▼世田谷八幡宮の御朱印です。(東京都世田谷区宮坂1-26-2)
▼2020年の7月は直書き対応はされていませんでした。
--------------------------------------------------------------------------------------
▼「世田谷八幡宮」は御朱印収集者としては「豪徳寺の隣」で通じるでしょう。
神社の近くのどこかに「坂」があるのでしょうか、
▼神社鳥居から見える東急世田谷線も「宮の坂駅」と名付けられています。
▼世田谷線は今でこそ様々にカラフルな車両が運行されていますが・・
▼かつては世田谷線と言ったらこの車両でした
少し濁ったグリーン一色の、今ではレトロと懐かしがられる車両は、駅前に鎮座。
▼「宮の坂駅」方面から神社に進むとハデ過ぎる大きな看板に気付かされます。
当地はかつて世田谷城がありましたが、今は豪徳寺と城址公園になっています。
▼ですので、鳥居の前の道路は「城山通り」という名称になっています。
▼1点だけ2013年の写真です。紅葉が朱色の鳥居に溶け込んで見えました。
▼「城山通り」に面した朱色の大鳥居を潜ると、石の鳥居に茅の輪ができていました。
多くの参拝者が八の字を作りながら周っています。
実は最近知ったのですが、「夏越の祓」では周りながら
「水無月の 夏越の祓する人は 千歳の命 延ぶと云うなり」
(みなづきの なごしのはらえするひとは ちとせのいのち のぶというなり)
と唱えながら周るのが作法とか。
その作法は神社や地域によって細かく異なるそうですが、
この和歌は「古今和歌集」「後撰和歌集」に次ぐ「拾遺和歌集」に載っている歌だそうです。
歌集は約1000年前に編まれているので、
「夏越の祓」は千年前にはとっくに行われていた神事ということになります。
当初「茅の輪くぐり」は「年越の祓」の折にしか経験していなかった「茅の輪」ですので、
夏バージョンは「近年に行なわれるようになったもの」と恥ずかしながら間違って解釈していました。
いやはや、御朱印は数百の数をいただいているものの、寺社に関するモノを知らないことの多さに呆れ返ります。
▼貼り紙、注意書きバンバンの手水舎は休止中。
明治時代に建立された狛犬は、その台座にも彫り物が施されています。
掘られている花はボタンかもしれません、「唐獅子牡丹」!
神社名と主祭神の繋がりは、なかなか覚えられません。
何回も記事に書くことで、やっと覚えられる場合もあります。
美しい社殿の奥深くに八幡神がいらっしゃるのでしょう。
歴史物のドラマ、シネマを見ていると
戦国時代の戦場に赴く武士が「南無八幡大菩薩!!」と声を張り上げ、
敵陣に向かっていく場面を目にすることがあります。
その「八幡大菩薩」が八幡神であり、誉田別命、応神天皇でもあることを知ったのも、
そんなに遠いことではありません。
約千年前の創建といわれるこの神社は、
奥州平定の戦勝が八幡大神の加護によるものと感謝した源義家が、宇佐八幡から分霊を招いたと伝わります。
義家も「ありがたや ありがたや 南無八幡大菩薩」と唱えたはずです。
ところで、その尊氏の祖先「源 義家」も、
通称「八幡太郎」と呼ばれますので、「八幡」の話はややこしくなります。
「茅の輪」にしても「祭神」についても、知ったかぶりで記事にしていると
自分の知識の間違いだらけに青くなること度々です。
知らないこと、分からないことについては正直でないと痛い目にあいます。
まぁ、稚拙内容の御朱印ブログにメクジラ立てる人はいないでしょうが・・。
▼神社には3つほど出入り口があり、こちらは西側の鳥居。
▼「仮殿」は現在の社殿が1964年に造営される前に使用されていたものでしょうか?
▼こちらは「神楽殿」。
板戸が閉められている神楽殿は味気ない建物が多い中で、ここの神楽殿はなかなか趣のある顔をしています。
▼「招魂社」の隣には「高良神社」もありました。
▼奉納相撲でも有名な世田谷八幡。さすが観客席付き土俵はここだけかもしれません。
▼奉納相撲の力士たちは軽々と持ち上げたのでしょうか?
▼順序は逆になりましたが、朱の大鳥居脇に「厳島神社」があります。
緑と赤の補色関係の美しさは、神社以外では見つけにくいかもしれません。
弁天池に朱の橋の「大道具」も神社ならではの美しさです。
小さな滝に思わず呟きます「ありがたや せたがや八幡」!
「はてブ」の【今週のお題】などは記事にしてみようと意識したことはありませんが、
▼目障りにもいつもモニター左上に表示されています。
ホントは表示は少しもジャマでもありません。
今回は語呂合わせというか、ダジャレで「ありがたや せたがや」でした。
▼ほぼ「おとなりさん」豪徳寺の記事。