▼和樂備神社の御朱印です。(埼玉県蕨市中央4-20-9)記帳いただいた御朱印は、書き手さんは違うでしょうけど、2014年に位いただいたものと寸分違わない結果となりました。
プリント物の書置きをいただけば、全く別なものになりましたが・・。
▼和楽備神社の御朱印(2021年)。
2021年は案内を見て書置きしかないのかと勝手に思い込んでいたら、
「記帳しますよ」という言葉をお聞きして、持参の御朱印帳に筆書きいただきました。
▼和楽備神社の御朱印(2014年)。
▼お札所に案内されていたサンプルばかり見ていましたが、その上に「記帳」という案内がありました。
▼手に取って仔細に見ることはできませんでしたが、どうも筆書き部分も全てプリント物っぽいので、パスして記帳していただくことにしました。
なにしろ、もうプリント、印刷物の御朱印は「食傷」気味です。
タイムリーな御朱印案内は、和樂備神社のHP【御朱印のご案内】に掲載されています。
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どれも「わらび」で、優しい文字でもどれも難読です。
山菜の「蕨」は漢字で表記されることは少なく、大概が「わらび」「ワラビ」です。
元々いつもお目にかかかる食物・植物ではないので、漢字にも馴染み薄なのです。
そして関東に住んでいる人間以外「蕨市」は誰も知らない小さな市ですので、やはり馴染み薄で読めない人もいるでしょう。
▼以下4枚の写真は2014年の撮影です。
▼2021年は「太鼓橋」からの再訪です。
▼「一ノ鳥居」をくぐると広い駐車場の脇に「神楽殿」があります。
▼「神楽殿」の側面に回り込むと、微妙な形というか構造になっていました。
▼「ニノ鳥居」からは玉垣に囲まれて、ここからは神域ですよと明確。
▼堂々として、凛と建ちます。
▼やはり社号標だけ見ると「わらくびじんじゃ」?と問いたくなります。
▼四方に神社入口があり、こちらは境内の東側にあたる鳥居。
▼境内に入ると左手に頑丈そうな手水舎。
水盤は上野寛永寺所縁の江戸時代初期のものだそうです。
大正時代、当時の蕨町長が買い受け、上野から運んだ水盤だそうです。
▼でも2021年は水もなく、代わりに消毒液のボトルが置かれていました。
▼神社に消毒液ボトルは似合わない景色ですが、そのうちこの口から消毒液が出てくるようになるかもしれません。
▼バッハかベートーベンのような髪型の狛犬は大理石で台湾製とか。
言われてみれば、台座も中華風な雰囲気を持っています。
和樂備神社は、創建時の室町時代に八幡神を祀られたことが起こりとされる八幡社でした。ですから主祭神も誉田別尊。
明治になって、八幡社周辺にあった18の神社が一つの社として合祀されたことをきっかけに改称され「和樂備神社」が誕生しています。
それにしても「18の神社」というのは、数が多すぎます。
昔の「蕨」は現在の蕨市より広域だったのでしょうか?
もしくは「18の神社」というのは、せいぜい祠があるだけのような神社だったのでしょうか?
18の神社が一つになった時、土地名を冠することとなったものの「蕨」一字では尊厳味がないので、万葉仮名から取って「和樂備」としたそうです。
「蕨神社」では威厳がないので「和樂備神社」としたということですが、
万葉仮名を利用した「わらび」であることで納得です。
▼焼失された本殿は平成に入ってから再建されたものなので、古さは感じさせません。
▼「応神天皇」がいらっしゃる「本殿」です。
▼境内左手にある「天神社」から境内社を見ていきます。
▼「筆塚」はどこでも見かけます。
▼「建築祖神碑」。まだまだ聞き知らぬ色々な神がいるものです。
▼「稲荷社」。
▼「神輿殿」は旧拝殿を改築したものだそうです。
▼社殿右手にある鳥居です。
▼「榛名神社」はじめ、「菓祖神碑」や「浅間社」などが並んでいます。
▼目が奪われる朱色の文字の「木遣塚」は蕨鳶消防組のもの。
▼さらに「弁天社」。
▼「母子観音」は当所で起きた母子殺傷事件の記憶と祈りのために建てられたとか。
▼「神池」は蕨城址公園の一部ともなっていて市民の憩いの場でもあるようです。
池は蕨城の堀の一部だったようです。
▼白と紫、2色の藤棚がそれぞれ満開でした。
藤の花を目にすると夏がヒタヒタと近づいてくるのを感じます。
コロナ禍の2度目の夏になりますが、マスクを外せない夏、大手を振って海に山に行けない夏だとしたら憂鬱でもあります。
初夏に巡った、清々しい「和樂備神社」でした。
▼蕨市鎮座「剣神社」の記事です。