八雲氷川神社の御朱印
「やぐも ひかわ じんじゃ」主祭神:素盞鳴尊(東京都目黒区八雲2-4-16)
中央の印は「氷川大神御霊」でしょう。
「ひかわ おおかみ の みたま」とでも読むのでしょうか?
▼御朱印は社殿右横の授与所でいただきました。声をかければ人がいそうですが・・・
▼神社名がプリントされた書置きが用意されていたので、声かけはしませんでした。
丁寧な挨拶と案内文が添えられていましたが、東京では半数以上の神社が書置きのように感じられるのは寂しい限りです。
当社鎮座地の住所は「八雲」。
神社名が先で、地名は後からつけられたのでしょう。
その「八雲」は、当社の祭神 素盞鳴尊(須佐之男命)が詠んだとされる最古の歌
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」に因んでいます。
住宅が犇めくように建ち並ぶ目黒区の街に驚くほど深い森が残されていました。
▼その森の手前の道路で愛車の手入れをされている方がいらっしゃいました。
「ジャマなので移動してください」とは、言いたくても言えません。
▼一ノ鳥居の撮影は少し角度を取れば、車もジャマにはなりません。
どうぞ、ごゆるりとお手入れください!
▼鳥居をくぐると左に地蔵堂らしき祠。
江戸時代までは別当を務めていた金蔵院が当社の西にあり、その習合時代の名残でしょうが、地蔵像はかなり傷んでいるかのように見えました。
▼すぐにニノ鳥居が建ちますが、木々に覆われた参道は長〜〜く続きます。
あまりに長いのは別にして、真っ直ぐに長く延びる参道を持つ神社は訪問時の醍醐味でもあります。
▼参道途中に神橋らしき姿が見られ、かつては流れが存在していたのでしょう。
▼この場所が目黒区内とは思えず、振り返り何度もシャッターを押させます。
11月下旬の訪問でしたが境内の木々はこの先さらに色を深めていくことでしょう。
季節を選べば、この参道は23区内でもトップランクの美しさかもしれません。
▼一ノ鳥居から150〜160mくらい進むと三ノ鳥居です。
▼当社創建年は不詳ながら1817年の奉納記載などがある旨の教育委員会による説明板。
また昔から「癪封じの神」としても信仰され遠くからの参詣人で栄えたそうです。
癪とは胆石や胃など胸、腹の不調による痛みの総称です。
教育委員会ではなく、社伝によれば707年の創建とされています。
▼戦没者記念碑はどこの神社でも大きな石でできています。
▼そして神社に消防はツキモノ。
▼長い参道を抜け、数段の石段と玉垣を超えれば神域。
▼やはり目黒区内とは思えず、どこかの田舎の神社に来たような佇まい。
▼右手に「手水舎」です。
▼ここ数年、おなじみの清めスタイルです。
▼古そうな水盤は四隅で力士像が支えています。
▼社殿前の一対の狛犬は表情豊かです。
大正時代の造立は双方とも子獅子を抱えています。
▼拝殿をはじめとする社殿は江戸時代に再建されたものが改修を加え現存。
▼「氷川宮」の扁額。祭神の素盞鳴尊、櫛稲田姫命、大国主命にご挨拶。
▼江戸時代に造られた社殿らしく装飾彫刻が見事。
▼木鼻たちも高齢をいとわず現役で活躍しています。
▼「奥宮←」への案内板がありました。
▼社殿と社務所を結ぶ渡り廊下をかがんで潜ります。
▼左に本殿の様子が伺えました。
▼石段と鳥居が待ち構えています。
▼文字通りの境内奥に鎮座する「奥宮」です。
▼ここにも古そうな水盤。
▼狛犬は江戸時代末期の造立。
現代型では見られない優しげな表情をしています。
▼放火により焼失した社殿は昭和の再建。
▼倉稲魂命、足名槌命、手名槌命が祀られています。
足名槌命、手名槌命は長野諏訪の足長神社、手長神社で祀られている足摩乳命、手摩乳命と同じ神でしょう。
倉稲魂命を祀る稲荷社でもあるので神狐たちも狛犬の奥で出迎えてくれます。
▼奥宮の隣に庚申塔が並びます。
かつては地域の人々が熱心に様々な神仏に手を合わせていた証です。
▼昔は「癪封じ」の神様として信仰された時期に大きな役目を果たしていた神木「赤樫」の株が残されています。
赤樫の皮を煎じて飲むと癪封じに効くといわれ、参拝者によりその皮が剥がされ、そのために木は枯れて、根本のみになってしまったそうです。
▼秋の例大祭では両手に剣を持ち、テンポ良く舞う「剣の舞」が奉納される神楽殿。
▼神楽殿と連結された「額殿」。
数多くの奉納絵馬や奉納額を間近で見ることができました。
「剣」を描いた額や「大願成就」の文字が書かれたものもあります。
人々の真剣な信仰の篤さを物語っていました。
事前知識なく訪れたとしても、
清々しく雰囲気の良い静かな境内のあちらこちらで神社の歴史にも触れられ、
誰しも訪問して「良かった」と感じる氷川神社でしょう。