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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

興徳寺の御朱印(大阪・天王寺区)〜雨の大阪、初日最後「ぼさつ」に出会う(下阪 御朱印 Tour---❽)

隆法山 興徳寺御朱印

こうとくじ高野山真言宗大阪市天王寺区餌差町2-17)

本尊と准胝観音の二体を直書きいただきました。

 

▼授与所では御朱印サンプルが目移りするほど並べられていました。

 

▼本尊「薬師如来」の御朱印は「摂津国八十八箇所 第十二番」札所印でした。

▼「准胝観音」は地域のランドマークともなっている高さ10mの観音像が建ちます。

御朱印はこちらの授与所でいただきました。

この時、リュックから出した御朱印帳は浸み込んだ雨で各ページの下半分が水浸しになっていました。

嵐のような天候の中での移動で、この日の午前中にいただいた「太融寺」以後、寺院用の御朱印帳を取り出していず、濡れていることに気づきませんでした。

 

受付のステキなお姉さんは、それを見てドライヤーで長い時間をかけて、筆文字がにじまない程度まで乾かしてくれました。

▼おまけに最後には朱印帳ジップロックに入れて返していただきました。

予定もなく行き当たりばったりの寺で出会ったお姉さんは「ぼさつ」に見えました。

 

記帳した筆文字を乾かすためにドライヤーが用意されていたのでしょうが、まさか濡れた朱印帳を丁寧に乾燥いただけるとは思ってもいませんでした。

普通なら濡れた朱印帳でお願いしたら、イヤな顔をされるのがオチでしょう。

寺では法要も営まれている様子の中で、そんな対応をいただいてまさに「菩薩さまサマ」でした。

ありがとうございました。

 

御朱印巡りをしていると様々な対応に直面します。

中でも記憶に残るのは、嬉しく感じる優しい対応、反対に不快感をいだいた対応の両極端でしょう。

今回は思い出しても楽しい会話の中でいただけた御朱印でした。

 

▼「心眼寺」に隣接して大きな観音像が建つのが見えるたので挨拶に行きました。

▼長い「心眼寺」を行き来すれば必ず目に入る観音像でしょう。

▼寺の真ん前は道路を挟んで「真田丸顕彰碑」がド〜ンと置かれています。

▼茶色の土塀が「興徳寺」、その奥に小さく見える白い壁が前回記事の「心眼寺」。

興徳寺は聖徳太子時代の創建、天平年間に行基により再建。

数多い火災に見舞われ、最後は大阪大空襲で山門以外を失っていますので、主な建物は戦後の再建により現在に至っています。

▼4本の筋が入った茶の土塀との調和が美しい「山門」。

同じ真田丸地域で、三光神社心眼寺は真田山、真田丸、幸村を前面に押し出していますが、興徳寺ではそれらを何一つ謳っていません。

▼門前の石柱も「観世音三十三所」「摂州八十八箇所」「三宝荒神」のみ。

▼それらより、真田丸のどこよりも存在感のある高さ10mの「准胝観音」が建つことで十分なのでしょうか。

 

経験のみで言えば、この手の像が建つ場合ビジネスライクな匂いを強く感じる寺院が多く、さまざまな対応も期待してはいけないと理解していました。

 

 

しかし興徳寺では御朱印の種類の多さを除けば、それらは感じられませんでした。
それより境内のあちらこちらに参拝者を和ませ、楽しませる工夫が見られました。

 

 

そして、大きな像で人目を引く寺に抱いていたイメージは、御朱印対応いただいた「ぼさつさま」に払拭されました。

 

 

外見だけの判断は決してするものではないことは分かっていたはずですが・・・。

 

そんな考えも異にさせられたこの寺に出会えたことに「薬師瑠璃光如来」と「おびんずる」さんに感謝しました。

 

 

▼「融通地蔵」にお互い理解し通じ合う「融通無碍」なる言葉を教えられたようです。

▼「立里 三宝荒神 分社」とあります。

立里荒神(たてりこうじんしゃ)」は空海高野山を開創する際に祀ったと伝わる奈良県にある神社で、火の神、台所の神として崇められているそうです。

▼不動像は水をかける仕組みになっているようですが、すでに雨水でびっしょり。

 

隣の心眼寺より少し広い境内のように感じましたが、同じく小さな変わりはありませんでしたが、見どころたっぷりの両寺とも天候の良い時ならば、もう少しゆっくり楽しく散策できたことでしょう。

これも縁ということでしょう。

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