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御朱印迷宮 /Goshuin Labyrinth

御朱印収集目的には殆ど役立たずなブログ!かも

宝勝院の御朱印(千葉・いすみ市)〜「いすみ鉄道」と「夷隅不動尊」と「西国三十三観音」同時巡礼

▼幸野山 宝勝院 聖王寺「夷隅不動尊」の御朱印です。

天台宗/千葉県いすみ市苅谷307)f:id:wave0131:20210611100546j:plain

 

▼高齢のご住職に揮毫いただきました。宝勝院西国三十三観音」の御朱印f:id:wave0131:20210611100610j:plain

▼関東三十六不動 第34番 宝勝院「夷隅不動」の御朱印f:id:wave0131:20210610201548j:plain

▼2012年、高齢のご住職の記憶が鮮明な「宝勝院

wave2017.hatenablog.com

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▼千葉県に「いすみ市」なんて、平仮名の市があったのかしら?

あるのです、2005年から。

でも「いすみ」という駅もなければ、町もありません。

平成の大合併」が行われる前は「夷隅郡夷隅町」でした。なくなりました。

市内の主要な街は市役所がある海辺の町「大原」でしょうか?

 

大原駅」は「外房線」と「いすみ鉄道」の乗り継ぎ駅でもあります。

千葉外房の「大原駅」から「上総中野駅」で鉄道名称を「小湊鉄道」に変え、千葉内房五井駅」を結んでいます。

 

▼【るるぶ】さんからお借りした「いすみ鉄道」の写真です。

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さすが【るるぶ】さん、見事に「旅をしたくなる」写真を掲載されています。

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しかし、見せる写真と現場に身を置いて、この場合は鉄道に乗って見える景色は大きく異なります。

と言うか、この風景は目にできません。

もう、この経験は何度もしています。

もちろん、現場に立った時の景色とPR写真が大きく変わらない場面も多くあります。

 

どちらにしても「いすみ鉄道」はレトロな車両もあり、
1両編成の車両がのどかな風景の中をトコトコと進むことには間違いありません。

 

▼借り物の写真ばかりで身の縮む思いですが、【いすみ鉄道】のTwitter

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さて「宝勝院」は、いすみ鉄道国吉駅」から徒歩3分ほどで、ほぼ駅前という位置にあります。

▼寺の起こりは室町時代天平年間と伝わります。
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当初はこの地の名称「刈谷」をとって「刈谷不動尊」と呼ばれていたそうです。

 

その後、荒廃した寺は江戸時代に再興されています。

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「夷隅不動尊」となったのは再興後のことでしょう。

 

▼「本堂」には本尊の「釈迦如来」と、御朱印をいただいた「西国三十三観音」像が祀られています。

f:id:wave0131:20210610201603j:plain西国三十三観音」が祀られたのは、いつなのかわかりません。

寺が創建された頃には「坂東三十三観音」は整っていたでしょうから、
やはり遠い西国にも巡礼したいと願う人たちに、便宜的にここで「ミニ西国三十三観音」に参拝していただこうという発想だったのでしょう。

 

日本全国に各地域の「三十三観音霊場」がありますが、ここ宝勝院聖王寺では本堂の「三十三観音」を参拝するだけで西国を巡ったのと同じご利益が得られるのでしょう。

 

▼「不動堂」には「萬木城 病門除 安産厄除 不動尊」と記されています。

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万木城」は、現在のいすみ市にあった城で、満喜城万騎城とも呼ばれていました。

病門」とは「裏鬼門」と理解されるそうです。

御田八幡神社の御朱印(東京・港区)〜「アモイ像」に似た 元禄生まれの狛犬にご対面

御田八幡神社御朱印です。(東京都港区三田3-7-16)

f:id:wave0131:20210618170324j:plain日付以外の墨書きは残念なプリントですが、朱印はしっかり押捺されたものでした。

当初は中央の丸い朱印が読めませんでしたが、後ほど由緒などを頼りに解読!

武蔵国 御田八幡宮 御田郷」でしょう。

左下は「 御田八幡神社 社務所」。

 

▼2021年4月は書置きの授与でした。

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▼神社は国道15号「第一京浜」沿いに鳥居が建ちます。

第一京浜」は昔の東海道。その東はすぐ江戸湾の海岸でした。

神社の裏は高台になっていて現在は「三田四丁目」。

 

▼その高台からの光景を広重が「月の岬」と題して「名所江戸百景」にしています。

f:id:wave0131:20210621143100j:plain「月の岬」の素晴らしい見晴らし先の海は、現在は「ビルの海」と化しています。

同じく、座敷の手すり下の現在は、激しい車の往来が24時間途絶えません。

 

▼そこに社号標が建ちます。

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▼「第一京浜」を横浜方面へ走ると、神社の持ち物でしょうがマンションの壁面に、恥ずかしいほどに大きな金文字が目につきます。

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神社を徒歩で訪問する方は、最初に鳥居を見つけたら、それ以上の真上は見ないはずですので、ほとんどの方がこの文字に気づきません。

神社のことを知らなかった頃は、失礼なことに「ごた」「おんだ」と読んでいました。

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さらにこの神社前を車で数えきれぬほど走り抜けているのに、これまで参拝していませんでした。

駐車場が見つからなかったからです。

▼しかし実は、この鳥居をくぐって少し先の右側に数台分の駐車場があることを今回参拝して初めて知りました。

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今回までこの鳥居の先に駐車場があるとは知らず、この日も神社裏の高台に車を止めての参拝です。

いつものことですが、道路に面している鳥居下の細い参道を無神経に車で乗り入れるのは勇気のいることです。

 

▼鳥居の先に参道を進むと石段が二手に分かれます。この右手が駐車場です。

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社殿のバックは鬱蒼とした森になっています。

港区のこの辺では、ここだけに見られる自然の樹木たちに覆われる神社です。

 

▼どちらを選んでも勾配はそれほど違わないと思われますが、一応「男坂」「女坂」なのでしょう。f:id:wave0131:20210618170428j:plain

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▼石段下の狛犬は金網で保護されています。こちらは数ヵ所が傷んでいます。

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▼古そうなので、江戸時代頃のものかもしれません。

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▼石段の先は右手に手水舎。2021年、水はありませんでした。

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▼正面に社殿です。一人の女性が真剣に長い時間お参りされていました。

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主祭神八幡神応神天皇誉田別尊命)で、1300年の歴史を持つと伝わっています。

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▼社殿前の狛犬はさらに古いもののようです。足も太くガッシリしています。

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イースター島の「アモイ像」を連想させられる風貌です。少しお怒りのようですが。

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台座には「元禄九年 十二月」の文字が読めました。

あの赤穂浪士が吉良邸へ打ち入った6年前という事です。

こういう風貌の狛犬たちに巡り合うたびに興味ランキングが上がります。

 

歴史を持つ寺社は、ほとんどが戦火などで何度も建物を焼失しています。

御田八幡神社の社殿も戦後に再建されたものです。

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神社は「稗田神社(ひえだ)」から「三田八幡神社」、さらに明治期に「御田八幡神社」と改称されています。

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▼本殿のすぐ裏は高台からの崖になっています。

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▼社殿左手にある「御嶽神社」と「五光稲荷神社」の境内社が並びます。

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こちらは比較的新し目の造りで、神社内で唯一華やかな朱色を放っています。

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▼少々荒れ気味の本殿下をよく見ると、片付けられたような朱色の古い鳥居が重なっています。

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▼片付けられているのではなく、整備が進められていない稲荷社でした。

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▼狐たちには崖下の巣穴のような稲荷社のままの方が住み心地が良いかもしれません。

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狐たちが集まると周辺の空気が変わるのは、どこでも言えることです

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社務所前の古い石造りは「百度」と刻まれているので「百度石」?

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▼中は箱のようにくり抜かれていました。単純な百度石ではなさそうです。

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▼何かの礎石でしょうか。古い名称の屋号と名前が刻まれています。

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二文字屋 平七」何者なのでしょう? 現在は福島県に極少数「二文字屋」の苗字を持つ人がいるそうです。

 

▼さて、駐車した高台方面へ戻ります。神社裏にできている階段を登ります。

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けっこう高低差があります。

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ボードウォークのような、こういう階段は最近東京で多く見かけます。

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同じ港区の愛宕山にもあったように記憶します。

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ここまで上がってくれば、江戸時代には江戸湾が見えたことでしょう。

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▼階段の上は「亀塚」が保存されている「亀塚公園」になっています。

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公園の先の道路は「聖坂」。

高台が上下する地域は「潮見坂」「幽霊坂」「伊皿子坂」「魚籃坂」などといわくありげな名称の坂だらけとなります。

 

▼その「聖坂」通り沿いに「済海寺」があります。

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江戸三十三観音」巡礼の時にはお邪魔している寺ですが、バックの巨大ビルは覚えがありません。

 

▼機能的で素っ気ないイメージの寺ですが・・

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▼整えられた小さな庭もあります。

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▼「最初のフランス公使宿館跡」。

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1858年、安政5年に江戸幕府が欧米諸国と修好通商条約を結ぶと、現在の港区内の寺院に、各国の公使宿館が置かれ始めました。

 

▼初代アメリカ合衆国公使館が置かれた善福寺の記事。

▼何年か前にここにお参りして御朱印をいただきましたが、もう遠い昔の事のようのに思えます。

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▼「観音堂」はしっかり鍵がかけられていました。

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イラスト御朱印授与の寺社訪問で忙しく、
「昭和新撰 江戸三十三観音札所」を新たに巡る人は少ないのかもしれません。

少し寂しげな観音堂でした。

 

▼「昭和新撰 江戸三十三観音札所」 21〜30番の御朱印記事。

wave2017.hatenablog.com

秋葉山 円通寺の御朱印(名古屋・熱田区)〜大混乱解釈の三尺坊大権現

▼補陀山 圓通寺御朱印です。(曹洞宗/愛知県名古屋市熱田区神宮2-3-15)f:id:wave0131:20210609192652j:plain

御朱印をお願いしたのは、もうほとんど夕方も遅い時間でしたが、若い僧侶さんの笑顔の対応で、もちろん直書き。

おまけにこの「秋葉大権現」は素晴らしい筆跡でした。

 

▼2021年6月現在【Twitter秋葉山円通寺】に御朱印案内がありました。

どうやらシール形式の書置きで、月毎に2、3種類の御朱印を授与されているようです。

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どの寺社も、まるで強迫観念のようなものに追われているのではないかと勘違いさせられるほど「イラスト付き」の御朱印の授与となっています。

 

冒頭に掲載した、2013年の日付の御朱印内容であればイラストなど無用に思われます。

 

しかし、やはり全く同じ内容の御朱印をいくつもいただく人は少ないでしょう。

月替りや限定などにして、何度も寺社に足を運んでもらう、そしてより寺社を知ってもらう、親しんでもらうことが目的なのでしょう。

 

それにしても、エスカレート気味の御朱印も時々見かけます。
ここ円通寺は別にしても・・・。

 

いまだ「御朱印 Revolution」の嵐真っ只中!というわけです。

 

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▼「円通寺」は「熱田神宮」の南隣りに位置します。

元は熱田の「神宮寺」として建立されたと伝わります。

 

▼寺号標は「秋葉出現道場 圓通寺」となっています。

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秋葉」という名称がつくと=「火防」というくらいの単純な知識しかなく、他の詳しい事は分からなくなります。

 

円通寺日本武尊空海の伝承がありますので、寺の起こりは古く不詳です。

曹洞宗の寺で本尊は「釈迦如来」ですが、
御朱印は「秋葉大権現」、寺印も「熱田秋葉山」となっています。

 

一般には「秋葉山円通寺」と呼ばれているそうです。

 

 

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さて、寺号標にある「秋葉出現」ですが、寺の由緒を要約します。

日本最古唯一秋葉大権現ご出現の霊場

熱田神宮秋葉社が草創である圓通寺は、開山の高徳を慕って多くの修行僧が集り、その中に秋葉三尺坊が僧形と化して修行した。
そののち印可証明を受け仏祖正伝の法脈を授けられた時、歓喜のあまり、狗賓の正身(天狗僧形の姿)を現わし、「鎮防火燭」の秘呪と護符を捧げ、永く圓通寺の鎮守を誓ったといわれる。

これが「秋葉出現」のようです。

鎮防火燭(ちんぼうかしょく)」は「火災を鎮め防ぐ」というような意味でしょう。

また、

開山より「羽休(ほねやすみ)」の道号を授けられた

ということから「羽休三尺坊」とも呼ばれるそうです。

 

 

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現実の山の「秋葉山」があるのは静岡・浜松市で、
その山に建つ「秋葉寺」も「秋葉三尺坊大権現 出現霊場」としています。

 

そして同じ山に建つ「秋葉神社」を指して、
当山の火防の霊験とは無関係の宗教施設である」としています。

 

ここまで書いてきたものの、まとまりもなく何を言いたいのか、本人も分かりません。

 

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きっと確かなことは

「補陀山 円通寺」=「秋葉山 円通寺」=「秋葉三尺坊大権現」=「羽休の秋葉」なのでしょう。

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▼【円通寺】のHPからお借りした「秋葉三尺坊大権現」像です。

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もう一つ確かなことは、

秋葉権現」とは、秋葉山山岳信仰修験道が融合され、火防の霊験で広く知られた神仏習合の神。

「秋葉」=「秋葉権現」=「秋葉大権現」=「秋葉三尺坊大権現」というわけです。

 

別名が多く、表現も多様で、伝説も様々、そして我こそが「元祖」とする多くの寺社、さらに「神仏分離」がややこしくしていて、

やはり、よくわかりません!!?

 

三尺坊大権現御朱印記事。

wave2017.hatenablog.com

 

七社神社の御朱印(東京・北区)〜「飛鳥の小径」でアジサイのシャワー、そして渋沢栄一に遭遇

七社神社御朱印です。(東京都北区西ケ原2-11-1)

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右下の福禄寿のスタンプが渋沢栄一に変わっていました。

 

七社神社御朱印(2021年)。

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左上のスタンプの文字は「御衣黄」は「ぎょいこう」と読み、桜の品種の一つ。名前の由来は、咲き始めが貴族の衣服の萌黄色に近いためと言われています。

拝殿の左右で同じ八重桜の「御衣黄」と「福禄寿」が咲くそうです。

 

七社神社御朱印(2018年)。f:id:wave0131:20210614172251j:plain

▼21.06現在、御朱印は直書きいただけます。

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御朱印は社殿左手奥・・・

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▼この授与所でいただけます。

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▼同じく社殿左手のここではありません。ここは祈願受付のみ。

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▼神社案内は3年前にそこそこ詳しく記事にしていますので・・・

▼今回はサラッと・・。目印の一里塚はもちろん変化なし。

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2度目の訪問ですが、初回からもう3年が経ってしまいました。

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▼一の鳥居の先に「ヤマボウシ」が満開でした。名称は知る由も無いので調べました。

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▼夏越しの大祓「茅の輪」ができていました。

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▼神社境内の大きな変化は・・・

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▼この方がいらっしゃった事です。「チャップリン」ではありません。

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2024年に福沢諭吉に引退願い「壱萬圓」札の新たな顔となる方です。

 

▼そのタイミングに合わせたNHK青天を衝け」が放映中ですが見ていません。

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今回の大河ドラマは見ていなく、あまり興味もないのですが様子だけのぞいてみることにします。

 

▼「舞殿」近くの小さな鳥居から境内を出ます。

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飛鳥山公園に突き当たった道を右に下ります。

▼ここから王子駅方面に「飛鳥の小径」が始まります。

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飛鳥の小径」と言っても奈良の飛鳥・明日香とは何の関係もありません。

飛鳥山公園」にちなむ名称でしょう。

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その「飛鳥」の地名由来は、この地の豪族豊島氏が居城の守護神として熊野の飛鳥明神をここに勧請したことによるそうです。

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その「小径」は、京浜東北や東北・山形・北陸新幹線など、東京と北の街をつなぐ数路線もの鉄道と、飛鳥山から降る崖の間の「小道」です。

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アジサイの時季以外は「飛鳥の小径」は、ただの「細道」になります。

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6月13日は八部咲きといったところかもしれません。19、20日頃は満開でしょう。

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それにしても細い道に大勢の人出。プロカメラマンとモデルらしき人々も・・。

もっとも最近はシロートでも思いっきりポーズを取るので、プロ・アマの区別がつかない時があります。

まぁ、撮る側と撮られる側の雰囲気で分かるようなものですが・・。

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早くも浴衣姿の女子たちも満開です。

▼鉄道陸橋上から遠望して見ました。

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▼やはり全体では7、8部咲きということでしょう。

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▼小径の途中から飛鳥山公園に登ります。

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▼子供づれのグループがすごい数でした。

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飛鳥山」は江戸時代、将軍吉宗の寄進によって上野、向島に次ぐ桜の名所とされています。

お江戸「日本橋」から2里と少し。

江戸に暮らした人たちにとって、歩いてもどうってことはない距離。

十分日帰りで桜を楽しめたことでしょう。

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都電やSLの保存車が展示されています。

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▼「紙の博物館」は過去に一度だけ入館したことがあります。紙の種類や用途、歴史などが学べます。f:id:wave0131:20210614171024j:plain

王子には「お札と切手の博物館」など紙に関するスポットがいくつかあります。

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それもそのはず、王子は「洋紙」の発祥の地でもあります。

明治時代に「抄紙会社」が設立され、この会社がかつての王子製紙の前身。
輸入に頼っていた洋紙の国産化を企図して、実業家の渋沢栄一が中心となって王子に工場を設立されています。

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渋沢栄一は37歳の時、ここ飛鳥山に別邸を構えて、晩年は本邸として91歳までここ飛鳥山でその生涯を過ごしています。

深谷に生まれた渋沢は生涯に500の企業に設立に関与したと伝わります。多くの教育や社会事業にも携わり、日本の一時代を導いています。

壱萬圓」札の顔となるのも、もっともな事かもしれません。

さらに彼は「七社神社」の氏子でもありました。

神社もしばらくは多忙になるかもしれません。

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というような背景で「渋沢✖️北区」の副題とともに「飛鳥山博物館」で開催されている「大河ドラマ」という訳です。

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どこも入館しません。

▼「1万円札印刷所」???

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▼自分の顔が1前円札になる「なりきり」のようです。自己顕示欲豊富な人向け?

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▼公園内に「兜稲荷社跡」。

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1897年にここに移築され、基壇部、灯篭のみが当時のものだそうです。

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日本橋兜町に「渋沢栄一邸宅跡」があり、その近くに「兜神社」が鎮座します。

 

飛鳥山兜稲荷社」と日本橋兜神社」は繋がりがありそうです。

 

 

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▼「青天を衝け」の主人公たちもアニメ風ないイラストにされると、皆同じ容貌になります。

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渋沢栄一をより多く知ることができる「北区」「飛鳥山」「七社神社」です。

佐助稲荷神社の御朱印(鎌倉市)〜「隠れ里」に群がる狐 新しくなった拝殿、新しくなる本殿

佐助稲荷神社御朱印です。(神奈川県鎌倉市佐助2-22-12)f:id:wave0131:20210609164636j:plain

気づきませんでしたが、2013年にいただいた御朱印にも銭洗弁天御朱印同様の
かまくら隠れ里」の添え書きがありました。

 

13年と21年、二つの御朱印はまるで様相が異なります。

そして8年ぶりに再訪した境内も拝殿が新しくなり様相を変えていました。

 

▼2021年の書置き 佐助稲荷神社御朱印f:id:wave0131:20210609164247j:plain

佐助稲荷神社御朱印(2013年)。f:id:wave0131:20210609164243j:plain

御朱印は授与所で。8年前の記憶とは異なり明るい造りになっていました。

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▼葉脈のように広がる谷あいに静かな住宅街が続き、その先の小高い位置に鎮座。

 

▼神社入口は8年前の初訪問では左の住宅らしき建物はなかったような記憶です。

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▼写真を失っていますが、当時は入口からして「隠れ里」の名にふさわしく、もっと寂しげな雰囲気でした。

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現在でも変わりませんが、当時もお隣のような位置にある「銭洗弁天」ほどの参拝者は見当たりませんでした。

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朱塗りの鳥居が連なる参道に大きな変化は見つかりませんが、鳥居はもう少しマバラだったように思います。

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土台や塗りの新しいものもありますので、やはり2013年と比べると鳥居の密度は増しているようです。

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諸外国からの訪問者が喜びそうな朱鳥居の連続は、鎌倉では他に思い当たりません。

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佐助稲荷神社は元々は鶴岡八幡宮の境外末社でしたが、明治期に独立しています。

創建は不詳ですが頼朝の伝説があり、1359年の記録には「佐介稲荷社」という表記が見られるそうです。

 

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佐助」という耳障りの良い名称は、ここが「三介ガ谷」と呼ばれていたのが変化したのではないかという解釈もあるそうです。

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▼神秘性たっぷりな表情の狐たちがミステリアスなシチュエーションを高めます。

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▼緩やかな傾斜の長い参道の先に最後の石段です。

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▼古色蒼然としていた拝殿は新しくなっていて、まるで雰囲気が変わっていました。

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老朽化した古い拝殿は取り壊され、途中、台風の被害に遭いながらも2020年に完成されたそうです。

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単純に個人的好みだった「隠れ里の稲荷社」的趣きは失われていました。

 

▼成功成就、立身出世は願いませんが、再び参拝できたことを感謝して祈ります。

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▼拝殿真裏にある本殿に続く石段を登ります。

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こちらも記憶とは少し様相が違います。鳥居が新しくなって光っています。

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▼本殿がありません。鬱蒼としていた木々も少し取り払われているようです。

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▼こちらにも古い社があったはずですが、取り除かれて仮殿のようになっていました。

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本殿も新しく建設計画中のようです。

 

▼本殿から見た拝殿の屋根です。

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▼境内左手にある古い祠が並ぶ狐塚のような場所があります。

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▼周辺はおびただしい数の狐像が並びます。

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▼石段を上がります。ここも朱の鳥居が新しく光っています。

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異空間に感じられたここも石畳などが新しく、やはりきれいに整備されています。

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それでもこの神社で一番の記憶に残る素晴らしい一画です。

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苔むした稲荷社は変わらないでしょう。

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山奥の田舎道に迷い込んだような景色だけは、何とか保たれています。

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▼良縁に恵まれなかった女性の伝説が残る「縁結」の観音菩薩

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▼「霊狐泉」は絶えることのない神水が湧き出て、昔は麓の田畑を潤したそうです。

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低山とはいえ山に囲まれた鎌倉だからこその湧き水なのでしょう。

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境内や社殿が少しずつ整備され、いつまでも「隠れ里」ではない事を実感させられた佐助を後にします。

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