(高野山真言宗/神奈川県逗子市逗子3-1-17)
御朱印をいただいたのは2012年。
「2階の本堂でお参りしてきてください」と案内され、
薄暗い本堂内で2階への階段を探しながらウロウロした事を思い出します。
2021年は現在は書置き対応で、
「地蔵尊」や、湘南七福神の「弁財天」などの御朱印もいただけるようです。
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▼「逗子大師」へは、JR「逗子駅」、京浜急行「逗子・葉山駅」から歩いて3〜5分。
寺は二つの最寄駅前の喧騒からチョットだけ外れますが、
駅前から寺の前に伸びる道路は車の往来が絶えず、せわしない思いをさせられる場所にあります。
さて、ブログ本文ですが、
通常は訪問した寺社の写真を数多く並び立てて、
その説明や感想などを無責任に、出任せの文字を並べればなんとか記事になります。
写真に助けられるということです。
ブログを始めた当初は別にして、その後、最低でも1記事1000文字以上あるブログにしようと決めています。
なぜ、そんな難儀なルールを自分に課したのか、自身、理由は全く分かっていません。
おそらく「ブログ指南」記事のようなサイトを読んで「1000文字」としたのでしょう。
結果、2017年から続けている本ブログの80%以上は文字数1000以上をキープできているはずです。
ハイ! ここまでで「599文字」です。
ですが、
「逗子大師」の写真が行方不明で1枚もありません。
寺のHPによると開創は奈良時代の行基が「延命地蔵菩薩像」を安置し、本尊としたと伝わるそうです。
そこから「延命寺」の寺名となったのでしょう。
その後の江戸時代の「大日如来尊像」が造立されたことから、本尊が大日如来とされたそうです。
これで、御朱印墨書きの「大日如来」と「延命寺」の由来が理解できました。
では「逗子大師」の名称はどこからやってきたのでしょう?
これも寺のHPからの要約ですが、
平安時代に空海(弘法大師)が延命寺に立寄り、延命地蔵菩薩安置する「厨子」を設けたと伝わり、それ以来大師ゆかりの「逗子大師」となったそうです。
その「厨子」にまつわり、現在の「逗子」の地名発祥と伝えられています。
とはいえ戦国時代までは「豆師」「豆子」「図師」「厨子」などの字が当てられていたそうです。
「厨」は「厨房」などだけに、「逗」はまったく普段は使われない文字です。
どちらも「豆」という文字が使われているので、やっと「ず」と読めるような縁遠い文字です。
法隆寺で現物を見た時、その高さが2m以上ある大きなことに驚きました。
それまでは「小さな仏像を入れて 担げるような大きさ」勝手に解釈していました。
美術や歴史の教科書にはその大きさが記載されていたはずでしょうが・・・。
もう一つ「延命寺」とは全く関係のない話。
この人の写真なり、人なりを解説したサイトが全く見つかりません。
いったい どうしてなのでしょう?
現在でも「逗子とんぼ劇団」で活躍されているとのことですが・・。
「逗子大師」とは関係なく、
逗子や葉山の街についてはいくらでも話題を探せそうですが、
今回記事はこのくらいにしておきましょう。
ここまでで何とか「1467文字」でした。