菊名神社の御朱印
「きくな じんじゃ」主祭神:誉田別命(神奈川県横浜市港北区菊名6-5-14)
▼「彼岸花」の御朱印は直書きの神社名のページに、赤い彼岸花が描かれた半透明のトレーシングペーパーが被せられていました。
下の4種類は「東急線花御朱印巡り」の御朱印で、専用御朱印帳を購入しないといただけないようです。
▼初の御朱印をいただいた2017年から比較すると、カラフルで種類は多くなりましたが、当初から神社名などはスタンプで、スタンプを多用したなものとなっています。
何れにしても社務所では1年を通して数種類の御朱印が用意され、丁寧な対応で「がまんさま」の人形焼などもいただけます。
江戸時代まで「菊名村」だったその地名は、
菊が咲く地であったことから「名菊」とされたものの「嘆く」と聞こえないでもないので、2文字を逆にして「菊名」となったそうです。
「菊の花で名高かった」地と覚えても間違いないでしょう。
狭い境内の当社ですので駐車はできません。
車で参拝の場合は当社のすぐ南並びに20分100円のパーキングがあります。
参拝と御朱印を頂くだけなら20分以内で済むでしょう。
▼交通量の多い通りに面して精悍な黒塗りの鳥居が建ちます。
▲上の2枚の写真は2017年撮影。
▼こちらは2022年。
17年と22年で大きな違いはありませんが、鳥居の扁額が新しくなっていました。
▼そしてこの「がまんさま」の大絵馬がハデに目立っています。
「がまんさま」というのは当社のシンボル的存在で、ネーミングも当社が定めたものなのでしょう。
「がまんさま」で辞書をひいても、wiki 検索でも出てきませんが、菊名神社関連としてはヒットします。
いずれにしても5、6年前の頃は「がまんさま」の御朱印がいただけるということで
WEB上では相当な賑わいを呈していました。
一躍有名になったような当時は御朱印の人気や、参拝者の賑わいは女性が大勢を占めていたように記憶しています。
その賑わいから5、6年後になる22年の境内は少し落ちつていていて、夕方近くの境内では数人の男性参拝者に出会っています。
当社での「がまんさま」とは、手水鉢の下方を四隅で支える脚の役目を果たしている鬼の石像を指します。
まるでガマンして重い手水鉢を担いでいるような姿です。
▼22年では新しい「がまんさま」が手水鉢から前方にシャシャリ出ていました。
手水鉢を支える像は特に珍しいわけでなく、多数の社寺でも見られ、その姿は鬼ばかりでなく、童子のような姿の像も見かけられます。
また手水鉢を支えるばかりでなく、社寺の屋根を支える像も多く見られ、それは「がまんさま」とは言わず、一般には「力士像」と呼ばれています。
新宿区 堀之内「妙法寺」では、手水鉢と屋根の両方でその像を見ることができます。
茅の輪は夏越の大祓用に設置されたものだったのでしょう。
当社は1935年に、近隣の神明社、杉山神社、浅間神社、八幡神社、阿府神社の5つの村社を合祀し、菊名神社として造営されています。
したがって、記事冒頭では「主祭神:誉田別命」と記していますが、
他に天照皇大神、日本武尊、木花咲那姫命、武内宿禰命の計五柱が祀られています。
合祀や移転を繰り返してきた当社ですので、正確な創建年はないのですが、
合祀された中の神社でも「阿府神社」は、885年の創建と史書に見られるそうです。
モダン建築神社の見本のような造りになっていますが、いずれも昭和から平成にかけて改築や改修が行われています。
▼拝殿前に置かれている像は「撫でがまんさま」。新しく設置されたようです。
▼同じく、木製の階段の上には合祀された神社が境内社として並んでいます。
▼こちらも合祀された「浅間神社」。
▼富士塚を模したものもあり、ここでも「がまんさま」が活躍です。
▼神楽殿も狭い境内をうまく利用して建てられています。
▼何かの催事の時に使用されたものなのか、微妙なオブジェ。
▼社務所も街のケーキ屋さん、パン屋さんのようなイメージです。
▼内部は椅子やテーブルが設けられ、御朱印や沢山のお守りなどをゆっくり選ぶことができます。
▼鳴いてはいなかったものの何かの気配を感じて振り返れば、2ワンコs !
▼安心して延びきったヨークシャーテリア。
▼本ブログは小さい人間を含め、小動物には嫌われません。
吠えもせず、鳴きもせずおとなしいものでしたが、
もしかしたら思いっきり「ワンッ、ワンッ!!」と大きな声で吠えたいのを「ガマン」しているのかもしれません。
「撫でがまんさま」は撫でませんでしたが、
こちらは頭を撫でて「撫ワンコさま」にしてしまいました。