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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

【番外】遅まきながら❶ たった1枚の2024年お年玉当選年賀はがきを交換してきて思い出したこと

2024年の年賀はがきお年玉当選番号の発表は1月18日だったようだ。

 

毎年ヒマができた時に思い出したように今年届いた年賀状を調べてみる。

多忙な日が続く年は、そんなものは忘れていることもある。

 

さらに近年は年賀状は出す人も貰う人も減少し続けているという。

 

発行のピークは2003年の44億5936万枚、約20年後の2023年発行は14億4000万枚。

ピーク時の3割近い。

それぞれ翌年用の「発行枚数」だから現実に使用、ポストに投函された枚数はもう少しだけ少なくなるだろう。

 

当然、本ブログも以前より出す数も減り、届く数も減っている。

 

▼そんななか今年届いた50枚にも満たない年賀状の番号を調べてみた。

あった!

喜ぶべきか、ガッカリするべきか、あたり前に1枚だけ「3等」。

だが、実はこのハガキは書き損じだった。

 

書き損じであれ、何であれ63円84円が1枚ずつの切手シートと交換できた。

▼用紙に当選枚数と氏名を記入させられ、当選ハガキはスタンプを押されて戻される。

以前は番号部分を切り取られて戻されたと記憶しているが、

人によっては、いただいた大事な年賀はがきの一部が切り取られるのは気分が悪いかもしれない。

 

郵便局の窓口で「何で切り取るのだ!!?」と女性職員に怒りをぶちまける老害ジィさんがいたのかもしれない。

だから「引き換え済み」という意味のスタンプに変わったのだろう、と想像できなくもない。

スタンプは良い方法だ。

 

当選番号の3等は下2桁が3組あるから、

確率的には年賀状が100枚手元にあれば3枚は当選するのだが、そうはいかない。

 

▼当たりそうで当たらない、3%という確率を視覚的にするとわかりやすい。

 

やはり発行枚数がピークの頃は本ブログにも80枚前後届いた年賀状だが、

3等さえ1枚の当選なしという結果が何年も続いたことがあった。

連続番号で届くわけではないから結果は3%という確率通りにはならない。

 

当然、その逆もある。

70〜80枚くらい届いた年賀状で3等当選が3枚以上の年もあった。

 

昔、ある知人から「オレの出した年賀状、当たっっていたでしょう!

と恩着せがましく問われたことがあった。

当初はどういう意味か全くわからなかったから「さぁ?」とその時は答えておいた。

 

後ほど確認したら彼からの年賀状が3等に当たっていた。

 

彼は自分の出した年賀状の番号と宛先を一つ一つ記録していて、当選番号の発表後、

差し出した年賀状のうち誰が何等に当選しているか確認したのだろう。

 

エクセルなどを使って住所録を管理していれば、それほどメンドイ作業ではないかもしれないが、それなりの作業が必要だ。

 

いずれにしてもその目的は、コンタンは何なのか? 分からず奇怪だ!

コッチは当選番号さえ調べてるヒマさえないというのに、

まぁ、なんて恐ろしく暇な奴なのだ!

 

彼はワルではないが「寅さん」がダイスキで容姿も何となくトラさんに似ている、

その奇怪な知人とはその後、音信不通になっている。

彼は旅に出っ放しかもしれない。

 

熱田神宮の御朱印(愛知・名古屋市)〜 暖かさと冷たさに膨らむ 境内のきしめんは「ぐう」

熱田神宮御朱印

あつたじんぐう主祭神御神体):薙神剣(草薙剣)(名古屋市熱田区神宮1-1-1)

 

熱田神宮御朱印は11年間というブランクがありますが、

何も変化のないほぼ伊勢神宮スタイル。

大きな有名「神宮」は御朱印はシンプルで、構成要素は長年変化しないものが多い。

 

熱田神宮御朱印(2024年)

多忙な1月のせいか書置きだった。

それはやむを得ないと思うが用紙が何とも情けない。

きちんと墨書き・捺印はされているものの、向こう側が透けて見えるお習字練習用紙の半紙並み。

「神宮」である。御朱印の意味に変化はなく、高価な用紙を使用しなくとも良いが程度の問題とも思う。

 

熱田神宮御朱印(2013年)

別宮 八劔宮 摂社 上知我麻神社御朱印(2013年)。

2013年は「八劔宮」と「上知我麻神社」は一つの御朱印だった。

▼2024年現在はそれぞれ別にいただけ、境外摂社の御朱印もいただけるようだ。

熱田神宮御朱印帳。2013年購入だが2024年現在も変わりなく同じデザイン。


熱田神宮の鎮座地は町名にもなっている。もちろん駅名にも使われている。

 

▼金山にあるANAクラウンプラザホテル。

観光ホテルを別にして高級シティホテルは過去2、3回しか宿泊していない。

昼12時チェックアウトという時間的優雅さなのに、ボンビー性格なのか勿体無いことに9時前にホテルを出た。

熱田神宮までは車ですぐ。東門のここでもまだ9時数分前という早さ。

▼朝早い時間なのにはや多くの参拝者で賑わっている。

二ノ鳥居前の団体はアジアの人々だ。広大な敷地の静寂さとザワつきが混同する。

 

▼南の正門、東門から入っても三つ目だから三ノ鳥居になるのだろう。

熱田神宮は三度目の訪問。御朱印はをいただいたのは今回を含め二度目だ。

いずれも時間がなかったり、細かいところに興味のない同行者がいたりで、神社の隅々まで散策したことはない。

得てして有名で大きな神社はそんな状況になることが多い。

神代の時代から続く神社を地元の人たちは関西風にさん付けで「熱田さん」と呼ぶ。

前回記事の多賀神社も「お多賀さん」と呼ばれている。

面白いもので東京では普通「明治さん」とか「靖国さん」とは言わないだろう。

成田さん」の「さん」は「」だから意味が違う。

さん付けの関西・中部での神社は畏れ敬う敬虔な気持ちより、より身近な親しみのある存在なのだろう。

 

▼今回の同行者が絵馬を奉納した。

星形をした絵馬は「しろ鳥」が描かれている。

このしろ鳥は日本武尊が亡くなった時、愛する女性の住む熱田へ白鳥になって飛来したという言い伝えがあるそうだ。

▼それぞれの祈願が叶うことを願うが現実はそんなに甘くないかも?

▼正門の方へ戻って上知我麻神社へ。

祭神は乎止與命(おとよのみこと)だが、両脇の社に祀られる大黒恵比須の方が商売繁盛や合格祈願で有名だそうだ。

上知我麻神社に隣接する八剣宮(はっけんぐう)は信長や家康らの武家の信仰が篤く、修造もされている。

境内を細かく巡っていないが、ここが一番に神聖さを感じる場所だ。

そう感じるのは本宮のように多くの参拝者が見られないせいもあるのだろう。

▼ニノ鳥居付近にある「くさなぎ広場」の一画にきしめん屋が出店している。

その名も「(みや)きしめん」。名古屋きしめんの代表的チェーン店だ。

朝食はANAホテルで食べたばかりでまだ2時間も経過していない。

なおかつ前日もきしめんを食べている。

しかし、出汁つゆの良い香りと暖かい食べ物に誘惑される。

▼オーダーした950円は「白えび入り かき揚きしめん

妙な名称である「きしめん」は、漢字で「碁手麺」または「棊子麺」と書くそうだ。

しかし語源などその由来の正体は不明。

 

初めて食べた昭和のきしめんは300円〜500円だった。

本来そんな価格の食べ物なのだと思っていた。

削り節だけがザクッと盛られたシンプルなきしめんが良いのだと。

 

▼だが、もちろんこれも美味い。千円でまずかったらグウの音も出ない。

まずまずgood「グー」な美味しさ。

グーなんて言葉は死語だが具のカモボコにも「」の字が派手に表現されている。

 

テーブルは全て屋外。この寒さ・冷たさがきしめんの暖かさ・美味しさに一役も二役も買っているのだろう。

夏場ならこうは行かない。

もちろん汗だくになって食す きしめんも悪くない。

いずれにしても、いい香りを放つ関西風の透明のおつゆの「きしめん」は関東のうどんや丸亀、花まるとは一味違う美味しさだ。

 

▼時間は遡って前夜宿泊のANAホテルに戻る。

ボンビーが高級ホテル宿泊だからマウントせずにいられない。

広い、華麗だ、ベッドのクッション性も、枕もサイコー!

▼経験したことのないような煌びやかなバスルームは富裕層には当たり前?

▼窓から見る高い位置からの大名古屋の夜景も、この先何度も見ることがないだろう。

料金は自腹ではないホテルはサイコーだった、やはり「グー)」!

 

 

wave2017.hatenablog.com

 

尾張多賀神社の御朱印(愛知・常滑市)〜神使いのカニ もっと多くどこカニ見つかるはず

尾張 多賀神社御朱印

おわり たが じんじゃ主祭神伊弉諾尊(愛知県常滑市苅屋洞ノ脇51)

 

▲写真右の由緒書きにあるように地元の人は「お多賀さん」と呼んでいる。

発音は「おたかさん」と聞こえたが、それはこちらの先入観で、多分「おたがさん」なのだろう。

関西では寺社を呼ぶ場合は、ほとんど「さん」づけ。

住吉っさん」「天満の天神さん」「お東さん」「えべっさん」などなど。

寺社に限らない。

おはようさん」「おくどさん」「お豆さん」「あめちゃん」、何でも「さん、ちゃん」なのだ。

雅とも言えるが、牛豚などは「お牛さん」「お豚さん」とは言わない。

何に「さん付け」するかは、関西に住まないとその区別はつかないのだろう。

 

関東での多くはそんなに敬意、愛着、親しみなどを単語には込めない。

ここ常滑のように愛知県西部、尾張はそんな関西言葉の地理的な東端にあたるかもしれない。

 

尾張多賀神社御朱印(2024)。

▼境内左手の社務所御朱印案内は書置きだけだった。

授与口で500円ワンコインを手渡して、その場を離れたら「お釣りです!」と言いながら、受付の男性に追いかけられた。

もちろん一旦出したものは覆さない「賽銭がわりに・・!」と。

関西人ではないのだ。

書置きにしてもこのご時世、300円とは、けなげ。

 

本来逆なのだ。

有名寺社は大勢の参拝者が訪れるから御朱印300円で良い。特に書き置きは。

しかし地方の寺社の御朱印を求める参拝者数はタカが知れている。

平日は無人の寺社などで御朱印をいただけたら500円、1000円でも理解ができる。

書置き500円を当たり前にしたのは有名寺社だ。

グチのようになったが、そもそも御朱印に「価格」はなく、その数字を押しつけられるものでもない。

御朱印に対して向き合い方次第で、0(ゼロ)〜∞(無限)で構わないと思う。

とは言え、そうはいかなくなったブームでもある。

 

▼関東人としては多賀神社鎮座地の常滑も「尾張」範疇とは考えにくかった。

だが「尾張国」は愛知県の西部で知多半島全域まで含まれていた。

三河湾に突き出す突端の南知多町まで尾張だとは認識していなかった。

 

▼その尾張国常滑の宿。

この町に泊まるのはそれなりの目的がある。

だから昼夜とも予定があり、寺社巡りなどしていられない。

常滑駅前の「ルートイン」に泊まった翌朝、駆け足で「尾張多賀神社」を往復。

ホテルから車でたった10数分だが 時間がないと長く感じる。

 

▼そんな時間がないなか、ムリムリ訪問したのは昨年UPしたこの記事のため。

カニが神使いとする神社があるとは知らずに、これまでこの地のカニを喰らい、この地を訪れていた。ハズべきことだ。

▼で、参拝なのだ。

▼さっそく神橋の先の手水舎でカニさんを発見。

カニの種類は正体不明。でもこの姿は日本海カニではない。

サワガニっぽい!

▼石段の先にニノ鳥居が見える。朝から駆け上げるハメになる。

▼お出迎えは和かではないが彼らは忠実にお役目を果たしている。

▼二ノ鳥居手前の百度石と両サイドにさざれ石

▼鳥居の先はスコーンと気持ちよく清掃されている長く真っ直ぐな参道。

▼参道途中右手に「奥山半僧坊」の鳥居。

「奥山半僧坊」は静岡の臨済宗方広寺」の鎮守で有名。

▼社殿前の広場にも手水舎。

▼水盤の中で大ガニが泳いでいる。食べでのありそうな かなりの大きさ。

▼この方より2〜3倍大きかった。

当社の起源は1612年、近江国多賀大社から勧請されている。

伊弉諾尊イザナギノミコト)に挨拶。

▼二重になっている拝殿の屋根。

美しいこの造りには確か名称があったはずだが思い出せない。

▼本殿の左に並んでいるのは「山神社」「富士浅間神社」。

「富士浅間神社」は1527年の棟札が残っているそうだから、創建はもっと古い。

この辺りで浅間神社は珍しいかも。

 

急足だからほかにカニが見つけられない。

▼これは当社のHPにアクセントとして使用されているイラスト。

正元山伏が近江の多賀神社から勧請したときに背に蟹がのっていたことから神の使いとされているが、誰の背? 正元山伏の背か?

正元山伏って何者?

 

▼絵馬もカニ。ただしこの写真は借り物。(photo=「photoAC」)

▼もっとたくさんのカニを見つけたかったが、時間のためここまでで断念。

 

▼宿泊ホテルの常滑駅前には主なホテルは2つだけ。

名鉄常滑線がのびている中部国際空港セントレア内にはホテルがいくつかある。

そんな状況からか駅前のルートインは安い。6〜7000円で泊まれる。

これまで別館しか泊まっていないが新しく部屋も広い。

知多半島御朱印巡りや観光の拠点としてはおすすめだ。

 

 

wave2017.hatenablog.com

 

下谷七福神の御朱印【番外】 〜ヨロヨロ寄道、ニギニギしさに スコスコ撤退

下谷七福神コースは寄り道したらキリがないほど、御朱印をいただける寺社と交差している。

そのうちのいくつかに立ち寄ってみた。

▼まずは「鷲神社」。

神社入口は年中賑やかになったように思う。

以前は普段の日はもう少し簡素な佇まいだったように覚えている。

それとも正月を過ぎれば、また簡素なスタイルに戻るのだろうか?

 

▼そうであるとしても正月7日は、まだこの賑やかさ。

▼参拝するのに少しガマンの行列に身を任すことになる。

▼入口から並んでいると手水舎で清めるタイミングを逃すかもしれない。

きちんと柄杓が置かれていてコロナ前に戻っている。

 

▼今回は「鷲神社」が目的ではないので、並ばずに傍から主祭神天日鷲神あめのひわしのかみ)にご挨拶だけ。

社務所では3種類の御朱印と「撮影禁止」の案内が出されていた。

授与所全体が撮禁なのか、授与所内部、御朱印書き手さんなのか判断はつかない。

どちらにしても撮影するだけなら問題ないはずだが、

撮影対象を誹謗中傷、ネガティブな発信のネタにする人たちへの警鐘かもしれない。

 

▼授与所となる「楽殿」へ続くハデな「瑞鷲渡殿」をくぐり振り返る。

この神社イチバンの派手さを見せる建物は誰しもカメラに収めておきたくなるようだ。

 

▼隣接する「長國寺」も酉の市や御朱印人気で名が知れるようになったようだが、この日に参拝者の姿は見あたらなかった。

 

やはり「正月は神社へ」という一般的な人々の心の表れが、寺院には足を向かわせないのかもしれない。

もしくは「ついで」になるのだろう。

 

▼参拝者でごった返す酉の市や、アジサイ祭の時に訪問する機会が多いと境内に気を捉われているヒマはなく、見逃したり、気づかないことばかりになる。

この「妙見堂」も数年前から建っているはず。

だが、じっくりと対面するのは初になる。

イベント時は屋台やテントなどに邪魔され見えないことが多い。

三十番神」なるものは初耳だが、由緒を読み分かったような、分からないような!

法華経守護神の30体が祀られていることは理解できた。

鷲神社を出て「国際通り」を少し南へ。

▼吉原と入谷を結ぶ「金美館通り」は、かつての映画館チェーン「金美館」の名称で、この通りにも映画館があったのだが平成3年に最後の「金美館」として閉館している。

映画館の名称とは言え「金美館」という音の耳への響きは昭和を感じさせる。

「館」という文字がそうさせるのか、銀座の「博品館通り」などもその名称に懐かしさを覚える。

▼その「金美館通り」を西に進み「昭和通り」を横断すると「小野照崎神社」が右手に見える。

▼境内の西に建つこちらの鳥居が元々の参道だろう。左の鳥居は「稲荷神社」。

鳥居前に神橋が架かり、何やらゴチャゴチャしているが最も「小野照崎神社」らしいステキな景色と感じる。

この神社は境内は広くはないが、富士塚や庚申塚など見どころが多い。

稲荷神社」と「織姫神社」は同じ社。

▼足利の「織姫神社」と関係があるかないかは分からない。

▼本殿への挨拶は行列の傍からでしたが、こちらは正面からご挨拶。

▼思いっきりお尻を上げて挑発している! あるいは伏せている?

▼境内では賑やかなイベントが催されていた。

▼正月7日だが、ここも祭神 小野篁に挨拶する本殿参拝には時間を要する。

▼参拝者は並びながら退屈だからイベントの様子を見つめる。

イベント内容はプロのイラストレーターと一緒に絵馬を描くようだ。

楽しそうな絵馬が期待できそうだ。

▼授与所も並んでいる。こちらもパス。

このほかにも下谷七福神沿線には吉原神社、千束稲荷神社、三島神社など寄り道していたら七福神を巡りきれなくなってしまうかもしれない。

江戸から明治〜昭和、そして現在に至る東京の下町の歴史を残す興味深い界隈。

 

また少し新たな発見があった二度目の下谷七福神めぐりだった。

 

 

 

下谷七福神の御朱印【7】 〜元三島神社 七福神ゴールはラブホ街を抜けろ

三島神社御朱印

もとみしま じんじゃ主祭神大山祇命(東京都台東区根岸1-7-11)

 

 

三島神社 下谷七福神 寿老神御朱印(2024年)

三島神社 下谷七福神 寿老神御朱印(2013年)

三島神社御朱印(2017年)

御朱印は石段を上がった先の狭い境内左手の社務所でいただいた。

駅近の神社ということでもあり七福神巡り以外の参拝者も多く、今回、1月7日の下谷七福神巡り中、この神社が一番のニギワイだったように思う。

 

初詣で有名な寺院もあるものの、やはり「初詣=神社」というのが一般的通念だろうから、1月中の神社の賑わいはどこも同じかもしれない。

 

無住の小さな神社でも同様かもしれず、それと比較すると寺院に詣でる人は少ない。

 

神に手を打つか、仏に手を合わせるか、その場所と形は違えど祈る気持ち、願う気持ちは同じなのだろうが・・。

 

▼元三島神社はJR「鶯谷」北口からスグ。

鶯谷」は、その文字を読めても正確に書ける人は少ないかもしれない。

さらに山手線で降りた経験、利用したことのない駅のランキング上位にある。

もっとも山手線の内回り、反時計回りで上野から池袋間の駅名を正確に言い並べられる人は少ないはず。

 

▼そんな名誉ある鶯谷駅の北口。山手線の駅とも思えぬ眺め。

三島神社に直接訪問する場合は、この北口を利用すれば、もう神社は目の前。

しかし今回は下谷七福神を三ノ輪方面から巡っているからこの駅は利用しない。

 

直前に参拝した入谷鬼子母神から寺院前の道を北へ向かう。

▼「鶯谷駅下」の交差点を左に見ながら言問通りを進む。

坂上の先が鶯谷駅南口になり上野の山、高台へと続く。

その高台から見て、ここは下の谷「下谷」なのだが、本来の下谷上野広小路あたりだったらしい。

いずれにしても江戸時代以前は広大な沼沢地だったのだろう。

 

言問通りが高架になり、尾久橋通りと別れる交差点というややこしく、高架の圧迫感があるせせこましい場所に社号標が建つ。

▼社号表の右の細い路地が参道となるわけだが、路地の先はホテル街。

ラブホ街ではあるが、鶯谷駅北口に続く道でもあるので人々が多く行き交う。

▼神社入口前の細い通りもラブホが林立。

東京でこれほど多くのラブホに攻められている神社は他に知らない。

ラブホ街近くに鎮座と言えば新宿の花園神社、湯島の妻恋神社などが思い浮かぶが、ここほどではない。

 

▼一の鳥居の先の狛犬は、子獅子が今にも落ちそうにしがみついている。

▼手水舎は簡素で好感。竹筒の先から水がチョチョロのスタイルが定着。

▼手水舎を正面から撮ろうとしたらステキな欧米の女性とバッティング。

「ソリー!」の言葉と笑顔ですれ違う。

ヨーロッパ人らしい女性二人だったが、それにしてもこの神社に参拝ですか?

ガイドブックに何か特別なご利益などが紹介されているかもしれない。

 

当社は鎌倉時代の弘安年間の創建。

今治市大三島にある大山祇神社から大山祇命が勧請されているが、その神社は江戸時代に下谷金杉村へ移転が命じられ、さらに浅草寿へ移転させられている。

後にそれぞれの跡地に「三島神社」「三島神社」として創建されている。

浅草の神社は「本社三島神社」「寿三島神社」などと呼ばれている。

 

ということで台東区には三島神社が3社鎮座することになる。

 

玉垣に刻まれた「笹乃雪」は創業300年以上の豆腐料理の老舗。

七福神の「寿老神」は社殿内なのか確認できないが、主祭神とともにあいさつ。

と思ったが、この記事を書いているときの写真整理で「寿老神」の居場所がわかった。

▼この写真の右下。かすかに寿老神の文字と姿が見つかった。

次回はこの位置を意識して参拝しよう。

 

▼社殿の位置は高台にあり、上野山からの高台の延長線上先端になるのかも。

▼帰り道は鶯谷駅の北口と南口を結ぶ線路沿いを歩く。

何ともそそられる呑み屋が続く。しかし七福神スタート地点の吉原に車を駐車させている。立ち寄るわけには行かない。

▼もう一度ラブホ街に入り込むと公園の一画に喫煙スポット。

車だからアルコールは飲めないがケムリは吸える。

スモーキングブギして下谷七福神終了!

 

 

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