程度で良いと思っている。

 

話は戻って参拝に並ぶか、並ばないか?

そのことについて2013年の「婦人公論」で佐藤愛子が次のように記している。

長くなるが、その引用。

ここ十年くらいでしょうか、新年に神社へお参りに行くと、大勢の人が一列に、

鳥居の外まで並んでいます。

なぜ並ぶんでしょう? どう考えてもわかりません。

もしかしたら、正面から神様と向き合って願いごとをしないと届かないと思ってい
るのでしょうか?

正面だろうが横からだろうが、祈る場所なんかどこだっていい。
神の御前では感謝の念を捧げればいいんです。

願いごとをするのは勝手だけれど、
神はあくまで精神的な存在ですから。

やれよい縁談をとか、入学とか、金儲けとか、物質的なことを言っても届くわけがない。

私が並ばずに横のほうで拝んでいたら、
列のなかから「みんな並んでるんですよ」という女の声がしました。

私は「それが何なんですか?」と言って帰ってきましたけどね。

ラーメン屋の行列に割り込んだのとは話が違いますよ。

もう近ごろ、ふしぎに思うことがいっぱいあります、私には。

もっとも向こうでも、私をふしぎな婆さんだと思っているんでしょう。

この隔絶はもう、埋めようがないですね。

10年以上前の記事だが、我が意を得たりの記述だ。

 

本ブログも多くの参拝で長蛇の列なら並ばない。

もっとも状況次第で今回の神田神社のように並ぶ時間が少なそうな場面では並ぶ。

だがこれまで、拝殿の正面に数列長蛇ができ、その左右に空きがある場合は、

脇から すすっと進み、賽銭箱にチャリン。

数歩下がって並んでいる人の邪魔にならないように手を合わせてきた。

 

▼だが、こんな場面では左右に空きがないから参拝自体を諦め、次の機会にする。

また、佐藤愛子のように

ラーメン屋の行列に割り込んだのとは話が違いますよ。

と開き直れない場面もある。

あまりに静かで厳かに2、3列で並んでいるような拝殿前では、ひとり脇からそそくさと賽銭箱に向かうのは憚られる。

並んでいる人々に余計な不快感を与えることは避ける。

言葉は適当ではないが、ドサクサに紛れて脇から参拝なら誰も不快に感じるヒマはないだろう。

 

いずれにしても神に感謝の念を捧げるのは、佐藤愛子の言うように場所はどこでも良いと思う。

 

だとすると佐藤愛子は、本ブログは、なぜ神社に詣でたのか?

元も子もない話になる。

 

しかし、神はあくまで精神的な存在であることに間違いはない。

 

従って遥拝という場所や言葉も理解しやすい。

と言っても、御朱印郵送目的の遥拝だけはいただけない!!!

 

 

wave2017.hatenablog.com

 

御朱印に巡り合って14年目、御朱印をいただかない初の正月

小寒の日、2024年を振り返れば、いただいた御朱印は19体。

まだ記事にしていない御朱印が1体残っている。

そしてブログは22記事だけで終わっている。

ほぼ完全に御朱印熱が覚めた結果かもしれない。

 

▼25年の正月3日、初詣は少し足を伸ばして柴又帝釈天へ。

正月の柴又は変わりなく、初詣の人出で賑わっている。

御朱印を始めてこの参道を、高揚感を胸に何回往き来した事だろう。

その感覚は違えど、何度歩いても感じるのは東京でNo.1の参道だ。

正月は相変わらずの人出だが、感じたのは欧米人が見当たらない、少ない。

その感覚は浅草などと比較してしまうからかもしれない。

柴又帝釈天は地理的にもインバウンドには敬遠されてしまうのかもしれない。

本堂内に上がれば書置きの柴又七福神御朱印や御首題がいただけるだろう。

しかし本堂内には上がらず参拝だけして、破魔矢を手にして参道を引き返す。

御朱印をいただかなければと、そそくさと本堂内に上がった日々は懐かしくも遠いところにある。

 

御朱印をいただかないことに、もうまったく後ろ髪もひかれないが、その気持ちはゼロではない。

御朱印熱の温度は下がっても、不滅の灯火のように数%は残している。

そして御朱印をいただかない初詣の清々しさを改めて感じた。

ツキモノが落ちたような感覚だ。

▼草団子を買う目星の店は行列ができているから「とらや」の団子を買う。

他の店で買っても間違いなく美味しく、大きな違いはない。

 

生活環境が変化して御朱印巡りができないわけではない。

仕事関係から連続する休暇は取りにくくなったものの、単純に自由な時間だけは多くなっている。

 

低体温症となった御朱印熱。

単に飽きたのかもしれない。

もちろん飽きさせられた事情も多くある。

 

残る微熱とともに御朱印、社寺、ブログと向き合ってみる2025年だ。

 

 

 wave2017.hatenablog.com

 

 

 

 

 

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