▼上野天満宮の御朱印です。(愛知県名古屋市千種区赤坂町4-89)
当社は「名古屋天神」とも呼ばれ、御朱印にも添え書きされています。
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▼地下鉄「砂田橋駅」が最も近く、徒歩10分圏内。
当社の鎮座地住所は「赤坂町」、そして近くには「自由ヶ丘」という地下鉄駅があり、神社の名称は「上野天満宮」。
すべて東京にもある地名で、東京人には落ち着かない気持ちにさせられます。
もっとも「赤坂」「上野」という地名は全国的に見られるでしょうし、「自由ヶ丘」も東京、名古屋の他にもあるのでしょう。
名古屋天神は、東京の地名が偶然重なっただけです。
「上野」は、江戸時代には上野村(鍋屋上野村)に鎮座していたと考えられることから昭和に入ってから「上野天満宮」という名称になったそうです。
天神社の例に漏れず当社も石造りと青銅製の二体の「なで牛」の像がありあります。
▼青銅製の方は鼻が擦り切れそうなくらい撫でられています。
牛の足元には「天神みくじ」がギッシリです。
当社の創建は不詳ですが、由緒によれば以下の通りです。
「天神」が菅原道眞と結びつけられたのは戦国時代から江戸時代頃のこと。
もともとは文字の通り「天の神」だったようです。
古くは稲妻を示したとも言われ、農耕の神、村の守り神として祀られていたそうです。
現代では「天神=道眞」がすっかり定着し「撫で牛」「飛び梅」も天神さまにはなくてはならない人物・ツールとなっています。
そして天神参拝は受験生たちの必修科目にもなっています。
名古屋では「三大天神」として「山田天満宮」「桜天神社」とともに人気の当社です。
中には「三大天神」を全て参拝する受験生も少なくないとか。
ところで、当社から東へ徒歩10分ほどの千種区晴明山に「晴明神社」があります。
「晴明神社」も
かつて安倍晴明がこの地に在住していて、付近の村人達がマムシの被害に悩まされていたのを晴明が術でマムシを退治したという伝承は上野天満宮と同じです。
晴明が流されこの地に住んでいたという事実は確認されないようですが、「晴明」という地名も残っているので、本人でなくとも何らかの関係者が住んでいたとしておかしくないのでしょう。
愛知県は全国で最も寺社数の多い県ですが、安倍晴明の伝承が残る寺社は「上野天満宮」と「名古屋晴明神社」だけかもしれません。
▼その上野天満宮に2017年、「晴明殿」が完成されたそうです。(写真は「渡邊工務店」)
本ブログが参拝したのは2014年ですので、当然目にしていませんが、お借りした写真のHPを除くと、とてつもなく立派な社殿となっていました。
結婚式場ともなっているようで、知名度の高い神社のビジネス戦略も見えてくるようです。
世の陰陽師ブームも定着し、学問の神様とコラボする上野天満宮は最強の神社と言えるかもしれません。
なにしろ2022年1月には「自信まんまん まんじゅう」が売り出されたそうですが、もちろん神社の自信度ではなく、受験生応援のためのものだそうです。
▼「名古屋三天神」のひとつの記事。