▼埼玉県護国神社の御朱印です。(埼玉県さいたま市大宮区高鼻町3-149)
2014年から2021年に御朱印の基本は変わっていませんが、神門と神社印の大小のバランスが逆転していました。
さらに小さな社務所印がなくなっています。
中央上の桜をモチーフにした印は一応「神紋」または「社紋」でしょう。
▼ちょっとオモチャっぽい赤いポストが置かれていました。神社の郵便受けです。
観光名所などで、そこから絵葉書などを投函できるポストが置かれていたりします。
一見、そんな感じがしましたが、それとは違い郵便受けでした。
それにしても可愛くも、チープな、紛らわしい郵便受けです。
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▼大宮公園内の北にある「舟遊池」。
明治に「氷川公園」として誕生した園内には、東側にサッカーグランド、競輪場、野球グランド、小動物園があり、南には氷川神社が鎮座して週末は大変な人出となります。
▼しかし、護国神社が鎮座する公園の西端に足を踏み入れる人は少ないようです。
濃い緑が広がる森は静かさも広がっています。
▼公園の森に立つ「一ノ鳥居」をくぐり、参道を進むと石灯篭と2つ目の社号標です。
▼「ニノ鳥居」の手前は氷川神社の「裏参道通り」が横断しています。
▼道路が横断しているせいで護国神社の境内は、なんとなく狭く感じられます。
「一ノ鳥居」はもっと手前の森の中にあるので、当然そこも神社の敷地ということでしょうが、
公園と神社の明確な境界は築いていないのでしょう。
それにしても、どこの護国神社を参拝しても、だだっ広い境内に慣れていますが、
ここは少し様相が異なります。
そうは言っても、人気のない護国神社としての共通性は持っています。
▼「手水舎」は水盤の上に社が組まれている珍しいカタチでした。
神社は1934年に「埼玉県招魂社」としてスタートし、その後「埼玉県護国神社」、「埼霊神社」と名称を変え、再び「埼玉県護国神社」の名称に戻されています。
由緒書きによると
「鳥羽伏見の役以後の国事に殉ぜられた、埼玉県の英霊」が、51,180柱祀られているそうです。
『戦争を知らない子供たち』は、その平和と幸福に感謝すべきかもしれません。黙祷!
▼神明造の社殿の鰹木にも桜の神紋が嵌め込まれています。
▼「大東亜戦争戦没地域図」は埼玉県出身の戦没者が、北はソ連・モンゴル、南はニューギニア・ソロモン方面まで広がっていることを示しています。
▼太平洋戦争関連の像などが並びます。
▼その意図は全く異なるでしょうが、韓国が世界中に設置している「従軍慰安婦像」を思い起こさせられました。
敗戦後76年になります。『戦争を知らない子供たち』どころか、
「ミレニアム世代」「Z世代」が主役になりつつあるこの国ですが、
世代は移り変わっても「忘れてはいけない」「記憶すべき」過去の過ちです。
過ちは一人一人の個人にあったのではなく「国」、そして「国民」にありました。
しかし、一人一人の個人が纏められると「国民」になります。
戦争ゲームや殺人ゲームに夢中になる世代にも、ゲームではなく、現実の犠牲となった人々の上に現在があることは、しっかり理解しなければならないことでしょう。
300mも離れていない氷川神社のように「ご利益」「パワースポット」というような商業的な言葉も掲げず、
参拝者の数も比較にならない神社に祀られてる英霊たちは、
「さびしさ」を感じるよりも「それで良い」のですよ!と、言っているようでした。
1秒も争いの絶えたことのない地球上で、75年という一時の平和を保っているこの国の民の「シアワセ」は永遠ではないものの、できる限り「先延ばし」にしてほしいものです。
2度と同じ繰り返しをしない人間であるべきですが・・・!
神社を後にします。
各県の護国神社を出るときは、その時々に様々な思いとザワメキを抱かさられるものです。
神社のトビラはいつも開いているから・・。