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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

永谷天満宮の御朱印(横浜・港南区)〜「日本三躰」早春の裏山、河津桜のピンクに染まる

永谷天満宮御朱印。(神奈川県横浜市港南区上永谷5-1-5)f:id:wave0131:20210323194247j:plain

 

永谷天満宮御朱印(2021年)。f:id:wave0131:20210323194257j:plain

永谷天満宮御朱印(2017年)。f:id:wave0131:20210323194253j:plain

浄書にも朱印にも「日本三躰」とあります。

後に天神様となった道真は大宰府に左遷された翌年、鏡を利用して自身の姿を三躰の木像にしたそうです。

そしてその内の一躰が当社の御神体となっています。

他の二躰は太宰府天満宮と大阪の道明寺天満宮に安置されているそうです。

三つの神社は「日本三躰天神」とも呼ばれます。

 

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「日本三大天神」とか「関東三大天神」という括りもありますが、

ここは「日本三躰天神」となります。

「三躰」と言われても、その意味を知らないと何の括りか分かりません。

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永谷天満宮ながやてんまんぐう)へは横浜市営地下鉄上永谷」から数分です。

 

▼社号標やカンバンなどの、あちらこちらに「日本三躰」の文字が見えます。

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▼古い石の鳥居から小高い位置にある社殿まで長い参道が延びています。

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▼2017年10月の初訪問時は社頭がまだ青々としていました。

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▼再訪の2月は白い梅の花が参道を埋めます。

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天神社ならではの光景ですが、

この参道の色も3月末には桜の花のピンクに染められるそうです。

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▼駐車場周りにも白梅が咲き誇っていました。

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▼天神様に欠かせない牛像も春を待って横たわりますが、コロナ禍では容易に撫でられません。

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撫でられず、暇を持て余しているようにも感じます。

 

▼この1年、もうすっかりノーマルになった柄杓のない手水舎です。

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▼長目の参道の先に石段があります。

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▼石段を上がったところに一対の狛犬

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狛犬の先は神楽殿が見え、いくらかそっけない感じのする境内が広がっています。

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▼広い境内の奥にさらに石段が続いています。

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▼石段の先が、いよいよ社殿です。

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▼意外とコンパクトな社殿は平成に入ってからの造営。

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創建としての社殿が造営されたのは1493年と伝わります。

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現在、御神体となっている「日本三躰」のうちの一躰は、

当初、道真の左遷とともに播磨国に追放された道真の五男菅原 淳茂(すがわらの あつしげ)手に渡りました。

 

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後に淳茂は関東に下り、当地、永谷郷に居館を構え、道真の「一躰」を奉祀して朝夕崇拝したことが、永谷天満宮のはじまりだそうです。

その数百年後の1493年に、当時の永谷郷の領主の夢に道真が現れます。

日本三大怨」の道真が夢にあらわれ、畏れた領主が社殿を造営したというのが神社の経緯です。

 

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▼社殿のある石段を一旦降りると「神輿庫」。

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▼さらに境内社が続きます。

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稲荷社白糸社白山社沢滝社が並びます。

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▼社殿位向かう石段の右手にあるもう一つ石段を登ると不動尊を祀る社が建ちます。

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▼「滝不動」の札が立てられています。

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永谷天満宮神仏習合時代があり、不動像が祀られているのもその名残りで、こんな姿も、すっかり慣れました。

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この一画は微妙な雰囲気を感じられました。

 

▼社殿の左手からも裏山へ続く石段が見えますが・・・

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▼戻って右側からのピンクに彩られたルートを登りましょう。

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▼桜はどの品種も見頃はわずかな期間です。

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天神山」の河津桜は、思いもよらずタイミングよく見頃に出会えました。

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2021年2月下旬ですが、もうすっかり春が近いことを知らせてくれました。

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▼天神山を上った先に、当地に「日本三躰」を導いた道真の五男 淳茂の「菅秀塚」が建ちます。

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淳茂はこの天神山から父道真を思い、遥か西の太宰府を遥拝したと伝わります。

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▼同じ西方向を遥拝するように小さな「浅間神社」の祠もあります。

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▼タイミングが良ければ太宰府は無理ですが、富士は見えるかもしれません。

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▼神社を出る途中の左手「天神山」を山号とする、元別当貞昌院」があり、御朱印もいただけるようです。

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天満宮をゆっくり巡っていたら4時を過ぎてしまったので御朱印は遠慮しました。

次の機会にとっておきましょう。

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道真親子の歴史を少しトレースでき、四季折々の姿を見せてくれる天神さんでした。

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