山野浅間神社の御朱印
「やまの せんげん じんじゃ」主祭神:木花咲耶姫命(千葉県船橋市西船1-5-7)
大きな朱印は富士山のデザインの中に「浅間宮」となっています。
二体は6年間のブランクですが、
御朱印の構成、筆書き、朱印はにひとつ変化していません。
「山野」は鎮座地域の旧村名です。
6年前と同じ女性の手によって揮毫いただいたので変化ないのも納得です。
年配女性に6年前にいただいた御朱印を見せながら
「6年前も おかぁさんに記帳いただきました!」
「そうですか・・私も もう年をとって いつまで書けるか・・」
いやいや、10歳はお若く見えるのですから
御朱印を求める参拝者に、いつまでも対応いただけるようお元気でいてください。
▼当社へは「西船橋駅」「海神駅」のどちらから歩いても10分ほど。
写真での道路はたまたま空いていますが、千葉市内まで慢性的に渋滞気味の道路です。
▼その千葉街道の内陸側、北側に神社の入口があります。
上の写真の左、狭いですが赤い道路に進めば境内の駐車スペースに導かれます。
車幅「▶︎1.8m◀︎」の交通標識があります。普通車ならラクショーです。
▼夏の季節は社号標が木々に覆われ影になってしまっています。
▼覆いかぶさる木々をくぐると石段が見えました。
石段の左右は溶岩石が置かれ、
富士登山を模していて頂上の浅間宮を目指す雰囲気にワクワク感が増します。
▼石段上に「一ノ鳥居」です。
富士山を取り巻いて、関東1都3件と山梨、静岡、愛知などを中心に全国1300社ほどある浅間神社の1社です。
創建は不詳ですが、鎌倉〜室町時代に勧請された時から神社らしき形があったようです。
全国1300社という数は大小さまざまな浅間神社の総数ですが、
かつての地域の主な浅間神社には「富士講」が組まれていました。
現在では極端に少なくなってしまった講でしょうが、当社では「富士講」が続いているそうです。
▼鳥居先の狛犬。
▼まだ新しそうな狛犬は思いっきりお尻を上げ、子獅子もユニークな表情です。
▼狛犬造形職人さんの自由な発想は、まさにデザイナーです。
▼「一ノ鳥居」の先は長〜〜〜い参道が延びていて神域の広さを知らされます。
由緒によれば約2000坪の社地だそうです。
左右の木々が適度な日陰を作ってくれていて夏の長い参道も苦ではありません。
▼「ニノ鳥居」が見えてきました。
少しの石段とニノ鳥居を抜けます。
▼さらに社殿前へと石段が続きます。
▼最後の石段脇の狛犬は溶岩石の上から参拝者を見下ろしています。
もちろん狛犬の場合の溶岩石は、富士山とは関係なく「獅子の子落とし」を再現していることは言うまでもありません。
▼興味ある素晴らしい造形の厳しい表情はアップしたくなります。
▼見逃してしまいそうになる谷底の子獅子は這い上がれるでしょうか?
▼反対側では心配そうな表情で子獅子を見守りますが手出しはしません。
東京に近い船橋周辺では珍しいくらい長い参道を進んできてやっと社殿が見えました。
▼すぐ右手に手水舎です。
手水舎に柄杓はありませんが、水はしっかり出ていました。
▼その先に境内社が見えます。6社の説明する銘板も見られました。
▼優美な姿を見せる拝殿は江戸末期の建立が、手を加えつつ残されているそうです。
▼簡素と言うべきでしょうが、向拝の装飾と注連縄が美しく輝く拝殿です。
▼扁額は御朱印と同じく「浅間宮」。
耳にする言葉や、目にする文字で「神社」より「宮」の方が重厚さや、厳かさ、高い格調を感じるのは当ブログだけではないでしょう。
「富士信仰」の拠点は「浅間神社」より「浅間宮」がふさわしいように感じます。
船橋市内の東京湾沿岸部では珍しくこの地点で標高22〜23mの高台です。
当社よりもう少し東に鎮座する有名な「船橋大神宮」は
標高10mにも満たないので、やはりここは高い山なのです。
標高20m強ですので大きな高い建物ができる前の江戸時代から昭和初期までは、
ここから江戸湾と江戸の町並みを掠めながら
120km先の標高3700mの霊峰富士が見えたのです。
富士山まで脚を伸ばせない人々が地域の小高い山を富士に見立て、
ここから霊峰と社殿に首を垂れ、両手を合わせた姿が目に見えるようです。
これが真実の「遥拝」かもしれません。
少なくともキラキラ御朱印を郵送でもらうための自宅からの「遥拝」とは大きく違うでしょう。
▼手水舎脇にあった境内社の案内に従ってみます。
▼手水舎右脇の細道は少し降っています。
▼降る途中にある「小御嶽神社」です。
境内社といえども「小」の文字がつく「御嶽神社」は覚えがありません。謙虚なの?
▼さらに降って左に折れると「浅間神社里宮」の鳥居です。
本宮との高さの違いは10mほどでしょうか。
千葉街道とは反対側の北側に「里宮」ですので、
かつてはこちらに主要な道筋があり、人々も多く暮らしていたのでしょう。
▼里宮に祠はなく、現在は石碑となっています。
▼御神木は老いて荒々しい姿を見せていますが・・・
▼反対側に回ればまだまだ樹勢が見える巨木の欅です。
▼里宮からは社叢の間に本殿が少しだけ垣間見えました。
▼車を止めた社殿前の境内に戻ります。
▼車脇に良い加減に乾いた「松ぼっくり」。ひとつ拾い上げて帰ります。
当社は富士山の山開きに合わせ、6/30〜7/1に祭礼が催され、たくさんの屋台と多くの参拝者で賑わうそうです。
そんな賑やかさとはかけ離れて静かな参拝となりましたが、心は和み、
6年ぶりにお会いできた、おそらく宮司さんの元気な奥様に再会できたことに感謝の
「山野浅間神社」でした。