仙波日枝神社の御朱印
「せんば ひえ じんじゃ」主祭神:大山咋神(埼玉県川越市小仙波町1-4-1)
日付のない書置き御朱印でしたので、セルフで入れました。
昨今のブーム以後、このように通常は無人の神社でも書置き御朱印が用意されているのは喜ばしく思います。
川越駅から直接歩くと20分以上かかります。
川越の社寺は車で訪問しても殆どが駐車スペースを見つけられます。
本ブログは京都、鎌倉、川越などの社寺が集中する街では殆どが徒歩訪問です。
▼各街までのアプローチは車利用ですので、今回の川越訪問はここに駐車しました。
▼「あぐれっしゅ川越」は、JAいるま野が経営する直売所ですが、道の駅的機能を備えています。
川越中心街のはずれにあるここから川越市内を歩き回って寺社巡りをすると、かなりの歩数を歩くことになります。
この日は約20,000歩。驚くほどの歩数ではありません。
▼「あぐれっしゅ川越」には川越産以外に、JAやまなしのフルーツなども置いてありました。シャインマスカットは税込価格もShine!
▼昨今、野菜の高騰も続いているので高からず、安からずの価格。
でも東京のスーパーの野菜・フルーツより間違いなく新鮮で量も多少多めでしょう。
▼「あぐれっしゅ川越」からここまで歩いて15分ほど。「喜多院」山門前です。
▼社号標は「国寶 日枝神社」と書かれています。
現在は国指定の重要文化財に指定されていますが、以前は国宝だったのでしょうか?
当社は元は喜多院境内にあったものが、大正時代にここ前方後円墳の仙波古墳群を開削して移転されました。
860年、慈覚大師 円仁が喜多院を創建のおりに鎮守として坂本日吉大社を勧請したものであると伝わります。
驚くことに、東京赤坂の日枝神社は1478年、道灌が江戸城築城の際にこの川越日枝神社から分祀したものであるとされています。
赤坂日枝神社の実家、本家ということですが、現在の分家は大きすぎて本家とは比較になりません。
川越の他の神社とも違い参拝人の姿もなく見かけられません。
▼手水舎は鳥居手前の道路沿いにあります。まずは清めましょう。
重文に指定されたのは1946年。室町時代後期(1467年-1572年)建立の三間社流造、銅板葺の本殿 と、詳しく案内されていました。
▼拝殿は以前訪問の時とは違って新しくなっていました。近年再建されたのでしょう。
▼輝く飾り金具を備えた扉は固く閉ざされていました。
▼拝殿背後から朱色の瑞垣がグルッと本殿を囲んでいます。
▼重文の本殿を垣間見る隙間がなかなか見つかりません。
▼やっと見つけたられたのは本殿前の様子だけ。
▼右往左往してまさに垣間見た本殿。神社外観からは想像できない華やかな様子です。
▼記念碑後方の小高い部分ははおそらく開削された前方後円墳の名残りでしょう。
時の鐘や菓子屋横丁とは一味も二味も違う川越の魅力の一つでもある神社でした。
喜多院を訪れる機会がありましたら是非こちらへも参拝ください。