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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

川口神社の御朱印(埼玉・川口市)〜「キューポラが消えた」街に鎮座する「御朱印が消えた」ステキな神社

川口神社御朱印

かわぐち じんじゃ主祭神:素盞嗚尊( 埼玉県川口市金山町6-15)

 

川口神社御朱印です。

中央の朱印は「川口市総鎮守県社川口神社」でしょうか? 自信ありません。

2014年に御朱印をいただいたきりなので、2022年に再訪しましたが、
御朱印はいただけませんでした。

 

境内にオープンな授与所はなく、入口をガラ、ガラッと開けた社務所内で祈祷の依頼や授与品などをいただくスタイルとなっています。

 

ですので社務所の入口をガラ、ガラッと開けて御朱印をお願いしたところ、

対応いただいた女性は「すみません、やっておりませんので・・・」

丁寧に

なにか理由がおありなのですか?」と尋ねました。

とくに理由はないのですが・・・」

と言葉に窮するようなご返事でしたので、

それ以上お聞きしませんでした。

 

川口神社 御朱印」で画像検索すると、数は少ないものの

「令和元年」までの日付の御朱印が見つかります。

と言うことは、ここ数年の間で御朱印授与をしなくなったと言うことなのでしょうか?

 

もとより御朱印は社寺の「好意」により手にできるものと理解しているので、

授与されない社寺があったとしても何の不思議も不満もありません。

 

ただ、川口市総鎮守の神社の御朱印がいただけないのは残念なことではあります。

立派な神社でもあるので、

消えてしまった御朱印が、またいつか授与再開されることを願うばかりです。

 

▼川口神社へはJR「川口駅」から徒歩10分ほどです。

 

▼神社と神鏡、川口宿と鋳物業のガイドがありました。

川口は鋳物の街で、その歴史は室町時代末期に始まるとも言われています。

江戸市民が必要とする鍋、釜をまかない、明治以後の日清日露・戦争では飛躍的な発展を遂げます。

そして1964年の東京オリンピックでは川口鋳物の「聖火台」が使われ、誰もが知る「キューポラのある街」として川口は知られました。

その頃をピークとして鋳物産業は減速し、方法や姿を変え、排煙筒のキューポラも消えてしまいました。

 

キューポラが消えた街で、御朱印も消えた神社の立派な鳥居です。

▼鳥居先の「神門」周りには社号標や狛犬、由緒などの必須アイテムが格調高く揃えられています。

社格は「県社」。社号標にもその文字が彫られています。

その社格に恥じない「神門」は川口市内では他に見ることはできないでしょう??

▼神門も大きな狛犬も、見たところそれほど古くはありません。

▼このスタイルの狛犬は江戸時代にはなかったでしょうから、昭和のものでしょう。

▼「千社札」が無数に貼られていると神社の歴史と格を感じます。

千社札が夥しく貼られている姿は嫌いではありませんが、寺社側にしたら迷惑この上ないかもしれず、最近では「千社札禁止」の案内を度々目にします。

 

▼神門を過ぎると右手にどっしりとした「手水舎」。

ここまで鳥居、神門、手水舎、すべて立派な造りになっています。

▼水盤には柄杓も用意され、当たり前の日常の姿がありました。

▼手水舎の後方に小高い築山は「富士塚」でした。高さがない浅間神社富士塚です。

高さはなくても熱狂的な富士信仰があった事だけを伝えられれば良いのでしょう。

信仰と畏れの山だった富士山は、現代では登頂すること自体と、その過程だけが主目的にされているように感じます。

誰のせいでもなくマルチなマスコミが、その価値と登頂の達成感を喧伝するので富士信仰は二の次の話になります。

現代の富士登頂を目指す人たちの多くの目的は、江戸時代の人々が望んだ「富士詣」とは違うことに間違いないでしょう。

しかし江戸時代の富士詣も「物見遊山」的要素も大きかったことも事実だそうです。

 

▼社殿に行き着く前に右手に目に入るのは「楽殿」。格子戸が印象です。

▼右見て、左見て、道草してやっと拝殿にたどり着きます。社叢がステキな景色です。

川口神社の創建年は不詳ですが、平安時代前期には「氷川社」「氷川大明神」として創建されたと伝わります。

武蔵一宮氷川神社からはほど近い地域なので氷川大明神として創建も納得ですが、

川口市内にはたくさんの「氷川神社」があり御朱印収集者は混乱させられます。

明治に入って近隣の神社が合祀され「川口神社」と改称され、

昭和初期に川口市総鎮守となり県社になっています。

素盞嗚尊に挨拶申し上げます。

▼彫刻に目を奪われるインパクトある扁額。

▼拝殿前にも小ぶりな狛犬が、川口鋳物の天水桶とともに並んでいます。

▼微妙な表情です。

▼本殿、幣殿の様子です。火災の後の昭和に再建されたものだそうです。

▼当社は広い敷地を持ち、境内の東側にも2つの入口があります。

▼こちらにも狛犬が置かれています。

▼鳥居を抜けて右を見ると長い参道が続いています。

▼別宮とされる「金山神社」です。祭神は「金山彦命(かなやまひこのみこと)」。

川口の鋳物産業の歴史ともつながりが深く、金属資源や製品の生産と流通の神、お金の円滑な流通などもつかさどる「金属全般」の神様だそうです。

かつては「金山権現社」と呼ばれていました。

 

▼こちらも細かい彫刻が施されています。

▼境内東側にあるもう一つの鳥居。表参道からは右手最奥に位置します。

▼小さめの狛犬が神社を警備しています。

▼手水鉢もあり、しっかり水が出ていてこちらでも清めることができます。

▼「梅ノ木天神社」は当然、道真が祀られています。

▼そしてお馴染み「撫で牛」。撫でられて鼻はハゲていますがカワイイ顔した牛です。

▼突然、恵比寿・大黒天像も現れます。

当地には「武州川口七福神」がありますが、それとは関係ないようです。

▼その左隣になる境内再奥左手には境内社がいくつか並びます。

▼右端は「三社合殿」。

左から「石神井」「杉山稲荷神社」「 第六天社」が祀られています。

▼「金刀比羅宮」。

▼「八雲社」は江戸時代建立の社殿が現存です。

以前は「金山権現社」の社殿だったそうです。

日露戦争で犠牲となった海軍一等機関兵の胸像。持っているのはオールでしょう。

▼左端は「護国神社」。

社殿は大きな覆屋で保護されています。

神社本殿の裏に当たる境内奥に鎮座する境内社の数々は、どれも立派な造りで手入れもしっかり行き届いていて見応えのあるものでした。

人々のそれぞれの神に対する崇敬の篤さを大きく感じられました。

 

▼境内左手には「包丁塚」など、多くの石碑も並びます。

 

川口駅からほど近い街中にあって、広い境内と社叢が保たられていることは、とても素敵なことです。

境内をくまなく巡るには小一時間が必要なことも、却って嬉しいものです。

 

こんな素敵な神社が御朱印授与がないのは勿体ないことに思います。

様々な事情があるでしょうが、授与再開を願いましょう。

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