高津諏訪神社の御朱印
「たかつ すわ じんじゃ」主祭神:建御名方神(神奈川県川崎市高津区諏訪3-16-48)
大変丁寧な対応で参拝記帳を求められました。
時々あることですが神社側の真摯な姿勢が感じられます。
記帳する事の正確な目的は分かりませんが、
後ほどあらためて神様にお願いしていただけるのかもしれません。
諏訪神社のHPに境内に駐車場有りと詳しく案内されていますが、
密集した住宅街の一方通行などで、車に乗り慣れた人でも進入経路を見つけにくいかもしれません。
▼当ブログも近くの有料駐車場を利用して神社に向かいました。
▼どこの神社もそうですが、周囲を脚で歩いてみると車の進入経路が分かります。
再度参拝するときにはおそらく迷わず境内に進入できるでしょう。
狭い道路に進入するときは少し不安になりますが、周囲の家などに車が止めてあるのを見つけると安心できます。
「人がここに駐めているのだから、こっちだってなんとかなる」と言うような、なかば開き直りです。
何よりも心苦しいのは駅近くの狭い商店街などに入り込んだときです。
石畳やタイル貼りの狭い道を大勢の人が行き来している中を車でソロソロと通過するときは身の縮む思いをすることがあります。
ハイッ、皆さんもくれぐれもお気をつけください。
▼「一ノ鳥居」脇に「村社諏訪神社」の社号標が建ちます。
▼「日露戦没紀念碑」です。
日露戦争も100年以上も前のことですから、この石碑も100歳以上なのでしょう。
▼一ノ鳥居を抜けると住宅に挟まれた参道の先にもう一つ鳥居が見えてきました。
▼「ニノ鳥居」の左右に軽carが駐車されています。
少なくともここまで車で進入してきても問題ないわけです。
▼鳥居下に「夏越の大祓」の案内がされていました。茅の輪が設けられるようです。
▼「ニノ鳥居」をくぐるとすぐに一対の狛犬。
それほど古い造立ではないかもしれません。裏側に回って年号の確認を忘れました。
▼素朴な「手水舎」は水道蛇口になっています。
▼参道を振り返ると緑がとても良い景色を作っていました。逆光でしたが・・・。
▼年季の入ったジャングルジムは近所の子供たちに人気でしょう。
▼この手前のスペースに車が数台駐められそうです。
地域の人々に「おすわさま」と呼ばれて親しまれている当社は1590年、信濃国の豪族の末裔が信濃諏訪大社より分霊を勧請しています。
▼手前から見る「拝殿」は木々が覆い隠して、村の鎮守的景色です。
▼大正時代の再建とされる社殿向拝には様々な繊細な彫刻が施されていて見ものです。
▼「諏訪宮」は「すわのみや」ではなく「すわぐう」でしょう。
祭神は建御名方神のほか、五十猛命、日本武尊、大日孁尊、保食神 の五柱。
▼「天水桶」は石で作られていました。
▼「本殿」の様子です。木に覆われていて全体を見るのは困難でした。
▼境内左手にもう一つ小さな鳥居があります。
▼鳥居の先に参道が伸びています。
▼境内社の「浜川神社」と説明がありました。
かつては「疫神さん」と呼ばれ、貧乏神を追い払う神様として人気を集めていたそうです。
こんな小さな祠にも一つ一つ神社名が付いていたのでしょう。
と言うより大昔の一般の村々にあった神社はこんな姿だったのでしょう。
▼祠中央は人が微笑んでいるような造形でした。
▼帰り道に出会った「諏訪氏子会館」。
地元の人たちの集まりなのでしょうか、賑やかな声が聞こえてきました。
神社のHPにあるように「町の小さなお諏訪様」でしたが、
とても落ち着ける神社で、勝手ながらベンチが一つあれば・・と思いました。