当社の社格は郷社ですが、関東地方の「雷電神社」「雷電社」の総本社格とされているそうです。
読みは「らいでん じんじゃ」。
「雷電」というと戦闘機か、相撲力士を連想させられますが、
「雷」はカミナリ、イカヅチ、「電」は電気ではなく稲妻を意味し「いなづま」と読んだのでしょう。
▼ビリビリくる、この電気現象です。
現代でも区別しにくいのですが、神社の創建当時も「かみなり」「いかずち」「いなずま」などは全部一緒くただったのではないでしょうか。
戦闘機、相撲力士以外にもうひとつ、これも全く神社や御朱印とは関係ないもので、
「ライデン瓶」と言う静電気を貯める装置(ビン)があります。
1746年、オランダで発明されたものだそうですが、どのようにして静電気を貯めるのか、まったく知りません。
▼雷からの連想は、さらにもう一つ。
何れにしてもコワイ「雷」「電」は、神となっていただいて祀り、
「風」も「雷」大きく暴れないように敬い、祈ったのでしょう。
人の力では及ばない畏れ多いものは、すべて神として祀り上げ、その祟り、災いから救われようとしたのでしょう。
現代でも「雷様に おへそ をとられる」という俗説が残るくらいの雷です。
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公共交通機関ではアクセス悪く、バスを利用しても徒歩10〜15分が追加されます。
最寄りの東武線「板倉東洋大前駅」からタクシーで10分と言うのが便利かも。
もっとも地元群馬県の参拝者はほとんど車です。
群馬県の1世帯あたりの車保有台数は、全国的に上位にあり「約1.6台」だそうです。
▼今回ブログでは前置と道草の言葉が多くなり、やっと雷電神社にたどりつきました。
当社周辺は住宅地となっていますが、その外側はすべて平坦な農地が広がっていて、いかにも雷が好みそうな環境です。
社伝によると当社の創建は598年、推古天皇の時代。聖徳太子が神の声を聞いたことで祠を設けたのが始まりとされています。
その後、館林藩主 徳川綱吉が社殿の再建、のちに綱吉が五代将軍となったことからますます繁栄したと伝わります。
祭神は、火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)、大雷大神(おおいかづちのおおかみ)、別雷大神(わけいかづちのおおかみ)の三柱。
雷除けをはじめ、氷嵐除け、厄除けのほか電気関係の安全の神として崇敬されているそうです。
電気関係者から崇敬されるよぷになったのは「電=雷」という発想からで、電気が一般的にしよぷされるようになったのは19世紀以降ですので、最近のことでしょう。
「飛不動尊」がゴルフの安全や飛距離の伸びを願う者が多いのと同じでしょう。
水戸の別雷皇太神、つくば市の金村別雷神社とともに「関東三雷神」の1社に数えられています。
▼社殿は江戸時代後期に造営されたものが現存しています。
▼シンボル的な「雷様」です。
当ブログがいただいた御朱印には無いですが、最近の御朱印にはこの「雷様」の印が大きくド〜ンと押されているようです。
本社殿には左甚五郎の流れを受け継ぐ者の手による華麗な彫刻が施されています。
▼湿地が多かった当地ですので、昔はこんな子供たちがうなぎを獲る様子があったのでしょう。
ここでも「ジシン カミナリ カジ・・・」が連想されます。
▼社殿裏手の「奥宮」も江戸時代、慶応年間の造営。
▼檻の中の「神馬」。
当初は生きた馬が神社に奉納され、その後等身大の馬の像に代わり、さらに絵馬へと変化していった「神馬」です。
かつては軍馬や農耕馬として大事にされた馬は、現代ではサラブレッドが競争馬として各地で人々の期待を背負って走っています。
脱線ばかりの記事内容では「雷様」からカミナリを頂戴するかもしれません。
▼水戸の「関東三雷神」の記事。
▼そのほか「雷」さまの記事。