▼三輪里稲荷神社の御朱印です。(東京都墨田区八広3丁目6-13)
「みわさといなりじんじゃ」と読みます。
御朱印の右下のゴチャゴチャとしたスタンプは、
▼初午の日に授与される湯殿山秘法の「こんにゃくの御符」のイラストのようです。
▼通常はピンポ〜ンが必要でしょう。
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▼神社への最寄駅は京成線「曳舟駅」or「八広駅」。どちらも徒歩10分前後です。
神社の所在地の住居表示は「八広(ヤヒロ)」。
その昔は「大畑村」と呼ばれていた地域です。
なのに、響きの良い「三輪里」を冠するのは全く意味不明です。
「里」の文字を付けない「三輪(ミワ)」という地名は全国に散見されますが、東京には見当たらないなかで唯一、
地理的にも近いところで「三ノ輪(ミノワ)」があります。
関係あるのか、どうか分かりません。
地名にこだわると泥沼に陥りそうです。
▼「八広中央通り」と言う道路から注意深く目をこらすと、こんな看板がみつけられます。
カンバンの「正覚寺」は真言宗智山派の寺院で当社の別当を務めていたそうです。
テイストの同じ看板ですので、神社と寺の仲は良好な関係にあるのでしょう。
境内に車で進入する道は分かりにくく、看板がある路地に入るにもとても勇気がいるほど狭い道ですが、
▼思い切って進んでしまえば手水舎のある境内は広く、駐車スペースも見つけられるはずです。
東京の神社のほとんどは駐車場があったとしても広くは取れないので、その案内はされていません。
自己責任で進入ください。
その結果は、どの神社もしっかり参拝すれば咎められたことはありません。
車での参拝の場合、どんな寺社でも車1台の少しのスペースがあれば境内に乗り込み駐めてしまうようになりました。
そんなことで寺社側から顰蹙をかった経験はこれまではありません。
もちろん「遠慮深く、真摯な参拝」な姿は絶対必要な条件でしょう。
▼脚を表参道に進めてみます。
と言っても、単に社殿の正面になる鳥居のある入口の手前は路地。
背後にゆとりはなく、背中の民家を背負うことになります。
当社の通称は「こんにゃく いなり」です。
それにしても、お稲荷さんに「アブラ揚げ」ではなく、なぜ「こんにゃく」なのでしょう?
初午に授与される「こんにゃくの御符」については
由緒に「のどけの患いや風邪に神験あらたか・・」とあります。
確かに「こんにゃく」はヘルシーな食べ物で、お腹にやさしく、老廃物をスムーズに排泄する働きがあります。
しかし「喉・風邪」の効能は初耳です。
しかし、しか〜し「こんにゃく」にはアトピー性皮膚炎や花粉症を改善する働きもあるそうです。
となると「喉・風邪」も、全く関係のないものではありません。
医学が未熟だった頃の「こんにゃく」の効能だったかもしれません。
そこに人々の信仰が集まった江戸時代なのでしょう。
ちなみに、文京区に有名な「こんにゃく閻魔」がありますが、「こんにゃく」の効能を説いてはいません。
老婆が好物の「こんにゃく」を絶つのを閻魔に約束したことから「こんにゃく閻魔」と称されています。
「こんにゃく」にまつわる言い伝えもイロイロですが、
当社ではキツネの好物ではなさそうです。
▼社号標のある路地から社殿に向かう「表参道」です。
▼神社境内のほぼ全体像です。社叢が少ない分だけ、ちょっと殺風景に感じます。
神社の創建は1614年と伝わり、祭神は「倉稲魂命」です。
▼戦災で全てを失い、社殿などは昭和に入っての再建だそうです。
▼おかぁさんのオッパイをネダっているような小狐。
▼それを見て「ワシのものだ!」と怒っているような「父キツネ」、ではないかな?
▼昭和の再建にしては見事な彫刻も再現されています。
繊細な彫刻はテマ、ヒマ、カネのかかる事間違いないでしょう。
▼木鼻の獅子は飛び出しそうです。
昭和に入ってからの再建となると、コンクリート製が多く用いられます。
しかし当社は木造で、まさに「再建」という名が相応しい姿で、地元氏子さんたちの崇敬の深さが窺い知れます。
▼カラッポの神楽殿ですが、オープンされていて好感です。
▼この季節、ゴールドに色づいた銀杏が参拝者を迎えます。境内から見た鳥居です。
▼秋も深まればどこの神社でも見かけられる光景ですが「スカイツリー」のシルエットがアクセントの当社です。
▼「八広中央通り」から入った細い路地の西参道左手にオシャレなお店が見えます。
▼リーズナブルな数値のランチは魅力です。
木造の社殿を持つ当社とオシャレな店舗が一体となって、モダンな雰囲気の神社周りを構築していくのも良いかもしれません!