▼亀戸浅間神社の御朱印です。(東京都江東区亀戸9-15-7)
御朱印は日付を除き印刷物の書置きでした。
コロナ禍中でもあるのですが、この2、3年で印刷物、またはプリントの御朱印にずいぶん慣らされました。
それ以前から御朱印帳に神社名をスタンプで押されたものは時々見かけており驚きませんでしたが、
一番最初に印刷物、プリントの書置き御朱印に出会った時は、
大きなショーゲキとラクタンに襲われました。
あれから3、4年。
2020年春以降は直書きをいただくのさえ難しくなって、
書置きが「ニューノーマル」になりつつある御朱印かもしれません。
▼授与所には特に御朱印の案内は見あたりませんでした。
▼その初訪問時の駄文です。
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▼神社鎮座地の亀戸9丁目は都営新宿線「東大島」が一番近い駅になります。
JR「亀戸駅」から歩くと15分前後かかりそうで、歩きがいのある距離となります。
亀戸浅間神社は、2年前の初参拝に続き2度目の訪問です。
▼東を向く大鳥居の前は「亀戸浅間通り」と名付けられています。
20世紀までのこの地域一帯は工場地や倉庫が立ち並び、なんとも味気ない町だったようです。
1998年以降に亀戸から大島にかけて再開発が行われ、現在は高層マンションが林立する街となっています。
神社の創建は1527年とされていますが、
後の富士信仰が盛んな時期に富士塚が築かれ、その頂上に小さな社も造営され、江戸時代には多くの参拝者を集めたそうです。
境内全体が新しさを感じさせるのも無理はなく、当地域の再開発と同時期に現在地に遷座整備されたものだからです。
遷座前の神社の様子は全く想像もできません。
▼朱色の大鳥居の右手にも、少し奥まって鳥居が立ちます。
古そうなので現在地に遷座される前の鳥居なのでしょう。
戦火で焼かれたのか、黒ずんだ色の鳥居だけが遷座前の様子を伝えています。
▼富士山が刻まれた水盤を持つ手水舎は、コロナ対策のためセンサー付きで手水は「自動で10秒間」流れます。
▼社殿も昭和初期の建立で、戦火をくぐり抜け、再開発による遷座とともに社殿も移されています。
境内全体は新しさを感じますが、鳥居と社殿だけは時の流れを感じさせられます。
▼境内社の稲荷神社と下浅間神社の前にも黒ずんだ石造の鳥居が立ちます。
▼前方の富士塚を遥拝する鳥居も黒ずんでいます。
鳥居の先は初訪問時の記事にしていますので、ここでは省略。
▼この鳥居の右隣にジミに置かれている長〜い鉄棒は「レール」でした。
設立当初の大正時代は「城東電車」と言われ、昭和に入って「都電」となり、
1968年まで神社前を走っていた「チンチン電車」に使われていた英国製のレールだそうです。
▼「チンチンの行く手 あさま山開 たかし」と書かれています。
大正時代の富士信仰の神社と、チンチン電車とが関わる景色が見えてくるような気がします。
始発駅は「今の江東デパート 旧白木屋」と書かれています。
「白木屋」は東急百貨店の前身ともいえる老舗百貨店で、かつては日本橋交差点にありました。現在は「コレド日本橋」になっています。
▼神社近くのミニストップの隣に小さな朱の鳥居を見つけました。
何なのか、浅間神社とつながりがあるか、ちょっと気になりますが、
私有地になっているようでフェンスに囲まれていて進入できませんでした。
次回訪問の宿題としましょう。
▼亀戸と言ったらこの神社です。