川越熊野神社の御朱印
「かわごえ くまの じんじゃ」祭神:熊野大神(埼玉県川越市連雀町17-1)
いつものように正式名称は「熊野神社」で他社との混同を避けるため鎮座地の「川越」の文字を使用しています。
▼2022年は八咫烏をデザインしたクリアファイルに、特別御朱印とともに由緒書きなど諸々入れられて渡されました。
▼境内社を含めた通常御朱印が3種類、特別御朱印は多数案内されていました。
▼境内左手の御朱印受付には3人ほどの書き手さんが控えていました。
「蔵造りの街並」に向かう通りと「大正浪漫夢通り」に挟まれた好立地に鎮座します。
▼石畳の「大正浪漫夢通り」の週末は人の往来が絶えることはありません。
▼そして、まるで吸い込まれるように人がどんどん境内に入っていきます。
▼神社には「蔵造りの街並」に向かう通り側にも入口がありますが、こちらが表参道になるのでしょう。
地元の方々には「おくまんさん」と呼ばれて親しまれているそうです。
▼鳥居の先には両側に玉石が埋め込まれ、裸足で歩く「足踏み健康ロード」になっています。靴を脱いで歩いてみましょう。相当イタイ!!
▼額は読みづらいのですが「熊野神社」と彫られているのでしょう。
▼鳥居をくぐるとすぐの「二ノ鳥居」はかなり古そうです。
▼鳥居の柱裏には「正徳三癸巳年」の文字が読めます。1713年です。
▼手水舎は柄杓はなく、手前に消毒用アルコールが用意されています。
▼ビー玉に水が注がれています。
▼何と「恋手水」!! 何なんでしょう?
「花手水」なら、もともとは野外で手を清める際に草花で代用したことを言います。
しかし「恋手水」は分かりません。
でも意図は分からんでもありません。
人々は「恋」「縁」「銭」に弱いのです。
▼「茅の輪くぐり」が設けられていました。
8の字に3度周りくぐって心身を清めて災厄を祓い、無病息災を祈ります。
▼もちろん参拝の列ができています。
▼その列を愛嬌のある顔で見つめる狛犬。扁平な顔は決して憎めません。
当社は1590年に紀州熊野から分祀された開運・縁結び・厄除けの神社、と由緒に説明されています。
ですので創建は室町時代になります。
熊野大神である伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉册命(いざなみのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)の四神にご挨拶です。
▼社殿は瓦屋根などから想像すると改修されてそれほど古いものではないのでしょう。
本殿はこちらからは木々に隠れ確認できません。
▼かわいいジャンボ八咫烏です。
▼背中でリボンが結ばれているようです。
▼反対側から本殿を確認したら工事中でした。
▼2014年の写真では本殿が見えました。
▼同じく2014年の写真を2点。
▼やはり多数の参拝者が見られましたが、2022年のような境内に華やかさはありませんでした。
▼境内西側のもう一つの入口に回ってみました。
▼すぐ先に「むすびの庭」です。
熊野本宮大社から授かったナギ、サカキの木がこんもりとした森を作っています。
▼「個人・家族」と「カップル」では参拝作法が異なるようです。
▼先の方の参拝が済むまで外で待ちます。
▼八咫烏のレリーフからお言葉を、水晶球からはパワーをいただけるとか。
境内を社殿前に戻り境内社を見て参拝していきましょう。
▼いち番手前は稲荷社のようです。
▼神狐は目を釣り上げていますが、全体に鋭さがないのでカワイイもんです。
▼扁額は「加祐稲荷社」となっていました。
永禄年間にはすでにすぐ近くの蓮馨寺にあったとされるものを、明治に入ってこちらに遷座されたそうです。
▼その隣は「宝池(弁天池)」にっていてここで「銭洗い」です。
▼滝が流れ、弁天像が置かれています。
▼このエリアは弁天池を含めて「厳島神社」になっています。
▼最奥に「白蛇神社」があり、石造の社殿前に「撫で蛇様」。
▼こちらが「厳島神社」です。
▼どの末社もそれぞれに石造りの専用鳥居が建っています。
川越熊野神社では酉の市は「酉の日」に関係なく、毎年12月3日に市がたつそうです。
「大正浪漫夢通り」沿いには多くの屋台が出るそうですが、2021年は中止され、2022年は開催できるでしょうか?
▼「山ざくら咲けば白雲 散れば雪 花見てくらす 春ぞすくなき 杢網」と刻まれています。
狂歌師「元杢網(もとのもくあみ)」は「木阿弥」とも表記されることもありますね。
川越の人気神社の中でも氷川神社は市街の北に鎮座しますが、
そんな好立地が多くの参拝者を集めることになるのでしょうが、
それ以上に神社の魅力づくりが最初にあることを感じさせてくれた熊野神でした。
▼川越氷川神社の記事。