川越八幡宮の御朱印
「かわごえ はちまんぐう」主祭神:誉田別命(埼玉県川越市南通町19-3)
下の2014年の御朱印と比較すると、内容構成的には大きく変わっていませんが、
見た目は同じ神社の御朱印とは思えないほどカラフルになっています。
▼川越の市制施行記念や川越高校とのコラボ御朱印などが案内されていました。
詳細は「川越八幡宮」に紹介されています。
▼御朱印は表参道を進むとすぐ右手にある社務所授与所でいただきました。
当社のHPの「境内のご案内」には「社務所・授与書」と表記されています。
早めに修正された方がよろしいかと思いますが、余計なお世話?
▼当社へはJR・東武線「川越駅」西武線「本川越駅」のどちらからも400m未満。
繁華街の端とは言え、川越の主な社寺の中で一番に立地条件の良い神社でしょう。
▼交通量の多い川越街道を北方面から徒歩で訪問しました。
▼「創建千年の社」の文字が書かれた神社の案内看板の下を右折します。
▼例大祭が近いので紅白幕がにぎやかに設置されています。
こちらが表参道になりますが、神社の参拝者は地理的な都合で裏参道からの方が多いかもしれません。
▼社号標と対で「清明正直(せいめいせいちょく)」の文字が書かれた石標。
「清く 明るく 正しく 直く」は、神道における規範、人としての在り方の基準です。
▼社号標から進むと「一ノ鳥居」。「夫婦イチョウ」が際立っています。
▼そしてすぐ同じく石造りの「ニノ鳥居」が続きます。
▼「ニノ鳥居」には木製らしき扁額に単に「八幡宮」の正式名称。
▼鳥居脇の「手水舎」。以前は「盥漱」の文字の読みを知りませんでした。
▼花手水風に飾られた水盤ですが、水はシッカリ流れていて清めることができます。
▼昭和の奉納の狛犬が親子で迎えてくれます。
▼社殿周辺だけ社叢が豊かで、写真ですとまるで森の中。
▼拝殿前に古い狛犬がうずくまっています。
こちらは江戸時代末期の奉納。台座が低いのでうずくまっているかのようです。
川越八幡宮は1030年、甲斐守 源頼信が下総国の「平忠常の乱」平定の祈願をここで行い、戦勝に感謝し創祀されています。
源頼信は東京の「旗岡八幡宮」でも同じ祈願をして八幡大神を祀っています。
武将は戦さに向かう道々で戦勝祈願するので、さぞや多忙だったことでしょう。
そして敵対する相手も戦勝祈願していることは間違いありません。
争いが平定されたとしても真の勝者はいないのが常です。
社殿は昭和に再建されたものですが、抑制された色合いが品格を表しています。
▼昭和8年に植樹された2本のイチョウは根元で寄り添いあい、1本の木のようになっています。「夫婦イチョウ」「縁むすびの木」としてパワーを発揮しているとか。
▼社殿左手前に小さめの鳥居が建つ稲荷社が鎮座。
▼「民部稲荷神社」は足腰健康の伝承があり、マラソン選手やアスリートからも信仰されているそうです。
▼神社西側の「八幡通り」に面した「裏参道」です。
▼裏参道にも大小2本の木が仲良く手をつないでいるかのようです。
▼この写真は2011年の裏参道です。
▼裏参道途中にある「こころの小径」。比較的新しく整備された一画なのでしょう。
内部に入ります。
▼「再会の木」は、好きな人との再会や良縁、まだ見ぬ人との出会いを祈ります。
▼倉稲魂神を祀る「稲荷神社」があります。
2014年の参拝時にはまだなかった、とても綺麗に整備された気持ちの良い空間です。
▼一番奥に鎮座するのは「三峰神社」。秩父三峰山の遥拝所として創建されています。
▼「ぐち聞きさま」は聖徳太子の姿だそうです。
苦しみや悩みを聞いていただけるそうです。
人のグチなど聞きたくないものですが、こちらではしっかり聞いていただけるとか。
東京・芝の「宝珠院」に、懺悔できるようになっている「閻魔耳」を思い出しました。
▼「こころの小径」を出ると「目の神様」。ロボットのような形状の神様?
グチ聞きの耳に呟いたら、心の窓でもある眼の健康を願い瞬きします。隣には「目薬の木」も植えられていました。
▼その隣に道真を祀る「菅原神社」。
▼「厄割桃」は、伊弉諾命が魔物に桃を投げつけて追い払った神話にちなみます。
▼神楽殿にも「勝」。「コロナに勝つ」ひと・まち・未来
御朱印をいただいた二度の参拝以外にも訪問しているものの、うっかりして見落としたり、撮影を忘れたりしてしまうほど見所が満載の川越八幡宮でした。