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御朱印迷宮 /Goshuin Labyrinth

御朱印収集目的には殆ど役立たずなブログ!かも

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王子稲荷神社の御朱印(東京・北区)〜狐たちに導かれる迷宮

王子稲荷神社御朱印です。(東京都北区岸町一丁目)

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王子稲荷神社御朱印。(2019年)
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王子稲荷神社御朱印。(2015年)f:id:wave0131:20200928200101j:plain

御朱印は2019年、2015年の2体は瓜二つ、何も違いはありません。

▼もちろん「記帳料」は変化しています。

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御朱印にもスタンプされていますが、火事の多かった江戸時代より凧市が開かれ、火事除けの守札「火防凧」が授与されているそうです。

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江戸の火事は風が大火につながったことから、風を切って上る凧を火除けのお守りにしたそうです。

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▼JR「王子駅」が最寄駅になりますが、御朱印目的の訪問者は「王子神社」とセットで伺うことが多いでしょう。

 

王子稲荷神社の東方向に境外社の「装束稲荷神社」があります。

そこから大晦日の深夜には地元の人々などの狐化粧、仮装、コスプレによる

狐の行列」が王子神社まで練り歩かれ、

幻想的でもあり面白い冬の風物詩ともなっています。

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                                  (写真はwalkerplus)
とは言え2020年の大晦日は中止だそうです。

イベントはなんでも中止には疑問も感じますが、

感染者が出た場合の責任や、正義だと勘違いしてる自警団によるバッシングなどもあるのでやむを得ないでしょう。

様々な規制が緩和されてはいますが、まだまだ「不要不急」に遠慮は生きています。

 

▼広重が描いた「王子稲荷乃社」と「王子装束ゑの木 大晦日の狐火」です。

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                             (wikipedia 名所江戸百景)

昔の王子周辺は田畑しかありませんでしたが、絵図にあるように一本だけ大きな榎が立っていました。

その榎をランドマークとして毎年の大晦日に各地から狐たちがやってきます。

そして狐たちは榎の大木の下で装束を整え、狐火を灯しながら王子稲荷へ参詣したと伝わります。

 

そんな様子を平成に入ってから再現させたのが「装束稲荷神社」の「狐の行列」です。

 

少し脱線しましたが神社訪問です。

▼車ですと神社入口の門の左脇に急坂「王子稲荷の坂」があるので、そこに侵入すると神社境内に数台駐車できるスペースを見つけられます。

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▼そちらでもトボけた狐が歓迎してくれますが、神社正面に回りましょう。

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▼宇迦之御魂神を祀る神社の創建は平安時代とも伝わりますが不詳です。

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かつては「岸稲荷」とも呼ばれたそうです。

」は隅田川のことを示しているのでしょうが、

古くは隅田川がもっと神社の近くを流れていたか、もともとの神社そのものが川の近くにあったかもしれません。

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門をくぐると参道右手にも小ぶりな鳥居が見えます。

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境内社の「市杵島神社いちきしまじんじゃ」です。奥は幼稚園。

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▼風化の激しい狛犬が守るのは弁天サマのようです。

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▼石段を上った先の社殿は1808年の建立で、とても煌びやかな造りです。

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f:id:wave0131:20200928195859j:plainコンパクトな社殿ながら関東の稲荷社の「総社」とも言われ、厳かな姿をしています。

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将軍 徳川斉公により寄進された社殿とされています。

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また源頼義から「関東稲荷総司」の称号を与えられ、小田原北条氏、歴代 徳川将軍家の祈願所でもありました。

おまけに落語「王子の狐」の舞台にもなっています。

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扁額は正しく単に「稲荷社」。

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錚々たる歴史上の人物が因む神社ですが、王子稲荷の真骨頂はここから始まります。

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▼「願掛けの石」「狐の穴跡」はこちらです。

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▼鳥居をくぐって右手奥へ進みます。

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▼途中憎めない表情の狛犬たちかと思いきや、尻尾を見ると狐でしょうか?

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▼小さいながら立派な社は「本宮」。

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その先の入り組んだ通路に進みます。

写真は明るく撮ってありますが、現実は建物などの影になっていて、もう少し薄暗かったと思います。

神域は狭く細く暗く静かなほど神気を感じるものと信じます。

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▼「北村」「嬉森」「亀山」の三稲荷社が一つになっています。

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▼こちらはかなりスマートな切れ味のありそうな狛狐。

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▼「御石様」が現れました。

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おもかる石」です。

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▼結構大き目の石は、腕を伸ばしたまま持ち上げると・・・オモイ!オモイ!

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▼高い位置に進んでいます。ここから下を覗くとこんな景色になります。

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▼狐たちに導かれ、さらに高い位置の迷宮へ階段を登ります。

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▼神社境内は崖に沿っていて、その崖っぷちに開いた「」が「狐の穴跡」。

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薄暗いここだけ少し他とは異なる空気が流れています。

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▼この地にいた狐の住処だったという「」だそうです。

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その昔は人間なぞ近づかない、藪か雑木林であった場所だったのでしょう。

「コンッ コンッ!」

狐の親子が穴を出入りしている姿が目に浮かぶようです。

なぜか狐の鳴き声の表現は「コンコン」です。

 

▼帰り道。ここも昔は水をコンコンと汲めた井戸だったかも?

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御朱印をいただいて帰ります!

鶴峯八幡宮の御朱印(千葉・市原市)〜「関東三鶴」と「関東三光風」のナカヨシ

鶴峯八幡宮御朱印です。(千葉県市原市中高根)

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通常御朱印のほかにに境内社御朱印など数種類ありましたが、

季節の見開き御朱印を一体だけいただきました。

中央の朱印は「上総國米代山 鶴峰八幡」とありますが、

米代山」って何でしょう? 古い地名でしょうか?

 

いずれにしてもケバケバしく媚びずに、とてもセンスの良い上品な御朱印です。

 

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▼最寄の駅に小湊鉄道の「光風台駅」があります。

光風台駅」は1976年に開業された小湊鉄道では最も新しい駅です。

同じ頃に造られた付近の「光風台団地」完成に伴い新設された駅です。

光風台」というちょっと恥ずかしい名称は、高度経済成長期からバブル期を代表するような名称です。

民間のデベロッパーの開発でしょうから、同じ「光風台」の名称は茨城県取手や神奈川の久里浜にもあります。

関東 三光風」と言ってもいいかもしれません。

 

コロナ禍真っ只中の4月でした。

しかし、車で地方の人出の少ない神社を訪問するのに大きな問題はありません。

 

▼東京から神社に向かう途中で見つけた道の駅に寄ります。

あずの里」とは意味不明ですが、古くに「安須」と呼ばれていた地域だそうです。

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道の駅施設周辺は結構な人出がありました。

▼施設の裏に山があります。人出から逃げて登ってみます。

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▼階段上の丘陵は、何と桜がマンカイ! 思いもかけない花見ができました。

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▼お花見とピクニックの人たちも疎らで、これなら感染も心配ないでしょう。

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樹木・花木展示園」と言うそうですが、コロナ禍でなければもっと人出も多いのかもしれません。f:id:wave0131:20201015194959j:plain

春の「」と「」が溢れていました。

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▼道の駅でそんなにゆっくり花見してられません。神社に向かいます。

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▼駐車場から参道に向かいます。ここにも春の「」と「」が溢れています。

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神社のHPや境内に建つ由緒書き、さらにいただいた由緒書きパンフにもハッキリと

関東三鶴之一社」と書かれています。

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関東三鶴」または「三鶴八幡」とは

」を社名に持つ関東地方を代表する三つの八幡宮の総称だそうです。

 

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八幡宮の内訳は鎌倉の「鶴岡八幡宮」、館山の「鶴谷八幡宮」と

三つ目は異論があり、ここ市原の「鶴峯八幡宮」と、富津の「鶴峯八幡宮」が

それぞれ候補しているそうです。

全く同じ名称ですが、茨城県古河の「鶴峯八幡宮」はこの範疇に入らないとか。

 

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関東三鶴」が「」でも「五鶴」でも良いように思いますし、

三鶴」の組み合わせが、いくつあっても構わないようにも思います。

歴史的文献に示されているものなら話は別になるでしょうが、

日本三大○○○」の候補が4つも5つもあるのと同じでしょう。

 

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近代に言い出された総称に名が入るか、入らないかと言うことは、

大して意味のないことのように思います。

目安」くらいに理解していれば十分なのでしょう。

 

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とは言っても「三鶴」が歴史的に意味のあることなのか寡聞にして知りません。

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」と言う文字が使用されている神社は、根拠もなく多くあるはずだと勝手に思っていましたが、現実は以外でした。

これまでいただいた御朱印から「鶴」の字を検索しても、上記に挙げた神社以外は出てきません。

同じ鳥類でも「鳩」「鷲」「雀」「雉」「燕」「烏」「鳳」など、神社には限りなく多くの鳥名が使われていますが「」は少ないのです。

 

f:id:wave0131:20201015195108j:plain少ない「」です。

ここ「鶴峯八幡宮」が「関東三鶴」に数えられても何ら問題ありません。

もちろん、富津の「鶴峯八幡宮」を入れて「関東三鶴」としても・・・。

 

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ともあれ、この神社は700年前に宇佐八幡宮から分霊され、

誉田別命息長足姫命玉依姫命を祭神とします。

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楽殿の隣の授与所で 御朱印をいただき境内を見て回ります。

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▼400年間参拝者を見続けてきた大杉は、先端が折れてしまっているようです。

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整備中らしき高台に境内社が点在しています。

▼関東では境内社に多く見られる「三峰神社」です。

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やはり秩父三峰神社は古より偉大な神社だったのでしょう。

▼こちらは子安社天神社

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▼「厄除け獅子殿f:id:wave0131:20201015195120j:plain

▼思いっきり広げた鼻の穴が「厄」を吸い込んでくれそうです。

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▼天然記念物の「真石」は災いを除けてくれるそうです。

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▼近在にあった祠でしょうか? 一堂に集められています。

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▼写真掲載順序が逆になりましたが手水舎f:id:wave0131:20201015195031j:plain

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弁財社f:id:wave0131:20201015195035j:plain

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▼お決まりの「銭洗い」ができ、「御神水」もいただけます。

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▼手に何もお持ちでないので「どちら様」かわかりませんが合掌です。

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 「関東三光風」の一つの地に鎮座する「関東三」の一社は

いただける御朱印とともに訪問するに大きな価値のある神社でした。

 

尾久 八幡神社の御朱印(東京・荒川区)〜元花街「愛のコリーダ」の残滓を探せ

尾久 八幡神社御朱印です。(東京都荒川区西尾久三丁目)

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いただいたのは10月の御朱印金木犀)の書置き。

都電神社めぐり」の電車イラストスタンプが押されています。

 

▼当面の間は「書置きのみ」との案内。境内社の「厳島神社」の御朱印もありました。

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▼神社の最寄駅は都電荒川線宮ノ前駅」。駅の真ん前が神社です。

JR東北本線尾久駅」からも1km強ほどなので歩ける距離です。    (wiki尾久駅)

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しかし「尾久駅」を知っている東京人は少ないのです。

 

まず荒川区の尾久(オグ)の街がどこにあるかもよくわからず、

おまけに「尾久駅」は「オクえき」と読み、北区になります。

路線名も「東北本線」「宇都宮線」「高崎線」「上野東京ライン」と名称が重なっていて鉄道オタクでないと分からないチンプンカンプンさです。

 

さらに「尾久駅」の1日の利用客は1万人程度で、都区内のJR駅ではオシリから3番目に乗降客の少ない駅です。

ドンジリに控えるのは上中里駅越中島駅だそうです。

 

▼江戸時代末期の尾久は、すべて田んぼでした。           (江戸切絵図)

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江戸時代以降は尾久も大きく変化して面白い歴史を作ります。

 

明治期にはレンガ工場などの産業も起こり、現在の「荒川遊園」はレンガ工場の跡地ですが、大正時代の「荒川遊園」は遊園地ではなく、温泉や演芸場のある、今でいう健康ランド、スーパー温泉、大江戸温泉でした。

 

そうです、ある寺の住職がラジウム温泉を掘り当てたのです。

 

それから尾久の町は、温泉旅館や料理店が開業し始め、東京郊外の温泉街「尾久温泉」として発展しています。

温泉街とともに花街としても発展し、やがて料理屋・待合茶屋置屋ができ三業地となりました。

尾久は一大遊興地だったのです。

 

▼その遊興地の待合で1936年、この事件が起きています。

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日仏合作で大島渚が映画にした「愛のコリーダ」。

その題材は1936年(昭和11年)の「2.26事件」の約3ヶ月後に起きた

阿部定事件」でした。

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愛のコリーダ」以降も同じ題材で「SADA」という映画が作られていて、いくつもの映画、ドラマ、小説になり、

古い事件にも関わらず、その猟奇性からか今も人々が強く興味を惹かれる事件です。

 

▼しかし現在の尾久は、工場温泉三業地などの全ての痕跡を消しています。

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▼おそらく、この辺りに阿部定事件が起きた待合「満佐喜」があったようです。

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もうそんな時代の迷宮は、東京女子医大通り宮前商店会」として、何の変哲も無い下町の商店街になっています。

そして23区内でも自転車泥棒の最も少ない治安の良い街に変わっています。


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尾久駅から密集する住宅街と商店街を抜けると都電の走る広い通りに出ます。

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さまざまな外観を持つ車両が運行される荒川線ですが、

撮影時の車両は血のような「阿部定カラー」でした。

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▼都電が通る神社前の通りは「王子千住夢の島」という訳の分からない名称です。

 

f:id:wave0131:20201019133859j:plain都電「宮の前」のホームから神社の全貌が見られます。

 

▼ここまで今回記事は多くの文字数を費やしてきましたが、やっと神社に辿り着きました。

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▼創建不詳の八幡神社ですが、少なくとも鎌倉時代から南北朝時代には早や社殿があったそうです。f:id:wave0131:20201019133903j:plain

 

阿部定」が事件を起こしたラブホから200mもない場所に鎮座する神社ですが、

彼女はこの神社には足も運ばず、石田吉蔵との肉欲に溺れていたのでしょう。

 

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身を清める事も知らず、ひたすら独占欲のままに汚れ道を邁進した阿部定ですが、

逃亡の末、殺人罪で逮捕され、その後の判決は懲役6年。

あまりにも軽すぎる刑ですが、当時は単なる痴情のもつれからの事件として、なんとも寛容な判決になったようです。

 

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▼そんな歴史も、ほんの一時の出来事として見つめてきた神社でしょう。

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▼日々は遠くに過ぎ去り「ウッンッ! ワシらでさえ、阿部定などは許さんぞ!」

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▼「マァ、まぁ、いろんな人がいるから・・。

だからアンタも自分の子供をを抑えているんでしょう!?

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痴話喧嘩ではないですが、彼らの内輪揉めが聞こえます。

 

応神天皇主祭神とする八幡宮の創建は不詳ですが鎌倉時代と推測されています。

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▼社殿は1955年の再建。

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▼本殿はイチョウの木が邪魔して全容がわかりません。

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▼社殿左手には「神輿庫」と「厳島神社」が建ちます。

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▼手水社の水盤も狛犬も長い時間を経てきた様子が窺えます。

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▼レトロな電車に揺られ「都電神社めぐり」の4社を訪問するのは、鉄道オタクでなくとも、楽しい1日になる事は間違いないでしょう。f:id:wave0131:20201021123458j:plain

 

都電神社めぐり」の4社は、ここの尾久八幡のほかに

飛鳥山停留所の「七社神社」、大塚駅前停留所の「大塚天祖神社」、

都電雑司ケ谷・鬼子母神前停留所の「大鳥神社」です。

 

▼関連過去記事です。

越後一宮 居多神社の御朱印(新潟・上越市)〜落胆するな! 書置きの一宮

越後一宮 居多神社御朱印です。(新潟県上越市五智六丁目)

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こたじんじゃ」です。

書置きでした。日付なしでした。タイミングが悪かったようです。

 

これまで一宮の御朱印も数多くいただいておりますが、書置きは初体験。

それも日付なしとなると、いただいた時「アレッ!?」と

ガッカリして首をかしげたくなります。

 

いいのです!書置きで・・。

でも日付くらい入れて欲しい、といつも思うのは身勝手でしょうか?

 

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▼東京人の「上越市」は直江津であり、高田です。

もう発足して永いこと「上越市」でしょうが、ピンとこない名称です。

そもそも市の中心街に「上越」の町名はありません。

上越線も市内を走っていません。

かろうじて市の南部に上越新幹線の駅「上越妙高」が上越の文字を使用しています。

以前にも同じような事を記事にしてますが、上越はやはり直江津、高田です。

 

▼初夏の上越日本海です。ピーカンです。

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数多くある日本海をテーマにした楽曲でも演歌はあってもPOPSは思い浮かびません。

アニソンなどではあるのでしょうか?

演歌でも既に古い曲となってしまっていますが、

悲しみ本線日本海」「能登半島」など、傷ついた心を歌う哀愁漂う曲ばかりです。

 

寒い」「冷たい」「荒波」が北国の海、日本海です。イメージです。

 

▼しかし現実の日本海は「暖かそう」で「穏やか」で「開放的」です。

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何事も誤ったイメージを持ちやすいものです。

 

一宮も勝手で漠然としたイメージを持っていますが、

▼全ての一宮に当てはまるはずはなく、ここでもそのイメージは間違っていました。

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越後國 一宮」の文字は見つからず、奥深い参道もありません。

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境内は広いもののアッケラカンとしています。

社殿に歴史感はなく2008年に造営された新しいもので、創祀不詳の古社らしい雰囲気はありません。

しかし、大国主命・奴奈川姫・建御名方命を祀る、越後一の宮とも呼ばれる延喜式内社です。

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もっとも「越後國 一宮」は一番に「弥彦神社」がイメージされます。

そちらはイメージ通りの「一宮」。

 

しかし越後國一宮は、このほかにも糸魚川市天津神があり、計三社。

なんと隣の國、越中には四社あります。

多くの一宮を巡れば巡るほど、印象深い神社はあるものの、

一宮としてのイメージは、どんどんアヤフヤなものになります。

 

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浄土真宗の宗祖 親鸞はこの地に流され、7年間を越後で過ごしています。

f:id:wave0131:20201016194919j:plainしたがって、ここ上越市には親鸞ゆかりの場所が多数あるそうです。

親鸞、円如など北陸は浄土真宗と縁が深い場所でもあります。

 

▼居多神社の周辺を歩いていると大きな赤い鳥居を見つけました。愛宕神社でした。

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▼参道石段が高く、奥深く延びています。f:id:wave0131:20201016194949j:plain

この雰囲気は登らずに見過ごす訳にはいきません。

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高木が陽を遮り、石段は苔むしています。参拝者も少ないのでしょう。

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▼けっこう登ってきた石段は汗を滲ませます。最後の石段。

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後の調べで祭神は火産霊命と伊邪那美命上杉謙信の崇敬も厚かった神社だそうです。

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一宮を訪問した上越市で印象深い神社はここになってしまいました。

御朱印なさそうなので残念ですが・・。

 

小岩不動尊「善養寺」の御朱印(東京・江戸川区)〜羽を広げる「影向の松」は延命治療で蘇り!?

▼星住山 小岩不動尊善養寺御朱印です。

真言宗豊山派・東京都江戸川区東小岩二丁目)f:id:wave0131:20201012170719j:plain

山号星住山」の読みは「せいじゅうざん」。

音読みなのでロマンもなく、何のことか分かりません。

しかし文字を見れば誰しも「星住む山」と解釈するはずで、

イメージを掻き立てられる山号です。

同じの文字を使用している「星宿山」という山号を思い出しました。

そちらも音読みでしたが・・・。

 

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▼善養寺の裏は江戸川、その向こうは千葉県です。東京の崖っぷちにある寺です。

しかし寺に隣接して、大きな「江戸川病院」があるおかげで、JR「小岩駅」からのバスの利便性は悪くはないようです。

寺の前の道は白衣の男女が行き交っています。

 

▼雨の日の再訪でしたが、湿っぽいこんな日は御朱印は遠慮します。

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以下の写真、2020年、雨の日の再訪がほとんどですが、御朱印をいただいた2017年の写真も混在しています。

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▼境内に足をふみいれるとすぐ右手にあるお堂。中に仏像があるものの暗くて分かりません。f:id:wave0131:20201012170836j:plain

▼正面は「不動門」。f:id:wave0131:20201012170841j:plain

▼その手前に石碑と供養塔がいくつか並んでます。f:id:wave0131:20201012170845j:plain

一番右の小さなものは1795年の建立で「天明三年浅間山噴火横死者供養碑」と説明されていました。

1783年の浅間山大噴火で犠牲者となった遺体が利根川や江戸川に流れ、

この付近にも流れ着いたそうです。

当時の地元の小岩村の人々が遺体を収容し手厚く埋葬。

13回忌にこの供養碑を建てたそうです。

 

▼供養碑の手前に線香を置く小さな香炉は、カワイイ家の形になっています。

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▼こちらは「浅間山焼け供養碑和讃」と彫られています。

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▼一番上の文字は「報恩記念碑」でしょうか?

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この地域では江戸時代から大正期まで和傘作りが盛んだったそうです。

特に高級品の蛇の目傘は高く評価されたそうです。

その業界の貢献者の恩に報いる石碑です。

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▼「不動門」を潜ると境内です。

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▼寺で一番立派な建物は「影向殿」。寺務所など様々な用途に使われているようです。

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御朱印はこの高級老舗旅館のような「影向殿」でいただけます。

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浅草の浅草寺にも「影向堂」と呼ばれる建物や、川崎に「影向寺」などがあります。

ちなみに、この「影向ようごう)」とは「神仏が一時姿を現すこと」だそうです。

 

▼10月訪問の境内は「影向菊花大会」という菊まつりの準備で少し雑然としています。

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▼「密厳寶塔」と扁額が掲げられていますが、何のことか分かりません。

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▼「本堂」は1845年の再建。f:id:wave0131:20201012170751j:plain

寺の起こりは1527年と伝わりますが、文献によればもっと前に開山されていたのではと解釈されるそうです。

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▼おびんずるさまは、江戸時代から「善養寺のなでぼとけ」として親しまれているそうです。

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▼四国八十八番札所「大窪寺」のご詠歌が掲げられています。f:id:wave0131:20201012171110j:plain

「南無やくし 志よびようなかれと願つつ まい来る人は おおくぼの寺」でしょうか?

wiki大窪寺紹介では「南無薬師 諸病なかれと願いつつ 詣れる人は大窪の寺」となっています。

 

不動堂前の手水舎f:id:wave0131:20201012171052j:plain

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▼通称の「小岩不動尊」ですが、内部の不動明王像はガラスが光って見えません。f:id:wave0131:20201012170804j:plain

とってもいい形のお堂ですが、松の枝が伸びていて全体像が見られません。

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▼そしてこの寺を有名にした「影向の松」。松の枝が境内いっぱいを覆い尽くすように伸びています。f:id:wave0131:20201012170913j:plain

まるで藤棚のように枝を広げている松棚です。f:id:wave0131:20201012171034j:plain

▼すべて樹齢600年と言われる、この1本の松のなせる姿です。f:id:wave0131:20201012171038j:plain

天然記念物に驚かされることは少ないのですが、この松はさすが目を見張らされます。

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伸ばした枝の繁茂面積は「日本一」だそうです。

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かつては香川県さぬき市の寺と「日本一」を競い合ったそうですが、

双方譲らぬ長い争いの果て「どちらも日本一につき、双方引き分け」と、大相撲立行司木村庄之助が仲裁したそうです。

子供のケンカのように「日本一」を競って大騒動だったようです。

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ワレこそは日本一」と名乗るのはよくある話です。

その後、香川の「日本一」は枯れ死して、

小岩不動の「影向の松」が名実ともに唯一の「日本一」となったそうです。

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しかし「影向の松」も1970年頃から樹勢が衰え、一時は瀕死の状態だったそうですが、

長い時間をかけて土を入れ替え、水はけのための地下水路も作られ、ようやく樹勢も回復したそうです。

影向」の力による蘇りと、人々の努力による延命治療のおかげで「日本一」を維持できているということです。

 

▼「横綱」と名付けられた高台から見た「影向殿」は、やはり旅館のような姿。f:id:wave0131:20201012170921j:plain

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▼境内南側にある「仁王門」は1740年頃の建築。f:id:wave0131:20201012170813j:plain

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▼仁王門の脇に「太子堂」。f:id:wave0131:20201012170934j:plain

▼「新四国遍路道」の案内があります。f:id:wave0131:20201012170939j:plain

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▼古い石仏と石の祠にサンドされた一直線の遍路道です。f:id:wave0131:20201012170945j:plain

「影向の松」も見ごたえありますが、この新四国もとっても雰囲気のある遍路道です。

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このほか小岩不動尊(善養寺)にまつわる言い伝えや、話題はたくさんあります。

また、見所は他にもあり飽きさせられない寺でした。

 

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