/


にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ
にほんブログ村

御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

田端八幡神社の御朱印(東京・北区)〜江戸時代の賑わいを探す

田端八幡神社御朱印

たばた はちまん じんじゃ主祭神応神天皇(東京都北区田端2-7-2)

 

田端八幡神社御朱印です。

正月4日の参拝でしたが書置きの御朱印の日付は「吉日」。

年の「五」と、月の「一」を墨入れいただきました。

御朱印は社殿左手奥の授与窓口でいただきました。

普段は閉じていることも多い授与口ですので訪問時は要チェックです。

 

▼当社鎮座地は山手線「田端駅」から450mほどの距離です。

江戸時代まで別当だった谷中七福神の「東覚寺」に隣接しています。

東覚寺は当社の別当寺でした。

 

▼神社由緒書の隣が社号標かと思いましたが、幟用の柱でしょう。

▼このタイプのものはあまりに大きく、社号標と認識するのに時間がかかる時があります。

▼社号標から少し参道を進んだ位置に「一ノ鳥居」が建ちます。

▼鳥居手前には石橋らしき跡。かつては流れがあったのでしょうか?

そうではなく、由緒書きによれば昭和初期、暗渠とされた谷田川に架かっていたものを保存のためここへ移されたそうです。

 

▼参道を進んで「ニノ鳥居」。

▼参道途中の右手のは「神輿庫」が並んでいます。祭りの時はさぞや賑やかでしょう。

▼「ニノ鳥居」をくぐると由緒書きと、境内社がまとめられたエリアへの石段。

境内社は後ほど巡りましょう。

▼先ずは社殿に向かいます。

▼ソコソコの勾配の石段。年配者の参拝は休み休みとなるでしょう。

▼石段を登りきると右手に「手水舎」。

▼水盤は乾いていました。

▼手水舎の左手に建つ像は欠けていて不明。不動明王

江戸時代までは隣接する「東覚寺」と一緒だったので、仏像があっても不思議ではないでしょう。

 

▼石段先の正面に社殿です。

綺麗に維持されている拝殿は比較的新しそうな造りに見えます。

空襲や放火で度々焼失された社殿は1993年の再建。

 

▼社殿前の狛犬の台座には「典都五十年記念」の文字がありました。

1868年に「典都」され、都が東京になっていますから、この狛犬は1918年、大正時代の造立ということになります。

田端八幡神社の創建は1189年とされています。

奥州征討の帰りに、源頼朝が当地に立ち寄り、鶴岡八幡宮から勧請したのが起源であると伝わります。

▼祭神の「品陀別命(応神天皇)」に訪問の挨拶です。

▼石段途中にあった境内社エリアを巡ってみます。

横一直線に並ぶような境内社群に大きな魅力は感じられませんが、

鎮座地の形状を利用しながら変化と個性のある大小の境内社が集められた区域は、神秘性も感じられ魅力的なエリアとなります。

 

▼最初の左手にあるのは「三峯神社」。秩父から勧請されたのでしょう。

▼その奥は「稲荷社」。

▼丁寧に扱われていますが、小祠は傷んで屋根が欠けていました。

▼小さな狐たちが寄り添って何やらヒソヒソ話。

▼右手に青銅製の鳥居。鳥居先は富士塚のような成形。

▼ 溶岩を模した小山の上に「浅間神社」です。

かつて関東地方ならではの富士講や三峰講が盛んだったのでしょう。

 

▼境内に戻って「楽殿」や「参集殿」など。これらも新し目の建物でした。

 

正月4日、隣接する東覚寺は七福神開催期間でもあり多くの参拝者が見られましたが、当社の参拝は訪れる人もまばら。

▼しかし、江戸時代のこの一帯は名所。

田畑八幡宮」の題の江戸名所図会には当社は「八幡」と記されていて、東覚寺観音与楽寺阿弥陀第四番目などの記載も読めます。

当時の賑わいが偲ばれる田端八幡神社参拝でした。

 

▼隣接する「東覚寺」の記事。

▼「六阿弥陀」の記事。

wave2017.hatenablog.com

 

にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ
にほんブログ村