神社名の読みは「むくじんじゃ」です。
▼「出向中」でお留守、「二時半に戻ります」という几帳面な案内がありました。
「二時半」という大きな文字がプリントされているので、きっと度々同じ時間に所用のことが多いのかもしれません。
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▼秩父には同じ名称の「椋神社(むくじんじゃ)」が5社あります。
ここは「皆野椋神社」ですが、いずれも「式内社」とされているそうです。
▼車で皆野駅方面から国道140号「彩甲斐街道」と平行して伸びる県道を南下すると社号標が右手に見えます。
▼社号標を右折すると秩父鉄道の踏切の向こうに大きな朱色の鳥居がド〜ンと立つのが見えました。
▼付近に高い建物がないので正に見上げる「大鳥居」ですが、建てられたのは新しそうな感じです。
▼それにしても樹木に詳しい人だけにしか読めないような「むくじんじゃ」です。
それとも椋の木(むくのき)の「椋」の字は常識で、本ブログだけが漢字の知識がないだけかもしれません。
情けないことに普段使わない文字は「小椋佳」という人名しか思い浮かびません。
▼大鳥居をくぐると直角右手に、石灯籠と木製の両部鳥居を構えた参道が現れます。
通り抜けてきた県道と朱の大鳥居付近の空気感がガラッと変わり、神域を感じさせられます。
秩父に五社ある「椋神社」のうち「皆野椋神社」は由緒で「本社」としていますが、
知名度では「秩父事件」や「龍勢祭り」で知られる「吉田椋神社」が代表格かもしれません。
2020年の秩父訪問は残念ながら時間がなく、吉田まで足を伸ばせずじまいでした。
▼秩父吉田といえばNHKのドキュメント番組で、2020年には映画化もされた、
「秩父山中 花のあとさき ムツばぁさんが歩いた道」が思い出されます。
機会を見つけて、取材地「ムツさん」の住んでた太田部楢尾の訪問とともに「吉田椋神社」を訪れてみたいものです。
▼話を「皆野」に戻して、手水舎です。
言い伝えでは、当社の創祀は日本武尊東夷征伐のおりとされていますので、ほぼ神話の世界の時代です。
祭神は椋の木の下から現れたという猿田彦命と、八意思金命・大己貴命の三神で、日本武尊が祀ったと伝わります。
当社の東方面に「美の山公園」があり、そこにある「蓑山神社」は椋神社の「奥社」とされているそうです。
そこもいずれ訪問してみたいものです。
▼拝殿同様、本殿もいい色合いをしている褐色です。
▼二之鳥居脇のガス灯っぽい装いの灯篭はミスマッチとしておきましょう。
▼同じく二之鳥居脇には「猿田彦大神」と「石神」が祀られています。
▼こちらは「神楽殿」。
屋根の形のせいでしょうか、他でよく見る「神楽殿」とは少し異なる雰囲気を持っています。
▼さらに本殿背後には「祖霊社」「八坂神社」「伏見稲荷」「大在府天満宮」などの境内社が綺麗に並んでいます。
▼宝物殿。
▼「おおかみに螢が一つ付いていた」の碑は地元、皆野出身の俳人 金子兜太氏による句だそうです。
▼埼玉県の無形民族文化財に指定されている「獅子舞」の石碑。
「吉田椋神社」には行けませんでしたが、
同じく古い歴史を持つ「皆野椋神社」は見所たくさんで、
ほか四つの椋神社への訪問の誘惑がムクムク湧いてくるような神社でした。