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御朱印迷宮 /Goshuin Labyrinth

御朱印収集目的には殆ど役立たずなブログ!かも

上総国分寺の御朱印(千葉・市原市)〜カワイイ柴犬に迎えられる

▼医王山 清浄院 上総国分寺御朱印です。

真言宗豊山派/千葉県市原市惣社4-10-12)f:id:wave0131:20210713193507j:plain右上の印は「聖武皇帝勅願所」、左上は「東武」、
中央は言わずと知れた「菊の御紋」。

中央の墨書きは上総国分寺本尊の「(梵字薬師如来」です。

国分寺は建立された性格上、ほとんど、いや全て本尊は「薬師如来」でしょう。

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▼「上総国分寺跡」に建つ「上総国分寺」です。

他の国分寺でも見られるように国分寺の「後継寺院」です。

 

▼741年、全国に「国分寺」の建立を命じたのはこの方です。(▼写真は【wiki】)

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奈良時代の「聖武天皇」ですが、彼はとんでもない計画も詔として出しています。

741年の国分寺建立詔に続き、743年の「盧舎那仏」と総国分寺としての「東大寺」の造立でした。

国の平和と繁栄を祈るための造立でしたが、

各国の「国分寺」の建造立もままならない中、さらに「東大寺」の造立ですから、その費用、労力、時間は計り知れません。

                                                                                                                       (▼写真は【wiki】)

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それでも、あえてその命を出さずにいられない天平年間の災いがあったのでしょう。

天平年間、全国に災害疫病天然痘・疱瘡)が多発しています。

まさに奈良時代のコロナ禍です。

                                                                                                                        (▼写真は【wiki

 

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災いは祟りとも解釈され、それらから逃れようと、平城京から恭仁京難波京紫香楽京へと遷都を繰り返します。

しかし、その間も火災や大地震の災いから逃れることはできず、再び平城京に戻っています。

あまり幸いだったとは言えないような天皇迷走迷宮の時代でした。

 

 

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いずれにしても、科学・医学が無かったに等しい時代には疫病に対しては

薬師如来」を代表する神仏にすがる他に選択肢はなかったのでしょう。

 

現代では、そのおかげで東大寺国分寺を知り、ワタシたちは、その御朱印もいただける結果となっているとも言えます。

 

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▼「仁王門」の金剛力士像は南北朝時代と江戸時代にの建立だそうです。

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▼仁王門をくぐると正面に「薬師堂」です。

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国分寺の存在は14〜15世紀頃までは確認されていてその後荒廃、江戸時代に入ってから再興され、薬師堂も1716年の建立と言われています。

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茅葺きの孤高の姿はどこかで見た覚えがありますが、思い出せません。

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▼「本堂」の建立はまだ新しそうです。

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真言宗の寺ですので「弘法大師」もいらっしゃいます。

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▼庫裏の「柴犬」は真言宗とは関係ありません。あたりまえ!

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蚊に刺されないように蚊取り線香が焚かれていました。

ん〜〜〜ん、少し大眼子眼でカワイイ顔してる。

まったく吠えずに尾っぽを振ってくれました。

人間以外の小さい動物には大概嫌われません。

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国分寺のすぐ近くに同じ時期に造立された「上総国寺跡」があります。

そちらは中門が創建当時の工法で再現されているそうです。

▼また同じ敷地内にある「展示館」では創建当時ジオラマもあるそうです。

                                 (▼写真は【東京湾観光情報局】)f:id:wave0131:20210715180303j:plain

国分寺国分尼寺ともにとても大きな規模だったようです。

 

カワイイ柴犬が元気なうちの参拝ください。

 

wave2017.hatenablog.com

本覚寺の御首題(神奈川・鎌倉市)〜「鎌倉江ノ島七福神」の「夷神」の御朱印も

▼妙厳山 本覚寺の御首題と御朱印です。(日蓮宗/神奈川県鎌倉市小町1-12-12)f:id:wave0131:20210913181858j:plain

▼2021年にいただいた本覚寺の御首題。f:id:wave0131:20210913181920j:plain

▼2013年にいただいた本覚寺の御首題。f:id:wave0131:20210913181905j:plain

21年の御首題は「東身延」の丸印がなくなっていました。

中央の大きな印の16文字中の数文字が読めません。

宗祖御分骨?幕府三?直?夷堂霊場

左下は「東身延本覚寺」です。

 

本覚寺鎌倉江の島七福神」の夷神御朱印f:id:wave0131:20210913181901j:plain

「鎌倉江の島七福神」の御朱印は通年いただけるので、七福神を目的として巡らなくても、訪問した寺社の時々でいただけてしまいます。

 

本覚寺では境内の山門近くに授与所があります。

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多くの人が七福神御朱印をいただく中で、

御首題をお願いすると「日蓮宗新聞」などと一緒に御首題帳を返されたりします。

 

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本覚寺鎌倉駅からほど近く、小町大路滑川を渡る夷堂橋でクランクする場所にあります。

 

本覚寺山門前の「夷堂橋」です。「鎌倉十橋(じっきょう)」に数えられています。

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鎌倉には「十井(じっせい)」もあり、現代で言うところの「ベストテン」でしょう。

ベストテン」は江戸時代、一般民衆の旅行がブームになった時、廃れていた鎌倉の街の観光スポット案内的役割を果たしていたそうです。

 

▼橋の下の流れは「滑川」です。

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街中でも深い渓流のような川の姿は、鎌倉の地理的な特徴を表しています。

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▼「滑川」が、かつては上流から下流にかけて胡桃川滑川座禅川夷堂川炭売川などと呼ばれ、河口付近では閻魔川と言われていたそうです。

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その川に架かる「夷堂橋」の名称は、頼朝の鎌倉開府の頃から近辺に「夷堂」と呼ばれる堂があったことにより名付けられたのでしょう。

 

▼その橋の前、小町大路沿いに本覚寺山門(仁王門)」が堂々と構えています。

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題目塔の台座にある「東身延」の文字は、日蓮の遺骨を身延山久遠寺より分骨しているので本覚寺の別称として「東身延」と呼ばれています。

 

山門は江戸時代の建立で、三浦半島の寺から移築されたと伝わっています。f:id:wave0131:20210913181956j:plain

▼山門内の仁王像も江戸時代の造りなのでしょう。

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▼仁王も蚊には敵わないのか「虫除け」の通行手形を手にしています。

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▼山門左手にある、もう一つの入口は「冠木門」になっています。

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手水舎の水盤は4人の「ガマンさん」が担いでいます。

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▼水はお休みでした。

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▼石小僧(がまんさん)は獅子頭を持っています。

f:id:wave0131:20210913182029j:plain石小僧がまんさんと書いていますが、正式名称は知りません。

 

▼山門正面の「本堂」です。本尊の釈迦三尊像が祀られています。

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江戸時代建立の山門以外は、ほとんどが近代の造営です。f:id:wave0131:20210913182101j:plain

▼この1枚は2013年の撮影です。

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▼「常祥閣」と書かれています。常に幸いとか喜び、というような意味でしょうか?

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▼鐘楼は別として梵鐘はかなり古く、応永17年(1410年)の銘があるそうです。

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▼そしてこちらが1981年に再建された「夷堂」。

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元々の夷堂は頼朝が開幕の折に建てたと伝わり、日蓮も夷堂に滞在し、辻説法などの拠点としていたそうです。

明治になって分離されたものを、再びこの地に再建したということのようです。

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1982年に開創の「鎌倉江の島七福神」の「えびす」=「夷尊神」を祀ります。

 

▼境内奥にある「人形塚」に「しあわせ地蔵」です。

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▼「日蓮上人分骨堂」です。

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身延中興の三師の一人「日朝」が、

総本山である身延山への参詣が困難な老人や女性のために、

身延山より日蓮の遺骨を分骨してここにに納めたそうです。室町時代のことです。

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現在、鎌倉から身延山 久遠寺まで鉄道利用でも4時間以上かかります。

東身延」ができて鎌倉や江戸の人々は、さぞや身近に感じたことでしょう。

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▼分骨堂は、かなり手強そうな鬼瓦が睨みをきかせていました。

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鎌倉駅からはこちらの入口の方が近くになる「裏門」はなかなか趣のある姿です。

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▼「一天四海皆帰妙法」。f:id:wave0131:20210913182125j:plain

全世界が妙法に皆帰る」というような意味でしょうか?

 

バチ当たりの身には宮崎の芋焼酎一天四海」の方が聴き慣れていますが・・。

小野神社の御朱印(東京・多摩市)〜「武蔵国一宮❸」 饒舌と沈黙のジレンマ

小野神社御朱印です。(東京都多摩市一ノ宮1-18-8)f:id:wave0131:20210921184912j:plain

プリントではなく、しっかり墨書きされ、朱印も捺印された書置きでした。

武蔵国一之宮」の添え書きと「多摩市一之宮鎮座」の印が捺印されています。

 

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▼授与所には由緒書とともにパンフをいただいた「九社めぐり」の案内がありました。

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▼神社のHPにも掲載されていますが「九社めぐり」とは、小野神社の兼務社9社の案内です。

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ここ小野神社で9種全てをいただくことができるようです。

 

小野神社を含め9社の御朱印は賑やかに饒舌ですが、

同一パターンのクラシックな御朱印スタイルに、昨今の御朱印コレクターが魅力を感じて9社全てを巡るとは考えにくいように思います。

 

もちろん丁寧に9社を巡って、御朱印を全ていただく方もいるかもしれません。

その場合、1体500円なので、4500円の初穂料となるのでしょうね。

 

今回は小野神社のほか「百草八幡宮」の書置きをいただきましたが、

墨書きはサンプルのように「百草八幡宮」となっておらず、

▼「百草」の二文字が省略され、単に「八幡宮」となっていました。

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正式名称は「八幡宮」でしょうが、

百草」の二文字があるかないかで、御朱印の「」は随分違ったイメージを与えます。

何よりもサンプルと異なるのに「アレッ?」と思いましたが、こんな事でゴネるつもりは」毛頭ありません。

 

イラスト・キラキラ御朱印ではなくクラシックな御朱印スタイルを愛する本ブログとしては少し不満でもありますが、

言うまでもなく、御朱印の意味を考えれば手にした時点では「沈黙」しました。

百草八幡宮」の記事は別の機会にアップすることにします。

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▼小野神社の住所は「一ノ宮」。京王線聖蹟桜ヶ丘駅」徒歩5、6分です。

 

前2回の記事に続き、3社目の「武蔵一宮」への訪問です。

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前回までの2記事と重複しますが、

ここ「小野神社」と、さいたま市の「大宮氷川神社」と「氷川女体神社」の3社がそれぞれ「武蔵国一宮」と称しています。

 

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一宮」は、原則的には令制国1国あたり1社を建前としていたそうです。

しかし、長い歴史の中では諸国において「一宮の変遷」、2つ以上の神社による「一宮争い」の足跡を残して、現在も論社とされている場合などもあります。

 

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さらに「全国一宮会」に加盟、非加盟にも分かれますが、

本ブログでは、そもそも「全国一宮会」という正体が、
何時、誰が、何処で、どんな責任で結成されたのか、よく理解できていません。

 

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前回までの記事にも書いていますが、

「一宮」の決定は難しいので、自ら「一宮」と称している神社は

「一宮」で構わないのではないかと思います。

 

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しかし同一国の複数ある一宮でも知名度は異なります。

勢い、知名度の低い一宮は自社の「一宮」を語るのに、多くの事実を掲げ饒舌になるのも当然です。

 

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ちなみに「全国一宮会」では「小野神社」は沈黙、

さいたま市の「大宮氷川神社」と「氷川女体神社」の2社は名を連ねています。

 

しかし「wiki」の「武蔵国一宮」には「小野神社」と「大宮氷川神社」とが紹介されています。

 

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3社ある「武蔵国一宮」は、それぞれが他社で「一宮」と称することにジレンマを感じているかもしれません。

 

そして一般人の眼には「一宮」という肩書きにこだわらず、

多くの参拝者を集められる神社が他社を圧倒している事は言うまでもありません。

 

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小野神社」が鎮座する地域に隣接する府中市は、平安時代中期まで武蔵国の政治・文化・経済の中心地として栄えていたそうです。

そして元は国府があり、国分寺も近い位置にあった事、さらに「大国魂神社」の姿など、当社が当時の一宮であることの説得力の一つにもなっています。

 

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やはり「一宮」は複雑で、理解できない無能さにジレンマを感じます。

 

ですので本ブログは、どの「一宮」も、紛れもない「一宮」とします。

 

▼彫刻が素晴らしい。こちらは「雷神」。

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話を参拝した「小野神社」に戻します。

▼上記までの彫刻の写真は、昭和に再建された「隋神門」。

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▼こちらは「南門」。

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小野神社の旧社格は「郷社」とされ、「式内社」としては論社です。

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▼朱色の拝殿、本殿も昭和の再建。

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小野神社の主祭神は「天ノ下春命(あめのうわはるのみこと)」「瀬織津姫(せおりつひめ)」。

 

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一宮の多くは創建が不詳です。

当社も奈良時代の史料に、その名が出てくるそうです。

 

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▼同じ朱色の拝殿奥の「本殿」です。

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▼特に説明のない石or岩に注連縄。左上のハート形が神社の「Sales」の一つかも。

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一般的な「一宮」のイメージとしては、

小野神社の「押し」は、やはり遠慮がちで、ジミで、寡黙かもしれません。

 

▼「稲荷社」。

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2021年を生きる人々に訪問、参拝され、愛され、頼られる神社であることは様々な要件を必要とします。

今や御朱印もその大きな要素でもあるでしょう。

 

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▼ポツンと小さな社は「秋葉社」。

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▼いくつかの末社がまとめられています。

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それほど広い境内でもなく「一宮」と言うより地域の鎮守的なイメージですが、

小野神社が自信と品格を持った「一宮」である事の発展を願うばかりです。

 

 

wave2017.hatenablog.com

氷川女體神社の御朱印(さいたま・緑区)〜「武蔵国一宮❷」「もう一つ」の武蔵 一宮 氷川神社の迷宮

▼武蔵一宮 氷川女體神社御朱印です。(さいたま市緑区宮本2-17-1)f:id:wave0131:20210916151805j:plain

女體=女体で「ひかわ にょたい じんじゃ」です。

メインの神社印「武蔵一宮」は新しくなっていました。

朱印は神社名ではなく「一宮」を強調したいのかと勘ぐってしまいます。

 

両年ともいただいた御朱印は、ありがたい事に直書きいただいています。

 

氷川女體神社御朱印(2021年)。

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神社前は「見沼氷川公園」になっていますが、

かつても神社周辺は「見沼(みぬま)」という広大な沼でした。

そこには竜神が棲んでいたという伝説が残っていて、

古くから「竜神さま」を祀る祭祀「御船祭(みふねまつり)」が行われてきて、その祭りを執り行っていたのが当社です。

御朱印にスタンプされてるグリーンの龍は、その「竜神さま」を表しているのでしょう。

 

とは言え、2015年にはそんな「竜神さま」をアピールするスタンプなどありませんでした。

氷川女體神社御朱印(2015年)。f:id:wave0131:20210916151809j:plain

その代わりと言うか、2015年には右上に「女體宮」の丸印が押されています。

 

▼「一宮御朱印帳用」の御朱印も用意されていました。

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▼一般の御朱印帳にはこの3種類の中から記帳いただけます。

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▼氷川女體神社にいわゆる最寄駅はありません。

一番近い武蔵野線東浦和駅」からは3km近くありますが、東浦和駅からバスが出ています。

降車するバス停「朝日坂上」からも徒歩5分以上あるようです。

 

▼神社前は用水路が流れています。

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▼赤い「氷川女體神橋」の先の公園内には、かつて神社が行なっていた「磐船祭 祭祀遺跡」があるそうでうす。

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神社は小高い丘の上に鎮座します。

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▼参道となる石段の写真は2021年と2015年の訪問時撮影が混在しています。

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でもその区別がつかないほど、6年間に変化はありません。

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鳥居には「武蔵国一宮」の扁額が誇らしげに掲げられています。

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▼石段を上がって境内から振り返った鳥居です。

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武蔵国一宮」と称していますが、同じ一宮、同じさいたま市内でも、その参拝者の数は大きく異なります。

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もちろん境内の広さも比べ物にならないし、何と言っても交通の便が悪いロケーションが影響しているのでしょう。

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それでも2021年は数組の参拝者と出会いました。

2015年の夕方近くの参拝時は全く人の気配がなく、社叢による薄暗さと寂しさばかりが記憶に残っています。

当然、御朱印も1種類だけでした。

2021年は4種類の御朱印が用意されているのですから、それだけ参拝者の数も6年前からは、いくらかでも多くなっているのでしょう。

 

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それだけではないでしょうが、やはり御朱印の「力」もバカにできないものになっているのでしょう。

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社伝では、崇神天皇の時代に出雲大社から勧請して創建されたと記されています。 

 

主祭神須佐之男命の妻奇稲田姫命(くしなだひめ)」。

稲田姫命(いなだひめのみこと)」と表現する場合もあります。

 

もう一つの一宮、大宮氷川神社主祭神須佐之男命)を「男体社」とし、それに対し当社は「女体社」にあたるそうです。

氷川女體神社」の神社名はそこに由来するのでしょう。

女體神社」と言う名称を持つ神社は、他にも数多くありますので祭神は同じく奇稲田姫命伊邪那美命なのでしょう。

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▼美しい姿の殿は鰹木が4本。

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次のような俗説があります。

男神を祀った神社は、鰹木が奇数本、千木が削ぎ。
女神を祀った神社は、鰹木が偶数本、千木は削ぎ。

千木は先端が

垂直に削られているのが削ぎ、

水平に削られているのが削ぎ、だそうです。

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あくまでも俗説ですので、根拠はあいまいで、この説に当てはまらない神社も多くあるそうです。

 

▼「椨の木」の案内板が立っていました。

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たぶ」と、ルビが振ってなければ読めませんでしたが「タブノキ」でした。

▼そしてこの御神木は、7、8年前のことですが、TVの「ナニコレ珍百景」で紹介されています。

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古木にコブができ、偶然に奇妙な姿を形成することは多く、

キツネハート形神官の姿など様々な形を見せることがあります。

偶然とは言えその形は動物が多く、この神社では「クマ」さんのようです。

 

いくつかある境内社を見ていきましょう。

▼境内東側に建つ「龍神」は、龍神伝説の「見沼の龍神」が祀られています。

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氷川女體神社の原点と言えるかもしれない「龍神社」です。

▼東屋は休憩所になっています。

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▼「稲荷社」。

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▼こちらも「稲荷社」のようです。

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▼そして「御嶽神社」です。

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▼「神輿庫」。

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▼神輿庫の前に「彩のかがやき」と「こしひかり」が植えられた小さな「神饌田」。

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▼「参集殿」。

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ブログタイトル副題で「もう一つ」の武蔵 一宮 としましたが、

大宮氷川神社の記事でも書いた通り三社が「武蔵一宮」と称しています。

さらに「大宮氷川」と「氷川女體」「中山神社(氷川簸王子神社)」の三社を一つの神域とした「氷川神社」であったとする説もあるそうです。

 

氷川女體神社は「もう一つの一宮」ではなく「確かな一宮」とも言えるかもしれません。

 

wave2017.hatenablog.com

大宮氷川神社の御朱印(さいたま・大宮区)〜「武蔵国一宮❶」「一宮」か? 「三宮」か?

大宮氷川神社御朱印茅の輪くぐり」。(さいたま市大宮区高鼻町1-407)

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奉拝」の文字の金箔とイラスト部分は印刷ですが、神社名などはきちんと直に墨書きされていました。

 

▼スタンダードな大宮氷川神社御朱印(2021年)。f:id:wave0131:20210803192843j:plain

大宮氷川神社御朱印(2014年)。f:id:wave0131:20210803192839j:plainスタンダードな御朱印内容は2014年から2021年に変化はありません。

もちろん筆跡はかなり異なりますが・・・。

御朱印は「神札所」でいただきました。

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▼「大宮駅」から東へ500〜600mのところから参道が延びています。

そこから境内となる「三ノ鳥居」まで、さらに1kmほどあります。

かつては氷川神社を指して「大宮市」でしたが、現在は「さいたま市」。

mapでは「武蔵一宮 氷川神社」とされています。

古代の武蔵国はあらかた沼地でしたでしょうから、一宮も国府国分寺も、ぐっと内陸部に建てられたのでしょう。

 

▼「西駐車場」に車を止めました。そこからの境内入口です。

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▼大きな神社ですので入口はいくつもあります。こちらは東にある大宮公園側の入口。

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▼長〜い長〜い表参道ですが、2km先の起点「一ノ鳥居」まで戻る勇気が湧きません。

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▼ですので「三ノ鳥居」からの参拝とします。

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▼「三ノ鳥居」を過ぎると左右に境内社などが並びますが、まずは本社に参拝です。

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▼すぐに「神橋」と「楼門」が見えてきます。

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▼「神橋」からは木立に阻まれた朱色の「楼門」。この姿、どこかと全く同じに思いますが、どこの神社だったかまったく記憶を呼び戻せません。

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▼「神橋」からは「神池」の中に建つ境内社が見えます。

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▼後ほど寄って見ることにしましょう。

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▼「楼門」手前横の「手水舎」は完全に休止状態です。

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関東の荒川沿いにある300社近い氷川神社の総本社ですので、参拝者は絶えません。

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▼神域内側から「楼門」を振り返ります。

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▼拝殿前の「舞殿」です。

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氷川神社主祭神は「須佐之男(すさのおのみこと)」「稲田姫命(いなだひめのみこと)」「大己貴命(おおなむちのみこと)」。

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▼創建は神社の社記によると2千数百年前。第五代孝昭天皇の御代、神話の世界ですので詳細はわかっていないのでしょう。f:id:wave0131:20210803193047j:plain

 

言い伝えは日本武尊の東征にはじまり、将門の乱の平貞盛、頼朝の寄進、家康の社頭造営など数々残っています。

 

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御朱印には「武蔵一宮」と添え書きされていますが、

武蔵国一宮」を称する神社は、同じさいたま市の「氷川女體神社」と

多摩市一宮の「小野神社」の3社があります。

 

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延喜式神名帳吾妻鏡などの記述に違いがあるものの、氷川神社を「三ノ宮」する説もあり、

調布の「大國魂神社」の例大祭「くらやみ祭」の祈祷には、氷川神社の神官が「三宮」として参じているそうです。

 

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また平安時代室町時代など時々によって神社の地位、社格が逆転した様子も見られるそうです。

 

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御朱印収集者としては「全部一宮」でイイじゃないの!?と思う時もありますが、

これまでにはやはり祭神や順位に対する論争があったそうです。

誰が「上座」に座るかというような争いのようにも思われます。

 

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そんなこんなで現在の祭神が定められたのも江戸時代末期の1833年とされています。

近代以降は明治天皇大正天皇昭和天皇、平成天皇がそれぞれ行幸、参拝されているそうです。

一般的な認識としては「氷川神社」の「一宮」としての位置は固まりつつあるようです。

 

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▼境内から「東門」を出てみました。

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▼「門客人神社」と「御嶽神社」が並びます。

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「門客人神社」は江戸時代までは、「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれ、

アラハバキ神」といわれる出雲の神が来る前までの元々いらした地主神が祀られていたそうです。

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本社や門客人神社への参拝を済ませて、境内を三ノ鳥居方面に戻ります。

▼「額堂」と「楽殿」です。

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▼「ふくろ絵馬」だそうです。

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個人情報保護への観点から、絵馬に記入した住所や氏名が他の参拝客の目に触れないようにする方法として最近考案されたものだそうです。

確かに絵馬を撮影すると人名などが露わになりますが、ブログ掲載時はそんな箇所はボカしています。

過熱気味にも感じられる「個人情報保護」ですが、悪意はどこからでもスキマ間を狙ってきますから、絵馬の願いも「袋入り」にされ、こんな形になるのでしょうか。

 

▼境内の東端にある「天津神」の祭神は「少彦名命(すくなひこなのみこと)」。

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▼「松尾神社」は「大山咋命(おおやまくいのみこと)」を祀ります。

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▼神池の畔に建つ「稲荷神社」です。

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▼ひょうたん池、白鳥池などもありますが、この神池周辺が一番雰囲気も良く、憩える区域に噛んじます。

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▼往路で神橋から見えた、神池の島に建つ「宗像神社」です。

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九州の「宗像大社」から勧請されたのでしょうか、

大社と同じ多起理比売命(たぎりひめのみこと)、市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)、田寸津比売命(たぎつひめのみこと)の三神が祀られています。

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▼見事な「さざれ石」。

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武蔵国を由来とする最後の大型戦艦「武蔵」の顕彰碑。

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戦艦武蔵はフィリピンの海に沈んでいますが、
日本郵船の「氷川丸」は横浜港に博物館船として浮かんでいます。(写真は【wiki】)

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船名はもちろん大宮氷川神社に由来し、船内の神棚には勧請された氷川神社が祀られているそうです。

 

大宮氷川神社は広すぎて短時間ではとても見切れません。

次回参拝時は一ノ鳥居から2kmの参道をゆっくり歩いて見たいものです。

 

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