▼常在山 藻原寺の御首題です。(日蓮宗/千葉県茂原市茂原1201)千葉茂原市にある寺ですので「もばらじ」と読んでいましたが、違いました。
寺名は音読みで「そうげんじ」でした。
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▼外房線「茂原駅」から歩くと20分ほどですが、もちろんバスも出ています。
「茂原市」は人口9万人にも満たない小さな市ですが、関東での知名度は低くないように思います。
七夕が有名で、電車で外房に向かう場合の停車駅であったり、車で外房の海に向かう時も度々通過する街だったりするからでしょう。
「茂原」の地名は、平安時代に拓かれた荘園「藻原荘」に由来するそうです。
当時は海がもっと近かったのか湿地帯で、文字通り「藻(も)」が地域一帯を覆ってユラユラしていたようです。
その地名が「藻原」から「茂原」に変わったのは江戸時代のことだそうです。
寺の周辺は「茂原公園」になっていて、山や湖水などの自然地形を利用した散策道や広場のほか美術館、郷土資料館などもあり、さくらやツツジの名所でもあるそうです。
▼その公園の東に寺の「総門」が建ち、参道が伸びています。
▼総門から北の公園内に進み、300m先にランドマークの「山門」がニョッキリです。
藻原寺の山号は「常在山」ですが、山門は「藻原山」と書かれていました。
寺のHPでは「戒壇塚」と紹介されていますが、高さ25mの多宝塔式の山門です。
大正時代に台風により倒壊した山門を昭和に入って再建されたものです。
「竜宮門」にも似ていて、茂原市のシンボルでもあるようです。
当寺の創建は1276年。
清澄山から鎌倉に向かおうとする日蓮の最初の帰依者となった、当地藻原の齋藤氏に題目を唱和したことから「御題目初唱之霊場」ともいわれています。
いただいた御首題にも「日蓮門下 お題目初唱之霊場」とスタンプされています。
▼祖師堂または大堂の向拝には夥しい彫刻が施されていました。
度々あることですが、見上げて彫刻に目を凝らしていると運動不足の身は足元がユラユラします。
▼失礼して煌びやかな堂内を撮影。日蓮さんは御簾の奥でしょうか? 姿は見えません。
左奥に「妙光普照」の文字が見えました。
「妙なる光は普く照らす」または「妙なる光が普く照らす」という意味でしょうか?
もとの寺号は「妙光寺」とされてきましたが、明治に入って「藻原寺」に改称されています。
また藻原寺は「東身延(ひがしみのぶ)」と呼ばれることもあるそうです。
もちろん山梨県にある日蓮宗の総本山「身延山 久遠寺」に準ずる「東身延」です。
「西身延」というのは聞いたことありませんが、鎌倉の「本覚寺」も「東身延」と呼ばれています。
「華経殿」は当寺の守護神「華経房日徳尊儀」が安置されているそうです。
▼3月半ばの境内は遅いウメや、早いサクラなどが色を競い合っていました。
▼朱に塗られている渡り廊下は「彼岸橋」。
「彼岸」へ渡る橋にしては艶やかな色で、その先が浄土であるかのようです。
▼数年後、茂原山上にこの10倍の大きさの日蓮像が建立される計画があるそうです。
かつて、藻がユラユラしていた地域は、
今は計画、夢がユラユラに変貌しています。
▼鎌倉の「東身延」記事。