「おおさか てんまんぐう」主祭神:菅原道真(大阪市北区天神橋2-1-8)
▼「梅鉢紋」をデザイン化した御朱印帳を購入して、1ページ目に書かれていたものですので通常の御朱印でしょう。
御朱印はこのほか書置きが数種類ありましたが、御朱印巡りとしては初体験の大阪。
いただくのは基本の通常御朱印だけで十分でしょう。
もとより本ブログはニギニギしい限定御朱印を「あれも、これも」と追わない性格なのでよしなに!
▼授与所に牛乳瓶の蓋にようなものが・・? 「願い玉」と言うそうです。
境内の端にある「星合池」に浮かぶ5色の梅の花のオブジェに、自分が選んだ「願い玉」と同色の花に投げ入れられれば願いは成就するそうです。
「かわらけ投げ」の変形スタイルですね。
▼御朱印は境内に入って右手「手水舎」の先の「授与所」でいただきました。
▼「太融寺」から1km以上歩きました。
▼「曽根崎通り」から「天神橋筋商店街」の入り口が見えました。
▼おそらく日本一長いアーケードの商店街。
南北に2.6kmほどは雨に濡れずに移動できるでしょう。
▼目的の天満宮の「参詣道」でもありました。
しかし、すぐにアーケードから外れて左に折れなければなりませんでした。
▼すると、いきなり右手に神社入口が現れました。
▼「北鳥居」になるようです。
▼一旦境内を横切って南側にある「蛭子門」に向かいました。
▼「大阪 ガラス発祥之地」。
現代では安い輸入品などに押されて、すっかり衰退してしまった天満のガラス産業は、昭和初期頃までは多種多様な製品を作り出していて、業者の数は東京を凌いでいたそうです。
▼文字が切れてしまっていますが「御神酒笑姿」は「おみきえびす」と読む。
関西ですので「えびす祭り」は、東京の「酉の市」のように賑やかでしょうね。
▼「蛭子門」から境内に入ると、いらっしゃいました。
天満宮で「撫で牛」は東西共通のようで、すっかりハゲ上っていました。
▼雨が激しくなった中、正面となる「表大門」に回ります。
▼大きな注連縄の先にカラフルで巨大な「十二支方位盤」が天井から下がっています。
▼ン〜〜〜ん、直径 2mはないかな?
▼目をこらすと酉の位置には鳳凰が。酉は鷲、鳳とも表されるからかな?
実のところは道真が太宰府に左遷される時に詠んだ歌
「鳴けばこそ 別れをいそげ 鶏の音の 聞こえぬ里の 暁もがな」にちなみ、
鶏の鳴き声に無念の出立を急き立てられるかのような歌であるため、鶏は用いず、大阪天満宮では鶏卵もお供え物にしないとか。
▼「表大門」をくぐるとすぐ右手にあります。
右の小さな社は、大阪の名水と言われる御神水をまつる「黒土祠」。
左手前の「御神水舎」は、月に3日間だけ扉が開けられ御神水がいただけるとか。
▼やっと拝殿に向かいますが、雨がヒドイ!
▼拝殿雨は水溜りができてしまっています。水はけの良い砂利敷きなのに・・。
背にリュック、右手にスマホ、左手にカサですが、ほとんどビショビショ!
▼それでも大阪の道真さんに「東京から逢いに来ました」とご挨拶!
大阪天満宮は650年、現在は境内社となっている「大将軍社」を孝徳天皇が創建したのが始まりだそうです。
後に道真が太宰府に向かう途中、旅の安全祈願に立ち寄ったと伝わります。
社殿は大阪大空襲の難から逃れられていて、江戸時代の再建が現存。
▼「登竜門」は東西に二つあって、えびす祭りなどの日に本殿を通り抜けて参拝できるそうです。きっと道真とご利益を間近に接近できるのでしょう。
▼夥しい数の奉納絵馬。受験生たちのは想いは東西変わらず、東京の湯島天神を思い起こさせられます。
▼社殿を中心に反時計回りに巡ると2時の方向に鳥居。
▼専用と思われる「手水舎」もあります。
▼「白米大神」と書かれた赤い提灯で囲まれています。
雨天のせいかこの周辺には人影は見えず、隔絶されたような区域。
▼「白米社」? はくまい? しろよね? しらよね? 分かりません!
▼すぐ脇が「稲荷奥宮」となっているので「白米社」は稲荷社?
▼こちらにも「神牛」が。
▼「神馬」。
▼なかなかの目つきは木造らしい。
▼順序が逆になりますが扁額は「白米稲荷社」。
ここから出て境内飛地のようになっている
▼「祖霊社」へ。ほかに招魂社などの小さい祠が並びます。
▼こちらも逆ですが「祖霊社」から「白米稲荷社」方面に架かる「星合橋」。
▼授与所に置かれていた「願い玉」は、この池の花びら型のオブジェに投げる。
各々の色の「願い玉」を同色の花びら上に乗せるのは難しそうです。
▼再び境内に戻って「十二社」。
▼大阪天満宮の先祖「大将軍社」。
陰陽道による西北の鎮めとして建立されたとか。
▼「蛭子遷殿」はえびすさんの せんでん? うつしどの? 意味は仮殿のようです。
「てんまのてんじんさん」は雨の中をめぐるには広過ぎ、歩き回って疲れました。
▼各地を代表する天満宮の記事。