大谿山 豪徳寺の御朱印
二体の御朱印は7年間の隔たりですが、何も変わっていません。
おそらく書き手さんも一緒でしょう。
▼御朱印は境内奥の本堂右手の受付でいただけます。
ここでは奉納用の大小の招き猫も扱われています。
▼寺の名称が使われている小田急線「豪徳寺駅」からなら徒歩10分ほど。
▼最初に紅葉時の豪徳寺です。
きれいに整えられた庭は紅葉する木も多く、秋の散策にはぴったりの寺です。
東京の寺ですので、もちろん拝観料など取りませんが、
ここが京都などだったら500円以上出さないと紅葉も見られないかもしれません。
▼再訪の夏の写真です。
寺ではなく街としての豪徳寺は、
高架になっている小田急線と、地べたを這いつくばる世田谷線の2路線が交差して
そんな交通には至便な街のようですが、豪徳寺駅だけを見ると1日の乗降数は
3万人に満たないそうです。
ざわついた街でもなく、新宿や渋谷などの都心に出るのに便利で落ち着いた住みやすそうな街です。
最近では豪徳寺を有名にした「招き猫」を見るため、諸外国の観光客も増え始めていたと聞きます。
もちろん2020年の境内に外国人の姿はありません。
かつては吉良氏の居館だった世田谷城があったので
「城山通り」と名付けられた道路から豪徳寺の参道が延びています。
中世に創建され「弘徳院」と称していた庵は、
江戸時代に入ると彦根藩主 井伊家が菩提寺として伽藍を整えたそうです。
▼山門の扁額は全く読めませんが、案内によると「碧雲閣」と書かれているそうです。
読めませんが意味も不明です。
「碧雲」ですので「碧い雲たなびく高い建物」とするのは
そのままで単純過ぎでしょうか?
▼紅葉もイイのですが、夏が始まる7月の庭も緑がイキキキと輝き、大勢の人が参拝や散策を楽しんでいます。
▼山門をくぐるとすぐ右手にある新し目の建物は「地蔵堂」。
▼参道途中右手に見える鐘楼。梵鐘は江戸時代初期に鋳造された古いものとか。
▼さらに参道左手に木々の間に見え隠れしていた三重塔の下へ進んでみます。
平成に建立された三重塔ですが、ほかの参拝者もしきりと何かを探るような様子につられて目を凝らして見ると
▼干支が彫られているなかに「招き猫」がネズミに囲まれていました。
▼参道正面は「仏殿」。その前の常香炉の上では狛犬が玉を抱えています。
▼「弐世佛」の扁額を掲げた「仏殿」。
「弐世佛」の実際は「弐」の文字に一筆加えてあり「三」だそうです。
「三世仏」は過去・現在・未来を表し、それぞれ阿弥陀・釈迦・弥勒如を象徴しています。
▼仏殿前を先に進むと「招福門」と「招福殿」が見えますが、入るのは後にして、墓域に進んでみます。
豪徳寺は招き猫発祥の地と言われています。
二代目藩主である井伊直孝が鷹狩に出た折に雷雨に会い、
猫の招きにより門内に入り、雷雨を避けられ、おまけに和尚の話を聞くことができたそうです。
それを感動した直孝が後に井伊家の菩提寺にしたと伝わっています。
豪徳寺と招き猫との関係を結ぶ言い伝えです。
▼その二代目藩主 井伊直孝の墓。
豪徳寺の名称は井伊直孝の戒名「久昌院殿豪徳天英居士」からつけられたそうです。
▼いよいよ豪徳寺で一番に人々が訪れる場所「招福殿」に入ってみます。
▼門前で案内するのはクロネコの「招福猫児」。
▼お堂には「招福観音菩薩」が祀られているそうです。
人々は「福」や「財」の文字やご利益には、即服従です。
▼人々が「福」を願い求める気持ちの数だけ猫が群れを作ることになります。
▼数が集まると「圧巻」になり、この光景が諸外国の人々にウケるようです。
ネズミに騙されたとか、釈迦の死の要因にもなったとされて
干支の仲間に入っていない猫は、現代では最も親しまれているペットとなっています。
▼そして彦根のゆるキャラも大人気で、常に彦根城で愛嬌を振りまいています。
「ひこにゃん」の原点は彦根藩の菩提寺、ここ豪徳寺にあったのです。
ゆるキャラにも失敗作はあるでしょうが、これは大ヒット作でしょう。
▼さらに境内奥に「本堂」。豪徳寺は禅寺ですので「法堂」と呼びます。
境内の様子や招き猫に圧倒され、豪徳寺が禅寺であることを忘れていました。
▼さらに新しい建物が造営中です。
金属製の灯篭には雲に乗り楽器を奏でる菩薩像が彫られています。
▼こちらは笙を奏でています。
腰を曲げた姿は有難くも「マタ・ハリ」のようにセクシーです。
バチアタリな感想をいだいて豪徳寺を出ます。
▼お隣りの「世田谷八幡宮」の記事。