▼剣神社「端午の節句」の御朱印です。(埼玉県蕨市南町2-13-15)
▼剣神社 通常の御朱印です。
御朱印受付窓口は若い宮司さんでしたが、恐ろしく達筆な墨書きです。
見開きは書置きでしたが、印刷ではなく大礼紙にすべて墨入れ、
一つ一つスタンプが押されている丁寧なつくりの御朱印でした。
何種類かある書置きの中から少し子供っぽいものを選んでしまいましたが
「端午の節句」ということで許容範囲とします。
片面の通常御朱印は、こんな時期でも朱印帳に直書きいただけました。
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▼電車での訪問ですと京浜東北線「蕨駅」より「西川口駅」の方が少し近く、徒歩8分くらいでしょう。
神社の鎮座する「蕨市」の面積は 5.11 ㎢ で日本一小さい市だそうです。
▼その小さな市のキャラ「ワラビー」です。
関東の人は別にして「蕨」の一文字を正確に読める人は少ないかもしれません。
その意味では「わらび」を「ワラビー」に結びつけたのは、安直ですが正解かもしれません。
蕨市の実際の地理は、ほぼ長方形の形をしていますが、約2.26km四方の面積というと分かりやすいでしょう。
蕨市の外周をグルッと一周しても2時間弱でしょうから、んっ! 確かに小さい。
ちなみに日本で一番大きな面積を持つ市は岐阜の「高山市」。
蕨市の400倍以上ある2,178㎢。
もっとも高山市はほとんどが山地でしょうが、蕨市は人口密度は高く、一時は東京都区部より高かった時期があったそうです。
▼遡って、江戸時代は中山道の宿場「蕨宿」でした。 蕨宿 - Wikipedia
渓斎英泉(けいさい えいせん)の描いた浮世絵「木曽街道 蕨之驛 戸田川渡場」とされているのは、現在の荒川で向こう岸が戸田・蕨方面のようです。
当初の江戸は防衛のため、ほとんどの川に橋は架けられず、人も馬も渡しにより川を渡っていたという、なんとも不自由なインフラですが、
そんなに急ぐ事情も少なかったヨキ時代だったのでしょう。
現在の人々はヤタラ急ぎます。
「東京駅」から「西川口駅」まで30分ほどでも、ジレったいかもしれません。
ですが、今回も剣神社へは車での参拝訪問です。
▼近辺のパーキングに駐めて神社を目指しますが、こんな住宅地にあるのでしょうか?
▼mapに従えば、この通りを右折ですが・・・
▼神社らしき雰囲気のものは目に入らないものの、何か赤いものがあります。
工事用の赤いフェンスでした。その後ろに小さく見えるのが神社のノボリでした。
▼細い通り沿いに、いきなり授与所の窓口です。
鳥居も何も見当たりません。
人が見たら、キョロキョロと怪しい動きをしていると、
▼建物と通りの塀の間、幅1mもない場所に小さな社が見つかりました。
いかに、公式ページでも「日本一小さな市 蕨市の小さなお宮」と表しているものの、「これですか?」と疑問が湧く。
▼とにかく他に社殿らしきものが見当たらないので、とりあえずここで参拝です。
あとは写真を撮るべき対象もなく、授与品とご朱印案内しか撮影できません。
もちろん社殿より、これらの案内だけが神社らしさを表していましたが・・・
何しろ公式ページでも「日本一小さな市 蕨市の小さなお宮」と謳っているので、
聞いてみました。
「あの小さなお宮さんが社殿ですか?」
若い宮司さんが丁寧に説明してくださいました。
小さな社は実は末社の「二代天神宮」で、
現在は社殿造営のため仮殿としているとか。
祭神の天之御中主大神、天照皇大神などは、小さな仮住まいを余儀なくされているようでした。
▼そして造営中の神々の新しい住まいは、2021年6月には完成するそうです。
「道理で!」色々納得できました。
建設中の社殿前、赤いトレーナーの男性は設計士か建築士なのでしょうか、
3階建てになる社殿を詳しく説明していただきました。
2階が拝殿になるようで、3階まで吹き抜け部分があるそうです。
どんな社殿になるのか皆んなが心待ちにしてるようです。
▼それにしても、神社に向き合った背中に壁のようにそびえる集合住宅。
もう少し立地条件の良い場所を与えたい神社です。
いずれ将来は新たな広い遷座地を獲得できるかもしれない神社の若い宮司さんに
成長ingの新社殿完成後の再訪を伝えて神社を後にします。
▼最後に新社殿が建つ工事前の神社社頭の写真です。とっても素朴だったのです。
宗教法人 剣神社 - 蕨店舗ガイドからお借りしました。