代田八幡神社の御朱印
「だいた はちまん じんじゃ」主祭神:応神天皇( 東京都世田谷区代田3-57-1)
右下の「代田の福猫 ふくちゃん」は神社公認のキャラ。
小学館から『ふくもの』という書籍が2005年に発売され、
その時、書籍やイベントなどで活動を行う「ふくもの隊」が結成されています。
そして2021年、世田谷代田に実店舗「ふくもの堂」をオープンさせています。
当社では縁起物として「ふくちゃん」が授与されています。
▼嬉しくもきちんと記帳いただいて300円はさらにウレシー。
「代田」の地名由来が面白い。以下wikiからの引用。
地名は、巨人伝説に由来するという説がある。昔この辺りには大きな窪地があったが、それが想像上の巨人「ダイダラボッチ」の歩いた足跡だ、というものである。
寡聞にして全く初めて知る「ダイダラボッチ」でしたが、
▼世田谷代田駅前には「ダイダラボッチ」の足跡もあります。(▼写真は「世田谷区」)
こんな大きな巨人なら駅前から神社まで数歩でたどり着くことでしょう。
▼駅から南へ「環状7号線」ひとまたぎのはず。
▼巨人ではない人間は歩道橋を渡って、神社正面に出ます。
▼鳥居前は「環状7号線」。東京の大外をグルッと回る大動脈です。
東京には「環七通り」に面して鳥居を構える神社が、一体幾つあるのでしょう?
大方は「環七通り」が造成されるにあたり敷地を削られたり、遷座させられたりして、改めて道路に面して鳥居を造立させられたものがほとんどなのでしょう。
当社も同じような経緯を経ています。
▼この大鳥居も「環七通り」造成の影響で新たに建てられたもののようです。
車での訪問なら「大鳥居」の左手に駐車スペースがあります。
▼石段を上がると由緒書きの後ろには駅方面から「環七通り」をまたぐ歩道橋が見え、境内に直接入れるような構造になっています。
▼そして広々とした境内が目の前に広がり、印象的な社殿の横顔も見えます。
▼大鳥居から石垣沿いに左に進むと、社殿前につながる鳥居と石段があり、こちらが本来の表参道のようです。
▼環七沿いに比べ、こちらは鳥居も社号標も大きさは控え目。
▼鳥居脇に手水舎がありますが、こちらは使用されていません。
▼味のある石造鳥居です。
▼「天明五乙巳」の文字が読み取れます。1785年ですので、かなり古いものです。
▼両サイドが石垣の、さして広くない石段。
こんな石垣のスタイルは23区内でもそれほど多くはないでしょう。
もう少し左右にオープンだったり、石垣も白っぽかったりします。
▼石段上がすぐ社殿になっています。
▼そして手水舎も石段上の境内に。こちらの手水舎は現役ですので清められます。
▼社殿前で綺麗な台座に乗った狛犬は左右とも子獅子を抱えています。
▼この目付きには度々出会います。昭和以降の造りではなく、それ以前でしょう。
代田八幡神社の創建は1591年。世田谷八幡宮を勧請しています。
まずは応神天皇にご挨拶です。
▼拝殿の屋根は何故か二重になっていて複雑な形状を表しています。
東京の多くの神社に漏れず当社も空襲で、それまでの建物を失っています。
現存する建築物は戦後の昭和以降の造営で、その後も改修・改築などの手が加えられていったのでしょう。
▼キリッと建つ本殿は程よい年輪を感じさせます。
▼やはり特徴的な横顔は白壁のせい。千木がなければ禅寺などの建物に見えます。
▼本殿裏手から見ると屋根が三重に連なってるかのように見えます。
▼社殿裏手に境内社が一つだけありました。
▼「御嶽社」でした。
▼脇に「日露戦役記念碑」です。この手の記念碑はとにかく大きい。
▼「神楽殿」も白壁が使われていてスガスガしい佇まい。
代田の「ふくもの」と「ダイダラボッチ」がどれほどの知名度を持っているのかしれませんが、
当社の広い境内に、駅前と同じような「ダイダラボッチ」の「足跡」ができると、代田と当社の知名度は高くなること間違いないでしょう。
そうです!街ぐるみの「ふくもの」と「ダイダラボッチ」です。