▼御朱印はスタンダードが3種類、限定が1つ案内されていました。
2017年では「行田八幡」と「大国主」それぞれの神社が1種類ずつでしたが、
今では4種類の御朱印をいただけるようになりました。
全部いただけば 税込 計2000円のお支払いです。
間違えました! 宗教法人の寺社に「税」は課せられません、免除です。
御朱印が一般的な商品なら、計2200円になります。
決して商品、物ではない御朱印ですが、オークションで
高くもない塀を乗り越えるヤカラにとっては「トランプの塀」より低いようです。
▼御朱印がいただける授与所は大勢の人が集まっています。
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御朱印巡りをしていると嫌でも多少地理に詳しくなります。
行田が埼玉県なのか、群馬、栃木なのか判然としなかったのは過去のことです。
今じゃ埼玉県北部、荒川の南にあることをしっかり理解しています。
しかし、秩父鉄道は「秩父」と「熊谷」を結ぶラインと勘違いしていました。
「熊谷」から東に「羽生」まで延びていました。
秩父本線は「羽生駅」から秩父の「三峰口」の総延長距離71.7kmになります。
また一つ、役に立たない知識のお勉強になりました。
▼神社前の道は「八幡通り」。交通量が多く落ち着きません。
▼2020年は、それほど広くない境内が参拝者で埋まっていました。
9月21日は敬老の日だからでしょうか、
どこにカメラをどこに向けても人が写り込むことになります。
▼2017年4月の日曜日は陽気も良いのに、それほどの参拝者は見当たりませんでした。
行田八幡神社は「封じの宮」とも呼ばれ、虫封じ、癌封じ、難病封じのご利益があるそうです。
「敬老の日」の混雑ぶりは、このご利益を求める参拝者が多かったのかも知れません。
「封じ」は元々は虫封じが中心だったのでしょう。
各地の神社に見るような癌封じ、ボケ封じなどの具体的な封じは、近年になってから付け加えられたものでしょう。
「癌」も「ボケ」も江戸時代以前は言葉さえなかったのですから・・。
▼2020年に戻ります。
▼手水舎の奥の境内にポツンと置かれたような姿の小さな社は「水神社」。
当然、水の神が祀られているのですが、他の神社でも境内社として度々見かけます。
農耕には水が不可欠、その収穫が左右され、生死に関わる対象でもあったでしょうから、昔から「田の神」と同様人々が篤く敬ってきたのでしょう。
▼社殿前の狛犬。
いつもながら、これらの細工を施す人たちの技に感嘆するばかりです。
▼神社の創建は不確かです。
しかし、この神社も例によって、源頼義・義家が奥州討伐のため、戦勝を祈願して勧請されたと伝えられています。
言い伝え通りとすれば平安時代末期の創祀となります。
▼主祭神は八幡神社ですので八幡神・誉田別尊(応神天皇)です。
人々の熱心な祈りは昔も今も変わりありません。
▼「瘡守稲荷社(かさもり)」に御朱印がいただける「目の神社」。
▼こちらも御朱印がいただける「大国主神社」と「恵比寿神社」。
▼それほど広くもない境内に社がいくつも建ちます。こちらは「三峰神社」。
どの境内社も神社名と祭神名の案内板が立ち、分かりやすく、ブログ記事にする者にとっても大変ありがたいことです。
案内板を一緒に撮影しておけば、後ほど境内社名に迷うことはありません。
▼しかし、ボケ写真となるとせっかくの案内板も読めません。
「封じの宮」はボケ写真封じには関与しないようです。
「なで桃」は神話に由来し「厄災を退治」してくれる象徴だそうです。
「押せば命の泉湧く」古いコマーシャルのキャッチフレーズを思い出します。
こちらは「なでれば・・・」で日本人が大好きな「ナデナデ モモ」です。
その「桃」がなぜ置かれているのか、神社との関係はわかりません。
▼神社は「戌亥八幡」とも呼ばれていたそうです。
「なでて!」とは書かれていませんが、ヒカッています。
やはり皆さん「ナデナデ」されるようです。
当行田八幡神社の御祭神・応神天皇さまは12月戌の月・14日亥の日に生まれ、百歳を超える長寿であったと伝えられることから、古くから当神社は「戌亥八幡」と称され、氏子崇敬者により戌亥講が組織されるなど、戌年・亥年生まれの一代の守護神として広く崇敬をあつめています。
「行田八幡神社」「西向き八幡」「戌亥八幡」「封じの宮」と
なんと別名の多い神社でしょう。
さらに境内社が8つあります。
山盛りの神社名に凡人の頭は大混乱です。
2020年の再訪は混雑していましたが、御朱印対応も含め、とっても好感の持てる神社でした。