醫王山 東光寺 不動院の御朱印
いただいたのは北関東三十六不動 30番札所の御朱印となりました。
今回もこの霊場を意識しての参拝ではありませんでしたが、
結果的に北関東三十六不動の御朱印になった参拝が過去にも数回あります。
読みは「がんまんめいおう」なのでしょうか?
「満願」とか「満願寺」ならば知っているものの、
その逆「願満」はお初の出会い。
▼と思っていたものの千葉・誕生寺の「願満の鯛」を思い出しました。
もっともこの記事中でも暫くは「願満の鯛」ではなく、「満願の鯛」と間違って記述していました。
江戸崎不動院の「願満」も人々の「願いが満ちますように」と応援してくれる不動明王なのでしょう。
▼御朱印は綺麗な小料理屋さんのような佇まいの「寺務所」でいただきました。
不動院のHPによれば、JR土浦駅よりJFバス「江戸崎」下車徒歩10分だそうです。
▼江戸崎に向かう途中で田植えが終わったばかりのような「田んぼ」に出会いました。
地元の人にとっては何てこともない田園風景でしょうが、東京人には車を止めて暫く眺めていたい気分にさせられる「田んぼ」です。
田んぼは数ヶ月後には黄金色に輝き、茨城のブランド米「ミルキークイーン」や「ふくまる」などとして収穫されるのでしょう。
▼境内裏の駐車場に車を止めました。
文字や形状が読めなくなってしまった石碑がいくつかある中で「青面金剛尊」「庚申塔」の文字は嫁取れました。
▼こちらは郷土の名士の記念碑のようです。
▼境内を正面参道に回り込みました。きれいなシンメトリーです。
▼良く整えられた参道と周辺の庭は寺の姿勢が読み取れ、とっても好感です。
当寺は848年、慈覚大師 円仁の開基と伝わります。
その後も天海(随風)が、天正年間から17年間住職を務め、江戸時代は天台宗の学問所である関東八檀林の一つとして栄えたそうです。
由緒ある歴史とともに残る不動院ですが、多くの寺の運命の例外ではなく、当寺も創建から幾度かの盛衰をくり返したそうです。
隆盛を極めた時期には5つの塔頭と多数の末寺を抱えていたものの、明治に入って火災で伽藍の多くを失っています。
本堂の「護摩堂」には鎌倉時代に彫られた不動明王像が祀られています。
▼向拝下には白い龍の彫り物、木鼻も白い獅子。
▼額の文字は「願成就殿」。
▼額の周囲にも細かな彫刻が施されていまた。
▼本堂前にも不動明王像が立ちます。
▼本堂前右側には30番の侍者「吉祥妙童子」です。
▼本堂側から参道を振り返ります。
実はこの参道の先に道路があり、そこからさらに下に降りる石段があります。
石段を降りると、江戸時代から焼けずに残った「仁王門」があります。
不動院のメインのような「正門」になるわけですが、なぜか撮影した画像ファイルが行方不明。
▼ですので情けないことですが「不動院HP」からお借りした「正門」の写真です。
近頃の写真は一眼レフとiphone、さらに古いiphoneで撮っているのですが、たまにファイルを見失います。
撮りためた画像などのファイルは管理が難しい。
その整理方法などは人の性格が表れるものかもしれません。パソコンのデスクトップも同じですね。
ところで不動院のHPはセンス良く、とても好みのデザインです。
こんなホームページがあるなら本ブログのようなサイトは無用に思えてしまいます。
▼上の境内に戻ります。
▼「回向堂」です。法要などが行われるお堂だそうです。
▼「回向堂」の左右にカワイイ地蔵さんと・・・
▼こちらも不明。文字が書かれた木札があったのですが読み取れず。
小さな像は鈷杵を抱えていました。
▼こちらは「永代供養廟」。
田んぼの写真はあっても、肝心な「仁王門」の写真を見失った参拝でしたが、