池袋 子安稲荷神社の御朱印
「いけぶくろ こやす いなり じんじゃ」主祭神:保食神(東京都豊島区上池袋2-38-4)
御朱印は書置きでしたが、きちんと筆書きされていました。
▼池袋子安神社の御朱印(通常)。
▼池袋子安神社の御朱印(四月限定)。
▼拝殿での御朱印案内。
▼こちらの社務所でいただけます。
▼社務所の前にも案内があります。
「twitterの公式アカウント」でも月替わりの御朱印が案内されています。
▼最寄駅は「池袋駅」or「北池袋駅」で両駅とも徒歩10分ほど。
鎮座地の「上池袋」は戦後に住宅街となって、その後は再開発されていない地域ですので、明治通り沿いを除いて高い建物はほとんどなく、住宅がぎっしり詰まり、その間に細い路地が入り組んでいます。
上池袋が特別ではなく、東京のほとんどは同じような街環境ですが。
▼明治通り沿いにある神社入口は車でも、歩いていても気づかず通り過ぎてしまいます。上を向いていればアーチに気づくかもしれません。
▼近所の案内看板を備えたレトロなアーチはとっても懐かしい匂いがします。
東京ではもうこんなアーチはほとんど見られなくなりました。
現代ではもっとモダンになり、広告看板も備えられないものがほとんどでしょう。
▼路地に入って振り返れば、車で入れない路地ではありません。
でも明治通りからの入口はかなり細く大きな勇気が必要です。
▼そして、この鳥居を通過するには最大級の決断が必要です。
鳥居を無事通過できれば境内に駐車スペースは見つかります。
でも止めておいた方が無難でしょう。路地周辺の住宅に迷惑でしょうし、
▼境内を見渡しても轍はありませんし、神社にも迷惑でしょう。
近所のパーキングに駐めて歩いて参拝しましょう。
▼大きなツツジの木が満開でした。
▼桜の木などもあるようでしたが、それにしても社殿は森の中状態です。
東京池袋のゴチャゴチャした住宅街とは思えず、どこか田舎の神社を訪問したような良い雰囲気です。
朱色のベンチが可愛らしい。
▼当社の創建年は不詳ですが、少なくとも天正年間にはすでに存在していたそうです。
その後、江戸時代に入って当地の領主が「里の稲荷の使い」に出会い、
朽ちた祠の再建を約束し、
再建後は五穀豊穣や火難などの災いから領内が守られたと伝わっています。
さらに一帯に疫病が流行った折には、霊験により地域の多くの子どもたちが守られたことから「子安稲荷」と呼ばれるようになったそうです。
医療が身近になかった時代、疫病などの発生は、真っ先に子供たちのような弱者に災いが降りかかります。
そうした時に神仏にすがり救いを求める姿はどこでもあった話なのでしょう。
全国に数多ある「子安神社」は同じような言い伝えがあっておかしくありません。
▼本殿が見える位置まで移動しました。
▼境内西側にも鳥居が建ちます。
▼さらに境内南側にも石造りの鳥居が建ちます。
木々が整理され、境内もタイルとコンクリートで固められてしまったら、今ある素朴な情緒は一掃されてしまいます。
時代に取り残されたような雰囲気をあえて継続できればステキですが、訪問者の勝手な願いであることはわかっております。
▼もう一度「里の稲荷の使い」が現れ、領主に傷んだ神狐の新しい奉納を約束させなければなりません。
本社前の狛犬は新し目でしたが、こちらは原型を崩しています。
「里の稲荷の使い」がはやく現れることを願いましょう。
▼西側の鳥居から神社を出ました。ネコがのんびり散歩中。
▼「こちら側は、あきらめ・・・」
▼「やっぱ、こっちにしてみるか・・・ヒマだ!」
猫の吐息と同じような散歩感覚で参拝できた池袋子安稲荷神社でした。