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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

師岡熊野神社の御朱印(横浜・港北区)〜1300年の時間を経て令和の神苑に深遠な水がほとばしる

師岡熊野神社御朱印

もろおか くまの じんじゃ主祭神伊邪那美尊横浜市港北区師岡町1137)

2022年の御朱印は書置きでしたが、5年間に微動だにしない筆書きに神社印。

これぞ御朱印です。

書き手さんも同一人物のようです。

 

師岡熊野神社御朱印です(2022年)。

 

師岡熊野神社御朱印です(2017年)。

社紋・神紋の「八咫烏(ヤタガラス)」や「関東随一大霊験所」の印、

さらに「神威顕著」の墨書きがあります。

御朱印を見て、読んだだけで、訪問した神社の一面を理解できることもあります。

やはり、御朱印に添え書きや、意味を持つ小さなスタンプなどがあるのは、様々な意味で過度な表現にならなければ好ましく感じられ大歓迎です。

 

御朱印は社殿右手の社務所でいただきました。

社務所も時代を感じさせられる建物です。



▼当社へは東横線大倉山駅」から徒歩約8分。

大倉山」の地名が成り立ったのは比較的新しいものだそうです。

しかし、諸々の丘があることから名付けられて「師岡」の地名は平安時代の文献に見られるそうです。

 

さらに、当社を中心にして周辺には「獅子ヶ谷」「駒丘」「」「大豆戸」などという地名が現存して、それらは全て神社に対する役割分担の仕事内容から名付けられたそうです。

 

地域に神社や寺院に関わる地名が付けられ残っていることは、

人々の信仰の篤さや、寺社の規模、影響力の大きさなどを見て取れる部分でもあるでしょう。

 

熊野山と呼ばれていた高台に鎮座する当社の入口は何とも美しい姿を見せています。

▼しかし、その鳥居の前に道路を挟んで、池と小さな社が見えます。

いの池休憩所」と記されていました。「いの池」とは何でしょう? 正体不明です。

▼池の陸続きになっている島にあるのは「弁天社」です。

▼ご存知「弁財天」が祀られています。

古くからある弁財天は、江戸名所図会にも現在地のまま描かれているそうです。

21世紀と江戸時代とで、当社の基本的な姿は大きく変化していないようです。

▼さて熊野山に登ってみましょう。

▼社号標は「聖武神亀元年創立 関東随一大霊験所 熊野神社」。

神亀元年創立」ということで、724年創建の古社ということになります。

▼鳥居の額は「関東随一大霊験所 熊埜宮」の文字。

当社は885年に光孝天皇の勅額「関東随一大霊験所 熊埜宮」の勅額を賜り、以来、宇多天皇醍醐天皇朱雀天皇村上天皇の勅願所とされたそうです。

鳥居に掲げられたものは、その勅額の写しだそうです。

 

現在当社は便宜上「師岡熊野神社」と呼ばれていますが、正式名称に「師岡」の文字は付かないのでしょう。

明治の神仏分離で「熊野神社」となりましたが、それまではどんな呼び方をされていたのでしょう。

熊埜宮(くまのぐう)」なのか「熊野権現」あるいは単に「ごんげんさん」だったかもしれません。

▼鳥居と狛犬を抜けると石段途中の右側に「稲荷社」があります。

この稲荷社の鎮座位置は江戸時代から変わらないそうです。

狐像もかなり古いもののように見えます。

▼「地神塔」は「じのかみ」「じちんさま」とも呼ばれ「土地の神」「農業の神」だそうです。

▼そこそこの勾配を持つ石段が境内へ続いています。

近頃は多くの神社の石段には手すりが設けられており、昔の参詣者達から見れば羨ましい事かもしれません。

▼「手水舎」は柄杓は置かれてないものの水はしっかり流れ、清めることができます。

▼石段から上がって正面に、屋根の色が美しい立派な社殿が現れます。

▼拝殿は明治の再建で、その後も改修などが加えられながら維持されています。

▼装飾彫刻も立派ですが撮影がうまくできていません。

▼掲げられた額の文字は「関東随一 大霊験所 熊埜三社 大権現」のようです。

記事冒頭では主祭神伊邪那美尊としましたが、

当社は事解之男命熊野権現)、速玉之男命も祭神とし、熊野三山の祭神と同じです。

▼江戸時代に建立された本殿は立派な覆屋で保護されています。

▼本殿にも装飾彫刻が施されていますが、こちらも影になって明瞭ではありません。

▼社殿の裏側に回ってみます。

▼本殿の真裏にあたる「北拝所」は、御神座に最も近い所から参拝できます。

▼社殿裏側の奥一体は大典記念で「令和神苑」として整備された庭園がありました。

▼神社内には珍しく、寺院の庭園のように美しく整備されていて驚きます。

令和神苑」は、まさに「仲春の(よ)き月 時は(やわ)らぎ 気は清し」かのようです。

 

▼汲み上げた湧き水を利用した流れは、石の色と配置が見事。

涼やかにかすかな水音をたてて流れる瀬は、しばし立ち止まって見入ってしまいます。

 

▼流れは「臥龍の瀬」と名付けられていました。

臥龍梅や臥龍廊などという言葉もあります。

この瀬も龍の臥せた姿を表しているのでしょう。

庭園の背面の山側には境内社などが並びます。

▼やはり江戸時代から鎮座すると伝わる「神明社」をはじめ

天満社」「社御神」「山王社」などが鎮座しています。

▼さらに小さな祠にも神社名がしっかり案内されています。

▼「稲荷大神」を守る神狐たちも新旧、大小です。

▼ここにも「地神塔」があり、庚申塔馬頭観音も並びます。

 

神社前の弁天社があった正体不明の池は「いの池」でしたが、

▼こちらは「のの池」です。

正体不明の「いの池」「のの池」を調べてみると、当社の古くは三つの池があり、

現在は埋められてしまった「ちの池」を加えて、三つを「い・の・ちの池」と呼んでいたそうです。

それぞれの池には伝説も残り「のの池」の水は歴史ある神事にも使われるそうです。

のの池」の水は一年中、枯れることも、溢れることもないそうです。

 

▼社殿裏側から境内に戻りました。

▼見事な「さざれ石」。

▼「イヌシデ」や「スダジィ」の古木は、ガイド板があるので分かりやすい。

▼駐車場方面へ戻る途中の古木は「アカガシ」。

無知で樹木名、植物名はガイド板がなければ何一つ名称を言えません。

名称は言えなくても、この「アカガシ」のような姿の古木を見ると、何かの力を感じる人たちは多いのでしょう。

横浜北部の総鎮守とされている「師岡熊野神社」は、

奈良時代からの歴史や伝承、見処と謂われなど知ろうとすれば深くに遠くにドンドン現われてくる、緑も美しい静かな鎮守の杜、熊野山です。

 

▼師岡熊野神社から直線距離、南に1.3kmほどの人気の神社記事。

wave2017.hatenablog.com

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