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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

旗岡八幡神社の御朱印(東京・品川区)〜源氏から徳川まで武家の崇敬篤かった歴史に触れる

旗岡八幡神社御朱印

はたがおか はちまん じんじゃ主祭神応神天皇(東京都品川区旗の台3-6-12)

 

旗岡八幡神社御朱印です。

右下の印「祈 虎慮那退散」は最初どのように読むのか悩まされました。

寅年に関連?

カンの良い人はすぐわかったでしょう。「コロナ退散」でした。

 

御朱印は社殿右手の社務所授与口でいただきました。

 

▼当社へは2路線が乗り込んでいる東急線旗の台駅」から500mほど。

大井町線の「荏原町駅」からなら、ほぼ駅前という距離です。

 

当社の起こりは1030年、源頼信下総国の「平忠常の乱」を平定するために、下総に行く途中この地に宿営し、八幡大神を奉り戦勝を祈願したのが発祥とされています。

当時この地に陣を張り、源氏の白旗をなびかせて武威を誇ったとされ、そのことが「旗の台」や「旗岡」の地名の由来になっていると言われています。

 

頼朝をはじめとする源氏の武将が白旗をなびかせて、

戦勝祈願などをしているのは「白旗神社」などが有名ですが、

そんな意味合いの神社と大きく違わない「旗岡八幡神社」なのでしょう。

 

▼当社は江戸時代まで「中延八幡宮」と呼ばれ、別当を「法蓮寺」が務めていました。

当社と別当寺の位置関係は現在もそのままです。

旗の台駅方面から神社に向かう、ゆるい坂の途中にある「法蓮寺」に道草してみます。

法蓮寺は日蓮宗の寺院です。

▼そして「荏原七福神」の恵比寿が祀られていて、正月は大変な賑わいになります。

▼「荏原七福神」の記事。

 

駅は近いものの普段は静かな境内です。

▼寺を出て坂を上り、神社に向かいましょう。

旗の台駅のゴチャゴチャした喧騒からは、少し歩けばすぐに解放されます。

▼そんな静かな緩い坂に、社号標と石段が向き合っています。

▼広い参道なので、その左右にある狛犬を見逃しそうになります。

▼江戸時代後期の造立で、親しみを感じさせられる表情にも見えます。

▼石段、狛犬の先に朱色の大鳥居は、写真では感じられませんが巨大です。

▼その大鳥居下の石灯篭も古そうで、傷んでいます。

▼「天明」などの文字がくっきり見えます。天明年間は1781年から89年。

手水舎が木の柵で囲まれているのは近寄りがたいのですが、水は出て清められます。

▼手水舎を過ぎた参道途中から大鳥居を振り返りました。

▼境内北側にもう一つ木製の鳥居が建ちます。

車訪問の場合はこの鳥居をくぐり駐車できます。

社殿は戦争で全てを焼失したのちの昭和にコンクリート造りで再建されています。

創建後の鎌倉時代の源氏から江戸時代の徳川まで、武家の崇敬が篤かったことを物語る建物や文物の多くは残念なことに戦災で失われています。

▼社殿前は現代型の狛犬が持ち場を保っています。

1000年前に旗揚げした源氏の勇者たちに変わり、現代の3歳、5歳、7歳の幼い者どもが将来の勇者を祈願をします。

七五三は11月15日までに祝うものと思っていましたが、最近はあちらこちらで15日を過ぎても家族で参拝する姿が見られます。

それぞれ都合があるでしょうから、七五三も11月中の祝いは許容範囲でしょうか?

▼本殿の様子は撮影にいい角度が得られませんが、2つの屋根が連続しています。

▼大鳥居をくぐった左手に「絵馬殿」がありますが、やはりフェンスに囲まれて内部に入って内側を見ることはできません。

昭和初期に造営されていますが、その後の戦災を免れ現存しています。

当社で唯一の戦前の貴重な建造物だそうです。

傷みと色褪せが激しい絵馬ですが奉納時の鮮やかさが偲ばれます。

▼こちらは「楽殿」。

▼新し目の「神輿庫」。

▼素晴らしい神輿が輝いています。2022年には4年ぶりの大祭で宮神輿渡御が行われたそうです。

 

春には桜の名所ともなる境内を持つ当社はかつては武家の、現在は氏子の崇敬の念が篤いことがうかがえる良い神社でした。

稲荷社などの境内社が一社もないのが、ちょっと不思議でもありました。

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