▼正法寺 坂東三十三観音霊場 第十番札所「巌殿観音」重ね印の御朱印。
坂東三十三観音専用の朱印帳に最初に御朱印をいただいたのは2012年。
8年後の2020年の重ね印です。
▼御朱印は仁王門脇のこちらの「山門」をくぐります。
▼門の正面は地味な建物ですが、阿弥陀如来が祀られる正法寺「本堂」です。
▼さらに本堂の右隣に庫裏があり、ここが「納経所」となっています。
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▼「巌殿観音」へは、電車ですと東武線「高坂駅」から駅からバスで7分+徒歩18分になるようです。
決してアクセスの良い地域ではありません。
▼寺の裏手になる県道沿いにある物見山公園側に駐車場と裏参道があります。
▼このブラックホールに侵入すれば、観音堂のある高い位置の境内につながります。
▼本来は仁王門の前に真っ直ぐに延びるこの表参道を歩いてくるべきです。
江戸時代は門前町として栄えたこの参道を多くの巡礼者が歩んだのでしょう。
電柱・電線がなければ、おいずるに菅笠姿の巡礼者の姿が近寄ってくるイメージが湧きますが・・。
▼かろうじて当時の面影を残す仁王門前の宿屋です。
▼「仁王門」です。
▼山号の「巌殿山」と「施無畏」の額が掲げられています。
▼平成に解体修理され、同時に塗り替えられた仁王像は江戸時代の建立。
当初は運慶作と伝わる仁王像でしたが、江戸時代に焼失され再建されたものです。
▼仁王門の先は石段です。この先に天国はあるでしょうか?
丘陵地帯の端に建てられた寺なので本堂は里近くに、観音堂は山麓に位置します。
▼石段上から仁王門、参道を振り返るとその高低差が分かります。
▼石段の上は里とは違う山寺風の世界が広がっています。
天国とは言えませんが、この景観は季節ごとに違う素晴らしい眺めを提供してくれそうです。
▼左手に手水舎とその脇に立つ水子地蔵が巡礼者を迎えてくれます。
▼3人の子供たちも赤い帽子をかぶり、地蔵にまといつく姿が愛らしい。
▼手水舎から振り返ると中武蔵七十二薬師霊場の「薬師堂」が見えます。
薬師堂は後で参拝することにしましょう。
年月による腐食で獅子の表情はハッキリしません。でも素晴らしい熟度です。
▼観音堂は例に漏れず焼失と再建を繰り返し、現在の観音堂は明治期に別の寺から移築されたもので、江戸時代に造られたと推定されているそうです。
坂東三十三観音の各寺は、自ら歴史を感じさせてくれる素晴らしい建物が多くある中、ここ正法寺の観音堂が建つ景観は個人的にNo.1です。
▼扁額と複雑な組物、無数に貼られた千社札は見てて飽きません。
▼昭和初期の奉納額は神田、深川など東京の地名が読めます。
▼観音堂の隅で遠慮がちに静かに座っていらっしゃいます。
▼深いシワは歳月だけでなく、人々の苦悩を受け止めてできたものでしょう。
▼「算額堂」の背面は崖です。
▼岩崖の下に無数の石仏が並んでいました。
▼御朱印をいただくので薬師さまにも参拝です。
▼堂はオープンになっていました。薬師如来と十二神将、善光寺阿弥陀如来が賑やかに祀られていました。
▼その隣に建つ「地蔵堂」です。
▼鐘楼は、やはり江戸時代の建物で、銅鐘は鎌倉時代末期に創られたとか。
▼観音堂境内の左手にあった階段。
こちらが西方に続く「天国への階段」なのかもしれません。
な訳ないでしょうが!
Zeppelin 「Stairway to Heaven」!