大阪城 豊国神社の御朱印
「ほうこく じんじゃ」主祭神:豊臣秀吉・秀頼・秀長(大阪市中央区大阪城2-1)
「豊國神社」は京都が本店?いや代表的な存在で、秀吉出身地の名古屋にもあり、
どちらも「とよくにじんじゃ」ですが、こちらは音読みで「ほうこくじんじゃ」。
同じ読みにしてほしいものですが、なぜそうなるのか分かりません。
それにしても書置き御朱印とは言え、呆れるほど素晴らしい筆跡です。
授与所には何種類かの書置き御朱印があったと記憶しますが、スタンダードを一体いただきました。
今回訪問中の大阪では都心部ながら書置きは極少数の寺社だけでした。
東京の都心部なら逆に直書きが少数派になるでしょう。
「大阪天満宮」を後にして歩け歩け!
この日最大の移動距離2.5km以上ありました。
少し小降りになりましたがまだ雨は降り続いています。
▼途中、大川沿いにあった「南天満公園」に降りてみると、子守お姉さんのブロンズ像濡れていました。
▼刻まれている歌詞らしき文字は「天満の子守歌」。
「ねんねころいち 天満乃市よ 大根揃へて 舟に積む ・・」
誰も知らない子守歌!
後で調べました。
かつての江戸時代に、この大川沿いに大阪三大市場のひとつとされた天満青物市場があったそうです。
市場の情景が描写され、働く家族を見ながら留守に子守する姉弟かもしれません。
▼子守歌ではありませんが、昔「面影橋から」という楽曲を思わず思い出しました。
及川恒平が歌う歌詞は「面影橋から天満橋、天満橋から日影橋・・・切って捨てよか大淀に」と続きます。
及川恒平? 誰も知らない? 「六文銭」と言えばわかるかしら? 及川はそのメンバー。
天満橋、大淀という歌詞から、てっきり大阪を歌っている曲かと思っていましたが、
「面影橋」は東京の神田川にはありますが、大阪にはありません。
歌詞はさらに「いにしえ坂から わらべ坂 わらべ坂から 五番坂」と続きますので、
どうやら曲「面影橋から」は具体的な橋を示すのではなく観念的な表現のようです。
どっちにしても歩いた、歩いた!「天神橋から 天満橋」。
▼そして、やっと見えてきた大阪城。
▼「大手前」だからもう一息!
▼かつて車窓からの眺めしか経験のない大阪城。外堀沿いに歩け、歩け!
▼「大手門」に引き込まれました。
▼「大手門」をくぐると直角に曲がって「多聞櫓」。
▼そのまま城内を東に進むと目的地が見えてきました。
豊国神社は当初、京都・豊国神社の大阪別社として明治期に建立されています。
京都の豊国神社も明治天皇の命により再興されています。
秀吉没後に建立された豊國神社ですが、豊臣家滅亡とともに家康により豊国大明神の神号は剥奪、神社自体も廃絶され、江戸時代には豊国神社は存在しませんでした。
とことん「豊臣」の臭いと力を封じ込めたは、それだけ家康にとっては脅威だったかもしれません。
▼「家康くん、ワシは蘇ったぞ!」
▼「フーッ、ヤレ、ヤレ!」
大正時代に京都 豊国神社から独立して、その時に神社名が「とよくに」から「ほうこく」に変えられています。
「暖簾わけ」ではなく、独立するものに同じ名称は使わせない、という事だったかもしれません。
▼拝殿前は巫女さんに黒スーツ姿の参拝者らしからぬ人たちが・・。
▼マイクロバスが人を運んできて、どうやら雨の日の「出世開運神社」での結婚式。
▼で、部外者は遠巻きにするものの、参拝もままならず少し「狛」りました。ジャマしないように脇から参拝。
▼大阪城側の「裏鳥居」です。まさにシットリ。
▼境内社の鳥居。
▼「宇迦御魂神」を祀る「若永神社」。
▼「白玉神社」などの相殿。
結婚式に追い立てられるように慌ただしい参拝で神社を出ました。
▼その時間差分だけ「太閤はんのお城」を眺めていきましょう。
▼「桜門」を入ります。
寺社や城、城址は歴史の生き証人とも言えるでしょう。
残されているものの一つ一つが歴史を証明しています。
想像力豊かな人が、それらに想いを馳せるのは楽しいに違いないでしょう。
▼桜門、枡形にある「蛸石」の重量は約130トンと推定されています。
しかし、歴史が極端な観光にされてしまう場合があり抵抗を感じます。
本ブログは単に「ヘソマガリ」ですので、皆さんは大阪城をお楽しみください。
ですが、諸外国の「城」とは全く違う姿をしているので、外国からの観光客たちに人気なのも分からないでもありません。
約400年前にこの天守で家康が撃ち放った砲弾が炸裂したかと思うと、感慨深いものがあるのは歪めません。
櫓や堀、石垣などは江戸時代に再築されたものが現存されています。
それにしても幅広く深い堀です。ここを攻めるのは容易ではないでしょう。
そして後に埋め尽くされたのですから、土、石に限らず何でもブチ込まれた事も分からんでもありません。
メジャーな観光対象は嫌っているくせに、これだけ大阪城の姿をスマホに収めたのですから「ヘソマガリ」も極まりです。
神社での結婚式をジャマしたくなく、早々に秀吉に背を向けた「豊国神社」でした。
▼京都、名古屋の「豊国神社」記事。