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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

影向寺の御朱印(川崎市・宮前区)〜天平時代から続く古刹はシットリ、ヒッソリ

▼威徳山 影向寺御朱印です。(天台宗・神奈川県川崎市宮前区野川本町三丁目)f:id:wave0131:20200925170429j:plain

天平霊場札所二番とあります。

聞きなれない霊場名ですが、調べても分かりませんでした。

ただし寺のHPにも記述がありますが「稲毛七薬師霊場」では札所二番となっています。

寺は天平年間(740年)行基の創建と伝わっていますので、「天平霊場」はその繋がりの表現でしょうか?

 

影向寺へは「小杉駅」から東急バスや川崎市営バスが出ていて、バス停「影向寺」下車徒歩5分だそうです。

▼江戸名所図会の「稲毛薬師堂」です。f:id:wave0131:20200928111002j:plain

図絵中央の大きな建物が薬師堂のようです。

この画像では確認できませんが、よく見ると「かね」「十王堂」「白山」「弁天」「山王」「庫裏」「方丈」「天王」「影向石」などの文字が見つかります。

 

江戸名所図会に扱われているのは圧倒的に寺院や神社が多いのですが、

やはり有名どころの寺社がほとんどです。

中には様々な原因で姿形も無くなってしまった名所もありますが・・・。

 

図絵では大きな寺であることが見て取れますが、

▼200年後の現在はどうでしょう・

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薬師像の「国宝復活運動」をしているようです。

そして国の史跡指定を受けているという、図絵に描かれている通り立派な寺なのです。

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影向寺」の名称より「稲毛薬師」の名で通っているようです。

浅草寺でも「影向堂」という建物がありますが、

影向」とは「神仏が一時的に姿を現す」ことだそうです。

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夕方近い時間の訪問だったせいか、境内では別の一組の訪問者に出会っただけでした。

しっとりとした、少し寂しげな雰囲気を感じた境内です。

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▼本堂になる「薬師堂」は江戸時代中頃の建立だそうです。

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真新しい新緑のサルスベリだけが元気に静かに賑やかです。

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趣のある薬師堂は創建当時とほぼ同じ位置に建つそうです。

ですので当然、江戸名所図会に描かれた薬師堂がそのままという事になります。

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300年の間、ここに立ちつくす事になる訳ですが、それだけでも長い歴史です。

ですが、発掘調査により創建と伝わる740年よりさらに遡って、7世紀後半にはすでに寺が存在していたそうです。

なんと飛鳥時代です。

そして平安時代の作と伝わる薬師像が本堂に祀られています。

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それにしても広い境内はヒッソリとしています。

地理的な不便さが多くの参拝者を迎えられないかもしれませんが、

その不便さが寺を良く残してきたに違いありません。

主要駅に近く繁華な街に囲まれてしまっていたら、寺域も削られ、もっと小さな境内となっていたかもしれません。

それでなくとも創建当時の建物は一つも残されていません。

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鎌倉時代の作と伝わる太子像が祀られている八角形の「太子堂」は、法隆寺「夢殿」のミニ版のような様相です。

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実はこの時の訪問は急用の電話が入り、慌てて寺務所で御朱印だけいただき、

仁王門」や「影向石」など、そのほかの多くの見どころを断念しています。

ここは何としても再訪してゆっくり境内を見て回らなければ話になりません。

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▼再訪とも一度記事にする事を「お掃除小僧」さんに約束して寺を出ました。

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