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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

藤次寺の御朱印(大阪・中央区)〜「コロナ大仏」に出会った(下阪 御朱印 Tour---⓬)

如意山 藤次寺御朱印

とうじじ高野山真言宗(阪市天王寺区生玉町1-6)

 

▼「藤次寺」の御朱印です。

直書きいただいた御朱印は「摂津国八十八箇所第十九番」

本尊「宝生如来(如意宝珠融通尊)」となりました。

 

▼書置きの御朱印も用意されていました。右は「吉祥天」のようです。

東京のように書置きでも500円といことはありません。

大阪のほとんどは直書きでも300円でした。

 

▼高津宮から「谷町9丁目」の交差点を渡ると「藤次寺」の山門がありました。

こちらの寺も参拝予定にあったわけでなく、行き当たりばったりでした。

地方で御朱印巡りをしていると、こんなことが度々あって面白いものです。

もっともこの辺りから四天王寺まで寺町が形成されていて

摂津国八十八箇所」の札所も10寺ほど点在していました。

 

▼石柱の横脇には「融通さんまいり」の文字が刻まれていました。

如意宝珠融通尊」を本尊とする藤次寺は「融通さん」とも呼ばれているそうです。

人々が目標に向かい努力する中で、もう少しだけ手が届かない時、

その「もうちょっと」を

宝生如来がそっと背中を押してくれ、融通してもらえるそうです。

 

ちょっとだけよ〜」という声はないそうです。

 

 

藤次寺は平安初期の公家・歌人である藤原冬嗣の発願により建立されています。

藤原家の安泰を願い建立され、藤原家を治める寺であることから「藤冶寺」と称していましたが、明治に「藤次寺」と改称されています。

 

 

発願人 藤原冬嗣と言われても、

藤原鎌足を祖としてその子 不比等をはじめ、その後の平安時代の朝廷の一大勢力の名を成した藤原氏ですので

藤原の名はたくさん出てきて、凡人には誰が誰だか覚えられるものではありません。

 

冬嗣もその藤原氏の一人、とだけ理解しておきましょう。

さらに時は降って、衰えた寺を加藤清正が伽藍を整えた時期もあったそうです。

度々の戦火や厄災、神仏分離など、神社よりもはっきりとした盛衰の歴史を持つのが寺院です。

 

▼2020年に高さ4mの不動尊像が造られ「谷町不動尊」として本堂に祀られています。

山門の「谷町不動尊」ポスターには、平成の大仏師「松本明慶」の名がありました。

この不動尊は2020年に造られているので

コロナ大仏」「コロナ不動尊」とも呼ばれているそうです。

名誉なのか、不名誉なのか?

 

当寺の地域から四天王寺あたりまで30以上の寺院が点在していて、

古い歴史を持つ寺も数多くありますが、寂しいことに古刹の趣を持った寺は一つも見当たりません。

すべて空襲で焼け、戦後の再建なのでしょう。

趣は足りないものの比較的新しいだけに、どの寺院も境内は綺麗に整えられています。

 

 

▼本堂で本尊の「宝生如来」と「谷町不動尊」に挨拶いたしますが、そのお姿は見られませんでした。

本堂に上がりこめば「コロナ大仏」さんに会えたかもしれません。

扉の奥左手に御朱印がいただける「吉祥天」が祀られています。

 

▼境内を歩いてみましょう。

 

▼こちらの不動明王像もそこそこの大きさですが、特別の名はないかもしれません。

 

▼「大黒天」が祀られています。

 

▼素朴な彫りの大黒天は寂し気。古いものかもしれません。

 

▼「地蔵菩薩」もお堂に入っています。

諸仏を目にした時、仏像を守るお堂の有無だけで感じかたが違ってきます。

当然、お堂がある仏像は大事にされ、それなりに由緒のあるものなのでしょう。

 

▼こちらは「稲荷社」。妻側を正面としたお堂に祀られています。

▼対照的な造りの左右の灯篭の間に、現代的に見える石の造形物。

▼石の中央に大師像が埋め込まれていました。「南無遍照金剛!」

 

藤次寺には船場生まれの山崎豊子の墓があるそうですが、

全くの事前知識のない行き当たりばったりで出会った寺の参拝なので見逃しました。

場当たり的な訪問では残念ながら経験の多いことです。

 

 

▼「融通さん」は大阪のこの寺にもありました。少し「融通」の意味は違いますが。

wave2017.hatenablog.com

 

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