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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

来迎寺の御朱印(神奈川・鎌倉市)〜西御門にヒッソリ、神社もコッソリと・・・

満光山 来迎寺御朱印

らいこうじ時宗(神奈川県鎌倉市西御門1-11-1)

来迎寺は「鎌倉十三仏霊場」でもありますので、上記掲載のほか、本尊 阿弥陀如来御朱印もいただくことができます。

 

来迎寺御朱印です(2023年)。「鎌倉二十四地蔵 第二番

中央の梵字地蔵尊を示す「カ」。

 

岩を模した台座の上に座していることから「岩上地蔵尊」と呼ばれるそうです

 

来迎寺御朱印です(2013年)。「鎌倉三十三観音 第五番

御朱印は石段を上った先の左手のリッパな「寺務所」でいただきました。

正面右手に授与口があります。

 

来迎寺雪の下の北部にあり、鶴岡八幡宮から歩くと10分ほどの時間が必要です。

鎌倉材木座にも同名の「来迎寺」がありますが、当寺は西御門の「来迎寺」になり、時宗の寺院です。

 

▼寺の住所は「西御門(にしみかど)」。

鎌倉幕府大倉御所の西門があったことから、西門前を南北に通ずる西御門大路の北方の地域を指しています。

金沢街道方面から北へ、ゆる〜い、ゆる〜い坂になっている道を進みました。

▼ガイド板には本尊阿弥陀如来像などの説明があります。

しかし当寺に限らず、また鎌倉に限らず、仏像などの説明はされてはいるものの、普段は公開されていず、訪問者が対面できることはほとんどありません。

もちろん制約はあるものの、当寺でも予約すれば拝観可能ですが、個人一人での訪問では様々な理由から、なかなか難しいのが実情かもしれません。

本来、各霊場をめぐる場合、時間と拝観料などの余裕を持って、それぞれの本尊に合掌すべきでしょう。

 

▼「太平寺」の石碑。

太平時は鎌倉尼五山の筆頭でしたが、1556年に発生した里見義弘による鎌倉攻撃の影響を受けて廃寺となっています。

鎌倉時代以前からの長い歴史の中で戦火などで多くの寺が失われていますが、再建できたものと、残念ながら再建できず廃寺になってしまったものもあるのでしょう。

▼鎌倉観音、地蔵尊十三仏の各霊場の案内石碑。

山号、寺号が彫られた石柱の奥にさらに2本の石柱が新たに建てられていました。

▼これは寺紋?

▼石段を10mほど上った先の左手に本堂が見えました。

来迎寺は鎌倉大地震により亡くなった村民の供養のために、1293年、一向によって開山されたとされています。

▼本堂に掲げられた山号の扁額の文字色が変更されていました

扁額を丸ごと取り替えたのかもしれません。

▼本堂に祀られている美しい仏像の写真を「来迎寺」HPからお借りしました。

左から本尊の阿弥陀如来(鎌倉十三仏)、如意輪観音(鎌倉三十三観音)、岩上地蔵(鎌倉二十四地蔵)。

「鎌倉で最も美しい仏像」とも言われるのですから、一度は本堂に上がり拝観したいものです。上の写真は撮影がウマイことはもちろんですが・・。

 

 

そして仏像は美術品ではあるものの、その前に仏教信仰の対象であることを忘れずに必ず「正座 合掌 礼拝」をお願いします、と寺側の案内があります。

当たり前ではありますが、〇〇年、〇〇作などと言われると、どうしても歴史的、美術的な側面でしか見ない場合もあります。

 

 

たしかに鎌倉の大仏などは見上げる人は多くても、手を合わせる人は少ないかもしれません。

御朱印をいただく場合も同様です。

いただいた御朱印に書かれた仏像に合掌することは当然のことでしょう。

▼墓域はさらに山側に広がりつつあるようです。

 

▼前後しますが、来迎寺石段手前に気になる小さな神社がコッソリと鎮座します。

2013年から2023年の訪問ですが、何も変わっていません。

▼「西御門 八雲神社」の案内には創建は不明、社殿は天保三年の建造とあります。

天保年間ですから江戸時代末期の建造になります。

鎌倉大町の「八雲神社」は有名ですが、こんなところにも同名神社が鎮座です。

▼小さな祠は稲荷社でしょうか?

▼鳥居と比較して相当ブットイ大木は、ヒッソリとした来迎寺と神社の長い時間を見つめてきたはずです。

古木を手で触れてみれば鎌倉西御門の歴史の鼓動が感じられるかもしれません。

 

wave2017.hatenablog.com

 

東覚寺の御朱印「谷中七福神」❶(東京・北区)〜赤紙「ペタペタ」したら裏庭に回る

白龍山 寿命院 東覚寺御朱印

とうがくじ真言宗豊山派(東京都北区田端2-7)

 

東覚寺御朱印です(2023年)。 御府内 第六十六番

 

東覚寺御朱印です(2020年)。 御府内 第六十六番

 

東覚寺御朱印です(2020年)。 「谷中七福神 福禄寿

東覚寺御朱印です(2011年)。 「谷中七福神 福禄寿

 

御朱印は境内左手にわかりやすい案内がありました。

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▼散華のお守りなども置かれていましたが、写真がボケてますね。

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▼北区、荒川区台東区に広がる谷中七福神のなかで唯一北区にある東覚寺です。

田端駅」から徒歩で5、6分。

 

▼正月、谷中七福神の期間中はとても大勢の参拝客が訪れます。

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▼2011年に初の訪問をしてから、数回目の参拝となりました。

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▼寺の塀の外に「六地蔵」。オンカカビサンマエイソワカ

▼赤いおべべのない凛々しい地蔵に対して、こちらは小僧さんのようなカワイイ像。

ミカンと10円が人々の心をあらわしています。

 

▼山門から境内に入る前に右手に新し目のお堂があります。

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護摩という案内を見つけましたが扁額は「明尊殿」となっています。

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▼そしてお堂の前に立つ赤札まみれの物体が、東覚寺を有名にした「赤札仁王尊」。

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元の形が分からないような状態になっていますが、

赤紙の下は1641年、江戸時代初期に造立された石造仁王像。

▼まるで、ポンキッキの隣にいるこの人みたいですが、名前を忘れました。

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仁王像は他でもよく見かけるように、元々は疫病退散を願って造立されたものが、

いつ頃からか身体の不都合な箇所と同じ部分に赤紙を貼るようになったのでしょう。

観音や地蔵、おびんずるさまを「ゴシゴシ」「フキフキ」「ナデナデ」するのと同じですが、

ここでは赤い紙を「ペタペタ」です。

そう言えば地蔵さんを「縛る」「しばられ地蔵」というのもありましたが、

病気平癒ではなく盗難よけなどがご利益です。

 

昔も今も人間を長く経験していると必ず身体の不都合が生じてきます。

医療など自由に利用できなかった当時の人々は薬師に祈り、観音や地蔵にも祈ったのでしょう。

しかし赤紙を「ペタペタ」するようになったのは明治期になってとも言われています。

 

▼そして無事平癒したらワラジを納めるそうです。

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奉納されたワラジの数はたくさんの方達が「赤札仁王尊」に救われたアカシでしょう。

石造の仁王さんの健脚をイメージさせた奉納物かもしれません。

 

▼仁王像の並びに石造の不動明王もいらっしゃいます。

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▼東覚寺は1491年に神田に創建され→根岸→田端と移転してきたそうです。

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▼境内では弘法大師千百五十年遠忌の記念石塔がそびえ立ちます。

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▼本堂前に小さな狛犬。「小粒だけど他の仏像たちに負けないよ!」

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▼谷中七福神福禄寿」は、扉が開けられた本堂最前面に出張されていました。

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福禄寿」は、幸福の、身分をあらわす、寿命を表わす寿の3文字から成り立っていますが、説明がいらないほど分かりやすくお目出度い3文字の神です。

 

▼境内は広くはありませんが、大小さまざまな仏像があちらこちらに置かれています。

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▼本堂前のこちらは「弘法大師」。修行中の空海でしょう。

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▼そして金ピカの「大日如来」。

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寺務所前にも金ピカ「阿弥陀如来」が座っていらっしゃいます。

 

▼こちらは「文殊菩薩」?

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▼こちらは「地蔵」に間違いありません。

▼さて、此方は?

▼時々見かける、寺社になぜ二宮金次郎報徳思想? 金次郎は深い!

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しかし、台座には「南無遍照金剛」? んん〜〜〜ン?

 

▼本堂裏に回りましょう! 東覚寺の一番の見所かもしれません?

七福神期間中のみの公開かもしれませんが、見事な庭が広がっています。

▼えびす像は・・・

▼思いっきりの笑顔です。

この庭園にも様々な仏像が立ちます。

▼「弁財天」。

▼澄んだ池の中で鯉たちが戯れます。

▼「稲荷社」です。

▼「福禄寿」でしょう。

▼「僧形 八幡神」は、快慶作の模刻だそうです。

▼大小様々な仏像が点在。

大したものです。近辺でこれほどの仏像に出会える寺院は他にありません。

 

しかし、数々の仏像名が思い出せなくて頭が痛くなってきました。

おデコに赤紙、貼ります!

 

[2020.12.23-rewrite 2023.01.31]

 

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寛永寺 開山堂(両大師)の御朱印(東京・台東区)〜「輪王寺」は寺名ではなく宮様の称号

東叡山 寛永寺 開山堂(両大師)の御朱印

かんえいじ かいさんどうりょうだいし)」天台宗(東京都台東区上野公園14-14)

 

 

寛永寺 開山堂両大師)の御朱印です(2021年)。

 

 ▼寛永寺 開山堂両大師)の御朱印です(2016年)。

 

寛永寺 開山堂両大師)の御朱印です(2012年)。

御朱印は本堂内の右手受付でいただきました。

かつては「両大師」の御朱印しかありませんでしたが、

2021年には「慈恵大師」「慈眼大師」の御朱印もいただけるようになっていました。

 

▼開山堂は上野公園の東外れにあり、JR「上野駅 公園口」からすぐです。

 

▼すっかり整備され綺麗になった上野駅公園口前の広場です。

以前は上野山下の中央通りから公園通り経由でここまで車で進入できましたが、

▼現在は公園の北側からしか進めないロータリーになってしまいました。

渋谷、新宿ほどの勢いではない変化ですが、上野も少しずつ様子を変えています。

▼公園口から北に向かうと広い通りの向こうに見える大きな門は「寛永寺旧本坊表門」。1868年、上野戦争で焼失された寛永寺ですが、旧本坊表門だけは残りました。

▼その表門の左手に開山堂、両大師の「山門」が構えられています。

この寺の正式名称はよくわかりません。

開山堂寛永寺の伽藍の一部でしょうが、wiki では輪王寺としても紹介され、別名や通称では慈眼堂両大師堂とも呼ばれています。

両大師とは慈恵大師慈眼大師を示し、

慈眼大師じげんだいし)=天海寛永寺の開山です。

慈恵大師じえだいし)=元三大師良源比叡山延暦寺中興の祖です。

元三大師角大師・豆大師・厄除け大師などとも呼ばれます。

寺の名称も僧の名前もそれぞれ別名・通称がいくつもあって、頭の中は大混乱です。

さらにややこしくさせるのは御朱印に書かれている「上野 輪王寺門跡」の文字です。

門跡」はご存知、皇族・公家が住職を務める寺を表します。

輪王寺門跡輪王寺宮門跡輪王寺宮天台座主寛永寺貫首、日光山主です。

と、表してもまったく理解不能かもしれません。

 

いずれにしても「輪王寺」は、宮様個人の称号で、寺号ではないのです。

寛永寺貫主輪王寺宮」と尊称されていたわけです。

 

江戸時代前期に始まって幕末まで皇族が代々の輪王寺宮になるべく、関東に下向している事になります。

 

▼幕末の最後の輪王寺宮北白川宮能久親王)については、上野戦争から逃避行する宮を描いた吉村昭の小説「彰義隊」に詳しく知ることができます。


 

▼山門をくぐるとすぐ左に「地蔵堂」。

二体の地蔵像が祀られています。

 

▼その反対側は「阿弥陀堂」。新らしそうな造りです。

阿弥陀如来地蔵菩薩虚空蔵菩薩の三体がいらっしゃいました。

 

▼少し離れたところに「鐘楼」。

▼参道から少し下がったところに「手水舎」です。

手前にはかなり古そうな水盤も置かれていました。

▼満々と水を湛えています。

▼本堂は上野戦争でも残ったものの、後に別な火災で焼失して、1993年に再建。

寛永寺の諸堂のうち、清水観音堂や不忍池弁天堂・大黒堂は多くの訪問者が絶えませんが、ここはいつ訪れても参拝者は少なく静かな境内です。

堂内は撮影禁止。

▼外からの撮影で一体の仏像だけパチリ!

▼季節の良い時期は参拝者も多い。ここに若い人は珍しい。

▼「寝釈迦石」はお釈迦様が寝ていた跡なのでしょうか?

▼境内を東に出て振り返った絵です。

▼この門は、谷中にあった幸田露伴の旧宅から移築されたもの。

露伴の門を出ると、来るときに見た旧本坊の表門を内側から見ることになります。

▼そして広い駐車場と、その奥は「輪王殿」。

 

▼広大な上野公園とアメ横でいただける御朱印記事。

     

wave2017.hatenablog.com

 

 

 

瑞泉寺の御朱印(神奈川・鎌倉市)〜「どこへ」逃げ出しても「どこも苦」、 「どこもらく」はない?

錦屏山 瑞泉寺御朱印

ずいせんじ臨済宗円覚寺派(神奈川県鎌倉市二階堂710)

山号錦屏山」の読みは「きんぺいさん」。

 

瑞泉寺御朱印です「鎌倉二十四地蔵尊」(2023年)。

どこもく地蔵尊」奇妙な名称です。

 

瑞泉寺御朱印です「鎌倉三十三観音」(2013年)。

御朱印は山門をくぐった先の建物内でいただきました。庫裏?寺務所?方丈?

 

円覚寺など北鎌倉の寺院に次いで知名度の高い寺ですが、鎌倉駅からは遠い。

瑞泉寺は1年を通じて様々な植物が楽しめる花寺として知られていて、

メジャーな寺院ですが、鎌倉駅から直接歩くと30分以上必要です。

もちろん観光都市鎌倉は主な寺社方面に向かうバスが数多く運行されています。

でも多くの観光客は荏柄天神社や鎌倉宮などを訪問し、その延長線上で瑞泉寺を参拝することが多いかもしれません。

 

何度も訪れていて、謂わゆる「土地勘」もある鎌倉ですが、

何しろ山々に深く狭く切り込むような「谷戸(やと)」の多い土地柄なので、

ある地点から目的地までの最短距離を探っても、

山を大きく迂回するようなルートしかない場合があります。

 

2023年に訪問したのは「光触寺」を参拝した後で、

瑞泉寺へ向かうのには金沢街道を西に戻るように山を大きく迂回する3kmほどのルートが普通でしょうが、

直線距離はもっと短いはずと、googlemapで探したら、ありました。

▼「天園ハイキングコース十二所側入口」から進むルートが見つかりました。

距離は半分くらいになって1.6kmほど。

 

光触寺をあとにして十二所の住宅街を抜け山に入ります。

天園ハイキングコース」のメインルートに合流する登り口です。

しかしこのルートを使用する人は少ないようで道は狭く荒れ気味で、何よりは藪が頭上に覆いかぶさっていて屈むように進むことになりました。

ルートの難所は標高差70m、その距離400〜500m。

ですが、たかをくくってしまいました。

▼ところどころぬかるむ登山道に足を取られ、藪漕ぎのような気持ちです。

建長寺から瑞泉寺に至る天園メインルートは、よく整備されていて、こんな狭くぬかるんだコースではないはず。

▼「天園ハイキングコース」メインルートに合流直前はこんな道です。

googleさん、やってくれます! 確かに徒歩最短ルートでした。

これはgoogleの車ルート最短案内でも経験していることなので拍手ものです。

▼メインルートと合流するとやっと空が見えました。ここからは下るだけです。

瑞泉寺参道途中に降りてきました。

▼少し西に戻って「総門」から参拝スタートです。

▼総門から山門までは200m以上あります。

▼フラフラッと梅の木の小径に入っても進めます。

▼車での訪問ならばこの先まで進んで、拝観受付の先に駐車スペースがあります。

▼「史跡瑞泉寺境内 名勝瑞泉寺庭園」の石柱が建ち、なだらかな石段が続きます。

▼「夢窓国師古道場」の石柱。夢窓国師夢窓疎石)は瑞泉寺の開山。

語呂が似てますが麻雀の「国士無双」ではありません。

禅僧「夢窓国師」は作庭家でもあり、京都天龍寺西芳寺の庭園が有名です。

▼少し急ですが、左手に古刹ならではの趣のある旧石段へ進むこともできます。

▼そして、やっと「山門」です。

▼山門周辺にいくつかの石碑が見つかります。

▼「松陰吉田先生留跡碑」と書かれています。

1854年吉田松陰は米国への密航を実行する前に、伯父である瑞泉寺住職に会いにきたと伝わります。

松陰は何度も瑞泉寺に足を運んでいたようです。

 

▼「山崎方代歌碑 」。「やまざき ほうだい」は甲府出身の歌人

「手の平に豆腐をのせて いそいそと いつもの角を曲がりて帰る」

 

▼「吉野秀雄歌碑」。吉野は明治生まれの歌人・書家・文人墨客。

「死をいとひ生をもおそれぬ人間のゆれ定まらぬこころ知るのみ」

 

▼山門手前右手にあるのが「手水場」のようです。 水盤もないので皆んな見逃します。

この創りは夢窓疎石のセンスかもしれません?

 

▼ここまで相当の道草でしたが、いよいよ山門をくぐりましょう。

▼山門の先の風景です。

▼傍らには半跏趺坐の像。地蔵?

▼鐘楼は「錦屏晩鐘」という名称がつけられています。

鐘楼周辺には大宅壮一の文学碑なども見かけられます。

瑞泉寺は開山当初から禅宗文学が盛んで、鎌倉には近代まで多くの文人が集い、住み、多くの文学作品が生まれています。

そんな経緯から鎌倉では文士たちの文学碑が数多く見られるのでしょう。

▼「本堂」です。

瑞泉寺は1327年、開山を夢窓疎石として鎌倉幕府幕臣により創建されています。

当初は瑞泉院と呼ばれ、鎌倉公方足利家の菩提寺となっていたそうです。

また夢窓疎石円覚寺南禅寺浄智寺などの住職にも就いていました。

 

瑞泉寺観音堂はないので、「鎌倉三十三観音」の千手観音は本堂内に待つあっれているのでしょう。

梅の木が目立ちますが、瑞泉寺は1年中様々な花で彩られますが、さすが1月は水仙が見られるだけでした。

▼境内左手奥に鎌倉二十四地蔵尊の「どこもく地蔵」が祀られている「地蔵堂」です。

どこもく」とは何とも奇妙な聞きなれない言葉ですが、

その昔、地蔵堂の堂主があまりの貧苦から逃げだそうとすると、地蔵が夢枕に現れて、「どこもくどこもく」 と告げたそうです。

苦しいのはどこも同じ「どこも苦」、そこから逃げ出すな、ということのようです。

語呂から妙な文字を想起させられました。

DOCOMO 苦」では叱られそうですが「DCOMO 9」ならば大丈夫でしょう。

でも近頃のDOCOMOの業績は悪くないようで「どこもらく」が適当かもしれません。

地蔵堂前には大黒、布袋像もありますが、堂内奥には高さ160cmくらいありそうな立派な地蔵像が立ちます。

▼本堂裏手からは茶室も見え、天台山、錦屏山を背景とした夢窓国師が作庭した名勝「石庭」が続いています。

▼石庭は時間や季節のよって様々な表情を見せるのでしょう。

岩盤を掘り込んで作られた冬の石庭は迫力はありますが、寒々と荒涼たる姿のようにも見えます。

同じ「石庭」でも京都の龍安寺などとは趣がかなり異なります。

やはり「史跡瑞泉寺境内」は、様々な花が咲き誇る時季の訪問がベターでしょう。

▼2月中旬には数多い梅の木も花がほころび始めます。

▼「どこもく」の下界へ戻ります。

 

▼鎌倉三十三観音1番〜八番までの御朱印掲載記事。

wave2017.hatenablog.com

浅草寺の御朱印まとめ(東京・台東区)〜2012から2022年、11年間の10体+御詠歌+重ね印

金龍山 浅草寺御朱印

せんそうじ聖観音宗(東京都台東区浅草2-3-1)

 

浅草寺御朱印をまとめてみました。

2012年の御朱印が一番古く、数えると2022年現在で、10体ありました。

 

▼直近では阪東三十三観音霊場専用朱印帳に重ね印をいただき、別の朱印帳に御詠歌をいただいています。

重ね印は日付を入れていただける場合と、印だけの時があります。

日付が入っている事はウレシーのですが、いずれ重ね印の数が多くなってくれば日付を入れるスペースは無くなってくる事になります。

 

浅草寺ではこれまで4種類いただいていますが、御詠歌を加えれば5種類になります。

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左から「坂東三十三観音霊場」第13番

   「江戸三十三観音霊場」第1番

   「浅草名所七福神大黒天

   「影向堂九尊仏

2022年現在「九尊仏」の御朱印は授与が無いようです。

 

御朱印は「影向堂(ようごうどう)」でいただきますが・・・

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▼堂内には3種類の案内しかありません。やはり「九尊仏」は外されたようです。

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飛鳥時代の創建と伝わり都内最古であり、全国トップクラスの観光地でもある寺の正式名称は、

金龍山 浅草寺」ですが

あさくさかんのん」の名称の方が親しみやすいかもしれません。

 

浅草寺の宗派は聖観音宗で、本尊は絶対秘仏の「聖観世音菩薩」。

梵字と「聖観世音」が墨書きされる「坂東13番」の御朱印です。

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浅草寺坂東三十三観音」第13番札所御朱印(2022年)。

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右上から「阪東拾三番」、中央の印は「観世音」、左下は「浅草寺」でしょう。

」ではなく「」となっています。

 

浅草寺「坂東三十三観音」第13番札所御朱印(2021年)。f:id:wave0131:20220113192414j:plain

浅草寺「坂東三十三観音」第13番札所御朱印(「四万六千日」2018年)。f:id:wave0131:20220113192311j:plain

浅草寺「坂東三十三観音」第13番札所御朱印(2018年)。f:id:wave0131:20220113190606j:plain

浅草寺「坂東三十三観音」第13番札所御朱印(「午歳結縁」2014年)。f:id:wave0131:20220113190615j:plain

浅草寺「坂東三十三観音」第13番札所御朱印(2012年)。f:id:wave0131:20220113190621j:plain

「坂東三十三観音」専用納経帳にいただいた御朱印です。

 

▼その専用納経帳に重ね印をいただきました(2022年)。

▼そして御詠歌です(2022年)。

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坂東13番とは右上のスタンプだけが異なる

浅草寺江戸三十三観音 札所第一番」の御朱印(2012年)。

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何も指定せずに御朱印をお願いすると「坂東13番」になります。

江戸三十三観音」の御朱印をいただきたい場合は、その旨をはっきり伝えましょう。

 

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御朱印受付けの「影向堂」では本尊の聖観音像を中心に、

十二支の守り本尊である8体の仏像が横一列に祀られています。合計して9像です。

その9体を「九尊佛」と呼ぶのでしょう。

浅草寺 影向堂「九尊佛」の御朱印(2013年)。

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中央の印が90°左に傾いてしまったようです。

もっとも90°ひっくり返しても、小さな文字の干支は読めても、大きな刻印は読めませんので何の問題もありません。

 

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浅草名所七福神」は「あさくさ などころ しちふくじん」と呼びます。

浅草寺では「大黒天」が祀られています。

浅草寺浅草名所七福神 大黒天」の御朱印

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「大黒天」の御朱印の墨書きは、書き手さんそれぞれの筆運びの特徴がよく現れています。

 

浅草寺浅草名所七福神 大黒天」の御朱印(2022年)。

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浅草寺浅草名所七福神 大黒天」の御朱印(2018年)。f:id:wave0131:20220113190714j:plain

浅草寺浅草名所七福神 大黒天」の御朱印(2013年)。f:id:wave0131:20220113190720j:plain

御朱印は本堂左手にある「影向堂(ようごうどう)」でいただきます。

 

浅草寺は何度も記事にしていますが、これまで寺に関する具体的な内容は上っ面だけで、境内などの詳細は記事にしていません。

▼今回も「2022. 01. 01」の浅草寺の様子を3枚だけ掲載です。

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「雷門」前の通りは車は通行止にされ、参拝者の列がジグザグにつくられていました。

 

▼「仲見世商店街」は全く人の流れが動きませんので、こちら「裏通り」を進みます。

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▼「本堂」前。「裏通り」を進んで来てもフェンスがあり、参拝できません。

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元日ですのでやむを得ません。ここから参拝でした。

1月中に改めて参拝することにします。

[2022.01.14-rewrite 2023.01.25]

 

▼「浅草寺」関連記事。

wave2017.hatenablog.com

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