▼雪ヶ谷八幡神社の御朱印です。(東京都大田区東雪谷2-25-1)
神社の読みは「ゆきがや はちまん じんじゃ」です。
▼「疫病退散」のお札? はさみ紙?
印があるので「お守り」的な役割を持つのでしょう。
▼御朱印は社殿右手の授与所でいただきました。
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「ゆきがや」の表記は「雪谷」だったり「雪ヶ谷」などとなりますが、
地名、駅名、施設名ごとにバラバラです。
ひらがな、カタカナ、ローマ字表記でしたら同じ「ゆきがや」「ユキガヤ」「YUKIGAYA」になりますが、
漢字を使用することで表記をややこしくして、どのように読むのか迷う時もあります。
ある側面、日本語の複雑と曖昧さであり、面白さであり、雅であるように思います。
「八幡神社」の場合の多くは「はちまん」と読みますが、
「やはた、やわた、はつま、やばた、ばはん」などと読ませる地名、施設名があります。
やはり漢字を含む文字の読みは複雑です。
▼「雪ヶ谷八幡神社」の表参道の鳥居の額も「八幡宮」となっています。
表記としての「神社」か「宮」の違いですが、二つの文字が持つイメージは少し異なるように思います。
神社名称は社号標や扁額、オリジナルHPなどで異なることに度々出会います。
全ての神社の共通する生い立ちを考えれば当然と言えるかもしれません。
▼東にある表参道の「一ノ鳥居」先の参道は、公園的な役目をはたす小さな広場となっていて、そこに立つのが「出世岩」。
逆光で後光が射すような「出世岩」は、第48代横綱の大鵬による奉納。
まだまだ外人の横綱はいなかった頃で「巨人・大鵬・卵焼き」は当時の流行語でした。
▼参道の左右には「忠魂碑」など石碑が数基立ち並びます。
▼「ニノ鳥居」に続く石段。
新型感染症のおかげで「コロナウイルス終息祈願」の幟を作らなければならない?
同じ予算で幟を製作するなら楽しい前向きな内容にしてもらいたいものですが、2021年の暮は、まだまだ感染症に対し油断できません。
▼「ニノ鳥居」は先端がミドリっぽい色の木造の両部鳥居となっていました。
▼境内の西側にある入口の鳥居は急な石段が設けられ、神社が丘陵の高台にあることを知らされます。
▼西参道先の狛犬たちです。
▼それぞれの石段を登り上がった先の境内は視界が開けていて、一部は駐車場になっています。
▼立派な「手水舎」ですが、参拝者に以前のような清水を振る舞うことができず、拗ねて斜めっているかのようです。
▼最後の「三ノ鳥居」です。
雪ヶ谷八幡神社は、ほとんどの建造物を戦火で失っていて、建物はその後の昭和の再建ですので大きな古さを感じさせるものはありません。
しかし、石像の狛犬は戦争前の造立のようです。
神社の創建は由緒によれば戦国時代の1558〜1569年だそうです。
▼石段を登ると、その先にとても心地よく見える社殿が現れます。
昭和の再建といえども、手間、時間、経費を惜しまずに造られたのでしょう。
唐破風の拝殿は細かい彫刻が施され、豪華、雅さを後方の社叢が引き立てています。
祭神「誉田別命(ほんだわけのみこと・第15代 応神天皇)」にご挨拶します。
▼社殿の左手に境内社にしては立派すぎる建物が建ちます。
▼「齋霊殿」という建物でした。
祖霊や英霊を祀る社のようです。
▼社殿左手奥に「稲荷社」。神々しさが感じられる区域です。
これ以上の整備で、石畳、白砂利、コンクリートで固められると神々しさの雰囲気は失われるかもしれません。
次々と現れる東京のモダンな寺社には、神仏の存在を身近に感じることは困難です。
▼神々のアパートメントには「天神様」も祀られています。
▼いい味を醸している祠は「水神社」。
▼その先に庚申塔が群をなしています。
▼民間信仰の神々たちの競演が始まります。
▼「猿田彦」は新居が与えられたようです。
▼「雪ヶ谷」というロマンチックな名称の神社に、雪景色ならぬ12月のこんな景色は不釣合いかもしれません。
東急池上線沿線でも「石川台駅」は、ほとんどが住宅街でジミな街。
だからこそ壊れないものが残っているように思える「 雪ヶ谷八幡神社」でした。
池上線沿線でトップクラスと感じた神社でした。
▼沿線トップクラスの神社記事デスゥ。