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▼山梨県護国神社は有名な武田神社から直線距離で約500mと近い。
▼武田神社方面から車で向かう途中に石造りの大鳥居があります。
▼武田神社は参拝客で大にぎわいでしたが、ここは人っ子一人いません。
そして多くの護国神社に見られるように、余計なものが少ない境内の広さが、訪問客のいない寂しさを倍増させています。
春には桜の名所となるそうですが、訪問したのは木々が赤くなり始める11月。
神社の性格上「縁結び」や「金運」などのご利益は大々的には謳いません。
ひたすら「英霊に感謝」です。
したがって絵馬やおみくじを扱っている神社は少なく、観光的要素の見えない境内は、やはり普段は訪れる人が少ないのでしょう。
1社だけ参拝客の絶えない神社、東京の「靖國神社」は別格です。
山梨県護国神社を参拝した2013年当時は情けないことに、まだ、どの寺社を訪れても、ひたすら御朱印をいただく行為だけでした。
BLOGも始めてないので、寺社を理解することも少なく、写真なども数は撮っていません。
もったいないことに、愚かなことに「コンニチワ サヨナラ」状態の訪問でした。
ということで、この神社についての写真と記事はここまで。
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話を変えます。
▼緊急事態宣言とオリンピックの影響でしょうか本ブログのPV数が激減しています。
情けないことに、1日500pvを割る日も度々です。
しばらくはガマンが続くでしょうが、
しかし、こんな数値が激減したところで、世の中の他の方々の影響に比べれば「ヘ」みたいなものでしょう。
飲食関係や、観光業界への影響は、きっと我々の想像を絶するものがあるでしょう。
その中でも観光バス業界は悲惨かもしれません。
そもそもコロナ以前から企業の社員旅行などが敬遠傾向にあり、団体バス旅行そのものが減少傾向にあったはず。
そこへコロナがトドメをさして、バス利用の観光旅行は激減。
需要回復も見込めず廃業、倒産に追い込まれていて、なんとか経営を継続できている企業も6割が赤字だそうです。
まだ社員旅行などが普通にバス利用されていた時代の甲府方面への観光ルートは、
主に「恵林寺」→「武田神社」→「石和温泉」or「湯村温泉」泊 →「昇仙峡」という内容だったようです。
もちろん昼食は「ほうとう」。
そして山梨ですので、バスはルート途中に必ず「ワイナリー」か「宝石関連施設」へ立ち寄ります。
もちろんそういう施設に送客し、飲食と土産を買わせる事も目的でした。
甲府周辺には「ワイナリー」も数多いのですが、
「宝石関連観光施設」も、
昇仙峡・山梨県最大級の「水晶宝石博物館(昇仙峡クリスタルサウンド)」●入館無料
河口湖「山梨宝石博物館」●入館600円
鳴沢村「山梨宝飾市場」●入場無料
甲州天然石工房「彩石の蔵」●入場無料
石和「宝石庭園 信玄の里」●入場500円
などなどのように、その数は負けていません。
真面目な施設から、土産を買う観光客目当ての怪しげなものまで多種多様です。
▼その中のひとつ「宝石庭園 信玄の里」。
入場料500円ですが、バス旅行に組み込まれていたり、ホテル・宿のサービス券で入場する人も多いようです。
ここは比較的新しいのですが、
観光施設はその需要の変化とともに盛衰の激しい世界にあると思います。
20〜30年の間で総入れ替えになるような地域も見られます。
この施設もあまり見るべきところは無く、隣接する飲食・土産施設「響の里」と同様、観光バスから降りる人たちが主な客かもしれません。
宝石そのものが目的ならば、同じ並びにある「彩石の蔵」の方が見応えがあるかもしれません。
甲府の宝石業界の起源は、今から約1000年前、昇仙峡の奥地 金峰山で水晶の原石が発見されたことにより、甲府での水晶細工が盛んになっています。
現在では水晶は採掘禁止となっているそうですが、きっともう掘り尽くしてしまったのでしょう。
昇仙峡の奥地 金峰山には現在でも「水晶峠」「乙女鉱山」という名称は残っています。
そして、採掘権に関しては私たちが御朱印をいただく「金桜神社」が大きく関わっています。
長くなるので「金桜神社」についての話はやめましょう。
水晶の原石はもう採れなくなって輸入石に頼っているそうですが、
宝石産業は甲府の半独占産業でもあるそうで、水晶細工と印伝が経産省の伝統的工芸品に指定されています。
宝石研磨の技術は印鑑彫刻にも発展して「ハンコ屋」も多い甲府です。
昔は社印やゴム印などのセールスで、甲府から多くのハンコ屋さんが出張してきて東京の中小企業を相手に営業していたそうです。
その「ハンコ文化」も今や逆風、風前の灯火とも言えます。
印鑑彫刻も商売として大きく成り立たず「伝統的工芸」として残るのみという事にもなりかねません。
それでも掛け声だけで日本の「紙」と「ハンコ」が少なくなるには、まだまだ多くの時間が必要でしょう。
ここまでの「宝石庭園」の写真は2016年の撮影です。
本ブログはあまり感動のなかった施設でしたが、
バス事業などと同じように経営に苦しむ観光業界の一画でしょう。
観光需要がいち早くコロナ前に近い状態になることを願うばかりですが、未だ出口が見えない2021年の夏です。
▼各地の護国神社記事。