▼西新井 雷神社の御朱印です。(東京都足立区西新井2-27-1)
宮司さんだったのででしょうか、男性の丁寧な対応でしっかり直書きいただけました。
正式には「いかづちじんじゃ」なのでしょう。
通称として当社のツイッターでも「西新井雷(カミナリ)神社」とされています。
御朱印に押されたスタンプの説明などもされており、とても分かりやすい案内です。
御朱印対応日は
▼雷神社のtwitterに案内されているので check!です。
--------------------------------------------------------------------------------------
▼当社へは東武線「西新井駅」「大師前駅」のどちらから歩いても1km前後です。
神社脇の通りは「七曲がり」という名称になっていて、名前の通りクネクネ曲がりながら、竹の塚駅西口方面まで続いています。
この辺りから北へ続く「伊興」地域は、1960年代頃までは完全な農村だったのでしょう。
区画整理されずクネクネと細い道が続く地域が残っています。
▼その「七曲がり」から見た神社の全景です。
コンパクトな境内で、玉垣や、社務所などの新しさは近年整備されたことが予想されます。
▼ノボリは御朱印受付日のみ立てられるのかもしれません。
▼社叢は少ないのですが、カンペキな清潔さが伺えました。
▼社号標や石造の鳥居も古さを感じさせません。
玉垣や狛犬は平成の造営とのことですので、鳥居も同じ頃に建てられたものかもしれません。
由緒によると江戸時代中頃には雷による田畑の被害が甚大で、地域は荒れ果て、旱魃から享保の飢饉へと続いたそうです。
北関東では多くの雷神社が見られますが、この地域でも後に神社を建立し「大雷神」を祀るほど落雷による被害は大きかったのでしょう。
現代では考えにくいことですが、
当時は間違いなく「ジシン・カミナリ・カジ・オヤジ」だったのでしょう。
「ジシン」だけは現代でもトップランクされているでしょうが・・。
▼古い狛犬は見当たりませんので、これまでは狛犬さえもなかった神社だったかもしれません。
もっとも大きな神社は別にして、地域の、地元の氏子神社などは近代になって、やっと神社らしき姿が整えられたはずです。
それまでは「社殿=祠」的な環境でも人々は真剣に神々を祀り、崇敬してきたのでしょう。
当社の歴史は300年に満たないものの、境内に形として古いものが見つからないだけに、現実に存在することが余計にその歴史を感じさせてくれます。
▼流れ造りの木造社殿は、昭和に入って造営されたものだそうです。
社殿奥には神輿庫のような建物もありました。
▼そして、狭い境内で存在感たっぷりの「スダジィ」。
神社の歴史は残された証拠と人の推測により、おおよそ決められますが、もしかしたら
「それは違うよ!」と、真実を知っているのは、モノ言わぬ神木たちかもしれません。
たとえかつては地域のどんな小さな祠・神社でも、
東京のビルの屋上にある多くの小さな祠・神社とは違う性格を持っていたのだろうと感じられた「イカヅチ神社」でした。
▼「雷」関連神社の記事。