菅原神社の御朱印
「すがわら じんじゃ」主祭神:菅原道真(東京都世田谷区松原3-20-16)
▼菅原神社の御朱印です。
▼京王線「明大前駅」「下高井戸駅」のどちらから歩いても10分以内で到着。
複数ある同名神社との混同を避けるため「松原菅原神社」と呼ぶこともある当社ですが、東京に数ある天神社、天満宮でも「菅原神社」と称する主な神社は、当社の他に成増と町田だけでしょうから、大きく混乱することはないでしょう。
▼神社入口の鳥居は一戸建ての住宅の密集した街路に面して建ちます。
狭くて計画性のない道路が多い地域で、そんな道路は街路樹も少ないなか、こんもりとした豊富な緑に行き合うとホッとさせられます。
車で訪問の場合は境内北側から境内に侵入できる入口があります。
「村社」の文字が残されている社号標の脇に「せたがや百景」の案内。
説明文の引用です。
境内に朱塗りの社殿が目立つ。江戸時代、石井兵助という人が寺小屋を開き、学問の神様である菅原道真公を祀ったのが始まりだろうと伝えられる。いまも学業祈願、合格祈願の絵馬札がたくさん下がっている。
この百景の説明文が当社の全てを、古例j脳になく簡潔に要約しています。
▼参道途中左手に「手水舎」。
▼柄杓が用意されているのが当たり前の姿ではなくなってしまった昨今では、妙に嬉しくなってしまうのもヘンですが、やはり清めは柄杓が必需品です。
▼住宅街のコンパクトな神社ですので参道を進むとすぐに拝殿にたどり着きます。
▼ユニークな表情の狛犬がお出迎え。「大正」の年号が刻まれていました。
▼ん? 相当ボケてます? 嫌われてしまったようです。
▼狛犬の手前の小さな祠は「大黒、恵比寿社」のようです。
▼その脇におなじみの「撫で牛」。
▼1100年前、牛車を引いた牛が動かなくなったのは、のちの太宰府天満宮前でした。
道真が誕生したのは「丑の年の丑の日の丑の刻」という面白い伝説もあります。
▼社殿が造営されたのは戦後の昭和。
かつての荏原郡松原村の鎮守は1665年、当地で寺子屋を開いていた人物が、学問の神である菅原道真を勧請したことに始まると伝わりますので400年の歴史です。
学問上達を祈願するにはいささか遅い身ではありますが、
新しく何かを始めるのに遅いということはなく、年齢も関係ないでしょう。
▼鈴棒を振って、学問の神様にご挨拶申し上げます。
▼コンクリート製の社殿ですが、グッと張り出した向拝が単調さを打ち消しています。
▼本殿も綺麗に維持されている様子がうかがえます。
▼拝殿の基壇上から見た社務所。
▼重いか、軽いかの「願い石」は灯篭の擬宝珠部分の石を持ち上げる。
持ち上げる時、落とした人があるのか擬宝珠は欠けたり、ヒビがあったりです。
▼社殿左脇に境内社が二社。
▼「御嶽神社」に「稲荷神社」でした。
▼社殿左手奥に「せたがや百景」の名に恥じない美しい区域があります。
▼「厳島神社」です。
▼箱庭のように美しく整備された一画は、手入れの大変さが伺われます。
神橋に池、祠が見事なハーモニーを奏でています。
澄んだ水の中で鯉たちも満足げに遊泳。しあわせな魚たちです。
▼地域柄「明大」合格の祈願の奉納絵馬もあるかもしれません。
▼「神楽殿」も鮮やか。なぜかイヤミを感じさせられる色合いではありません。
▼神社入口脇にある「絵馬殿」も当社の百景に加わっているのでしょう。
▼何の車輪でしょうか? 牛車?
▼取ってつけたような、さりげない木鼻ですが精巧緻密。
▼正面の壁に取り付けられている透し彫りは、中国の故事を表している?
▼天神社に欠かせない梅の木が描かれた絵馬。
絵を眺めて、文字を追っていると時間がアッという間に過ぎていきます。
▼学問の神を祀る神社でも、かつては目に見える力持ちが讃えられたのでしょう。
▼世田谷区松原一丁目からはじまる神輿庫。
鳩たちは正直者で居心地の良いところにしかたむろしません。
狛犬と牛がいて、鯉、鳩、そして人が集い、寒椿も咲き誇るステキな神社でした。