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▼51番札所 熊野山「石手寺」(真言宗豊山派/愛媛県松山市石手2-9-21)
【前編】で1・2・3番を記事にした徳島から、いきなり松山へ飛びます。
▼51番札所 石手寺は、あの「道後温泉」からも近い位置にあります。
▼1318年建立の「仁王門」は国宝に指定されています。
道後温泉に近く、国宝や重文もあることから遍路さんの他にも観光客も多く見かけられました。
▼本尊薬師如来を祀る「薬師堂」が石手寺の重文「本堂」でもあります。
石手寺の創建も奈良時代で当初は「安養寺」と称していたそうですが、
892年、当地の領主 河野氏に生まれた子どもが手に何かを握って開こうとしないので、
この寺で祈願すると固く握られていた手は開き、
「衛門三郎」と書かれた石が出てきたという、衛門三郎再来の伝説によって「安養寺」から「石手寺」と改められたと伝わります。
遍路の元祖と言われる「衛門三郎」については長くなりますので、リンクのwikiを参照ください。
その内容は、教訓めいたおとぎ話のような良く出来た伝承ですが、
「石手」というと仏教に関わる言葉でもなさそうなので、衛門三郎の伝説とは異なっているとしても、何らかの形で「石」と「手」にまつわる事柄に影響されて改称されたのでしょう。
▼「大師堂」。
石手寺の参道は回廊式にいるなど、ゆっくり見て回ると時間はすぐ過ぎてしまいます。
▼道後温泉関連記事。
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▼71番札所 五岳山「善通寺」(真言宗善通寺派/愛媛県松山市石手2-9-21)
空海の出身地である讃岐に建つ「善通寺」は市名にもなっています。
▼善通寺の創建は平安初期の807年で、空海の父の開基と伝わっています。
広い境内は空海が807年に建立したと伝わる創建地である東院(伽藍)と、
空海の生誕地とされる西院(誕生院)に分かれています。
▼東院伽藍の正門「南大門」には「弘法大師 御誕生所」の看板が掲げられています。
▼高さ43mの「五重塔」は焼失と再建を繰り返し、4代目は明治に入った1902年の完成。
▼本堂である「金堂」は少し古く1699年の再建。
▼境内が綺麗に整えられているせいか、何となく歴史を感じさせません。
▼東院から西院へ繋がる「仁王門」の扁額は「遍照金剛閣」。
▼仁王門は明治の再建ですが、仁王像は南北朝時代の建立。
▼大師信仰の聖地とも言える「御影堂」は1831年の建立で、昭和に改修されています。
地下で約100mの「戒壇めぐり」ができるそうです。
▼樹齢1000年以上と言われる楠。創建当時からの大木かもしれません。
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▼79番 金華山「高照院」天皇寺(真言宗御室派/香川県坂出市西庄町天皇1713ー2)
▼どうしたことか高照院の写真が1枚も見当たりませんので wiki から1枚お借りしました。
「三輪鳥居」の扁額は「崇徳天皇」。
崇徳上皇が祀られていた白峰宮に隣接し、白峰宮が崇徳天皇社であった時、その別当寺であったことから「天皇寺」と呼ばれていたそうです。
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▼「屋島古戦場」にやってきました。
▼幼い頃、修学旅行での「屋島」の記憶です。
「屋島」は台形! その記憶に残る絵はどこから見たものでしょう?
▼「台形」は幻影だったのか、今回はどこにも見つかりませんでした。
▼84番 南面山「屋島寺」。(真言宗御室派/香川県高松市屋島東町1808)
▼屋島寺は日本の律宗開祖の鑑真が754年、朝廷に招かれ奈良に向かう途中に当地を訪れて開創したと伝わります。
本堂などは、どこか沖縄や東南アジアの建物を彷彿させられます。
当時の海外文化が日本の都へ伝わるルート、瀬戸内海に位置する寺院であれば当然かもしれません。
3日間だけの短い四国ツアーでしたので、寺社を訪問できた数はわずか。
▼最後のミーハー観光地は「瀬戸大橋」。
▼そして今回の四国旅、最後の「ぶっかけうどん」。
ショウガとレモンをアクセントに冷たい、歯ごたえのあるうどんを初夏の季節にいただくのはサイコーです。
やはり「秋刀魚は目黒」「うなぎは成田」「うどんは讃岐」で、間違いありません。