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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

大島稲荷神社の御朱印(東京・江東区)〜狐像と牛像と芭蕉像に負けぬ狛犬の存在感

大島稲荷神社御朱印

おおじま いなり じんじゃ主祭神:宇賀之御魂神(東京都江東区大島5-39-26)

 

大島稲荷神社御朱印です。

社務所内部に明かりがなかったので半ば諦めてピンポ〜ンしたところ・・・

しばらくして照明がつき、内部から返事がありました。

▼おそらく宮司さんの奥様らしき女性に対応、浄書いただきました。

 

▼当社は、南北に走る「丸八通り」が「小名木」をまたぐ「丸八橋」の下という窮屈なロケーションに鎮座。

神社まで新宿線大島駅」から徒歩5、6分で到着します。

 

▼神社前は「小名木川」が流れ、川の両脇に狭い一通があります。

▼神社に向かって右側に駐車場があり、バックの派手な建物は神社の社務所

▼「丸八橋」の上ってみます。

▼この左のビルの手前下に神社の境内があるので、なんともせせこましい感じ。

▼橋の上からは一直線の小名木川がよく見えます。

小名木川は家康が行徳の塩を江戸市内に円滑に運ぶため開削させた運河です。

▼江戸時代の小名木川はこんなにのどか。▼写真はwiki 「小奈木川五本まつ

名所江戸百景「小奈木川五本まつ」は、当社よりもう少し都心寄りで「猿江神社」近くあたりを描いています。

 

▼同じく橋の上からは社殿の屋根だけが見られます。

▼丸八橋を降りて神社正面、南を向いた鳥居です。

当社の創建は江戸時代初期の慶安年間(1648〜1652)と伝わります。

小名木川があり、入江も近い地域柄は、頻繁に洪水などの水害に悩まされたことから、

当時の村人たちが京都 伏見稲荷大社の分霊を奉還し、

この地の産土神として平安を祈ったのが起こりと言われています。

▼鳥居を一礼しくぐり参道を進むとすぐ右手に手水舎。

水盤は江戸時代のものだそうです。平成の造立の手水舎は何やら案内がいっぱい。

 

▼狭い境内ですので、すぐ社殿前に到達します。

▼社殿前の狛犬は年月に侵されています。戦火で焼かれたのかもしれません。

▼彩色されていたような形跡もあり、それほど古そうには思われませんが不明。

▼社殿は昭和42年に現在地に建立されています。

それ以前の社殿などは東京空襲で失われています。

戦後も周辺の都市計画、道路計画などの混迷により社殿再建が遅れたそうです。

何れにしても大島村の鎮守として有していた広い境内地は、都市計画により大幅に削られ、「丸八橋」が高架橋のように覆いかぶさる窮屈な地になってしまったのでしょう。

周辺の都市化が進むにつれ寺社の境内地が譲られ、削られるのはどこも同じ歴史なのでしょう。

▼拝殿から本殿まで緑色と朱色で彩られ、丸八通りを車で走るときは必ず目につく派手さを持っています。

▼後方にマンション、この写真の手前が高架橋のような「丸八橋」。

▼「丸八橋」から降りる階段の下になる、もう一つの入口には朱色の鳥居が建ちます。

▼稲荷神社ですが、ここで初めて神狐さんにお会いできます。

▼小型の新しい造りです。

▼正面鳥居脇に芭蕉と「五月雨をあつめて・・・」の句碑。

▼深川に住んでいた芭蕉はこの神社に立ち寄り「秋に添て行はや末は小松川」という句を残したそうです。

▼その句が刻まれた「女木塚(写真左端)」は看板に隠れてしまっていました。

交通至便な小名木川を利用して、芭蕉はじめ広重、一茶などの文人墨客がこの地を訪れているそうです。

 

▼正面入口からの参道途中の右手に黒っぽい鳥居が建ちます。

▼植栽に少し隠れて「佐竹神社」の社号標があります。

佐竹神社」というのは他で見たことがありません。

佐竹」と言ったら常陸国を治めていた「佐竹氏」しか思い浮かびませんが、何か繋がりがあるのでしょうか?

▼景色の良い参道途中に素晴らしい姿の狛犬

▼谷底の子獅子の様子を見ている姿でしょうが、イイ顔しています。

▼反対側も躍動感と茶目っ気がタップリ。

▼ん〜〜〜〜ん、中国っぽい!

▼「佐竹神社」は小振りでスッキリと形の良い社殿。

▼賽銭箱の神紋は「梅鉢紋」でした。天神さま?

▼「出世開運牛」だそうです。撫で牛でしょうか?

牛がいるのですから、やはり天神様も祀られている佐竹神社かもしれません。

石の色が違いますが、二つの牛は親子でしょうか? 

 

参拝して神狐に気づかない場合もある稲荷神社でしたが、

芭蕉像、牛像、そして狛犬たちの表情が印象深く、

小名木川の水運が結んだ芭蕉たちとの関わりも興味深い神社でした。

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