▼亀戸浅間神社の御朱印。もちろん御朱印帳に通常の神社名を揮毫した御朱印もいただける様子でしたが、行列に並び順番が来たら渡されたので、黙っていただいてきました。500円。
▼BLOG掲載順序が逆ですが、前回記事の戸越八幡神社を訪問する前にこの神社に寄ってみました。
▼「夏詣」賛同神社らしい。
4年前に浅草神社が提唱した「夏詣」も、すっかり定着した感じがします。賛同する神社も徐々に増えているようで、イイことだわね! ウワッツラな想いだけど。
▼疫病や罪穢が祓われると言われている茅の輪だけど、正しいくぐりかたで回ったことはないから、なかなかクリーンな身体になれない。
関東一の大きさを誇るそうよ!
▼神社の由緒、経緯からして納得できますが、この神社には森がありません。
本殿の後方にも木々はなく、境内に大きな木もありません。
皆無に等しい観察力のせいか、神木らしき木も見つけられませんでした。
▼鬱蒼としていた戸越八幡神社の境内とは対照的。
これまでなら、あまり好みでない神社の姿です。
しかし、この神社はあまりに明るすぎて、アッケラカンとしていて、程よい飾り付け、そして清潔!
なんとも気持ちの良い、居心地の良い神社! 近くのマンション群も神社を邪魔していません。
▼そして新しく、読みやすい丁寧な案内板も神社の姿勢が感じられます。
▼富士塚、笄塚(こうがいづか)の鳥居。最上部以外は戦火で焼かれ黒くなっています。
▼境内とは別に公園のようになっている富士塚。
オニギリではない! 富士山を模したモニュメント。
▼富士塚から境内を眺める。やはり気持ちの良い眺め。
グリーンのせいかしら? 濁った心が洗われるようだわ。
▼境内の片隅に祀られている「六ツ目地蔵尊」。
江戸時代から近隣に祀られていたものを、ここに集まってもらったみたい。
▼社務所に御朱印待ちで並んでいたのは7、8組。この程度なら許容できたから並びます。ブログ冒頭に掲載のいただいた御朱印は見開きサイズの書置き。
と言っても、社務所内で年配の女性が印刷された用紙に、いくつかの判(スタンプ)を押し、それを宮司さんらしき男性が墨書きされていました。
分業で、いかにも家内工業的な雰囲気は好感!
たくさんの御朱印希望者を前にすると、どうしても事務的なご朱印需要処理になりがちですが、
そこをグッと堪えて、耐えて、抑えて丁寧な対応をされている姿が見て取れました。
受け取る時「おせわさまでした」と深く頭を下げました。
墨入れの箇所は少ないから、行列処理のピッチは早かった。
7月1日だったから「お山開き」の墨書き。そして日付が丁寧に記入されていました。
最近このスタイルの御朱印を扱う神社がとても多くなりました。
googleでも検索結果に出てこないから、ここも今年からこのスタイルを採用した様子。
でも、正直言ってこのスタイルは御朱印帳に貼ったとしても、シックリこない。これまでの当たり前なシンプル御朱印とは、あまりに距離を感じます。
授与時間の効率性とか、ブームで求める人たちへの配慮とか、さまざまな理由があるから仕方ないか。
この神社へは初訪問
住まいから遠くない。しかし亀戸には全国的にに有名な天神さまがあります。
そんな情報に埋もれてしまっていたから、この神社は知らなかったのかしら?
御朱印は基本的には神社名が中央に記されたスタンダードなスタイルが好き。
初訪問だったから、そちらもいただきたかったのですが、みんさん並んでいらっしゃるから次回訪問時にしましょう。
さて、
7月1日に二つの神社を訪問してみましたが、どちらも氏子はじめ、古くから地元の人たちに親しまれている小さな神社。いや、地元の人たちしか参拝しない神社だったはず。
地域外からワザワザ参拝に訪れる人はごく僅かだったに違いありません。
そして御朱印ブーム。
この神社に限らず、他の小さな神社も様々な地域から参拝者が訪問するようになった。
神社側も数年前までは、まさかこんな多忙な日々がやってくるとは夢にも思わなかったでしょう。
授与される御朱印内容によって戸越八幡神社、亀戸浅間神社も、さらに人が集まるようになり、
御朱印収集者なら誰もが知る、知名度の高い神社となったのです。
人気ランキング 3ケタから、少なくとも1ケタ上がって都内でも強豪神社に肉薄するようにもなっています。
ヨロコバシー限り。今後も引き続き多くの訪問者がありますよう・・・。
ヒニクではなく、ホントにそう思う。
でも収集者は「新しモノ」好きだから・・・。
限定や月替わりを授与する側、受け取る側、双方を批判するような言葉を並べるのはヤメにしたいのでが、そんなブログが一つ位あってもいいか?。
好む、好まざるは別だし・・。
もうひとつ、全国の寺社が限定に走る傾向は止まないのですが、各地元の小さな神社でも、限定とか月替りの御朱印を設定しない神社があります。「しない理由」「できない理由」があるのでしょう。
もし各地の小さな神社が全て、限定とか月替りの御朱印を設けたらどうなるのだろう?
希少価値の問題だから数多いほど珍しくない物になるのかしら?