町田大蔵 春日神社の御朱印
「かすが じんじゃ」主祭神:天児屋根命・比売神(東京都町田市大蔵町2822)
▼春日神社「弁天堂龍女神之図」
いただいた御朱印とは朱色と墨色が逆になったものですが
宮司さんから「絵ハガキなどとしてご利用ください」と渡されました。
▼〈書置き〉と案内されていましたが、作業の手を止めて直筆いただきました。
▼御朱印は境内右手の授与所でいただきました。
▼最寄りは「鶴川駅」になりますが2km以上あります。バスが運行されています。
あまり馴染みのない地域ですが、
「大蔵町」の地名由来は、東夷征伐の準備のために近郷の貢米を保管するための蔵を設けたので、大蔵の郷と呼ばれるようになり、後に村名なったとも伝わる説があり、単に大きな蔵があったためとも言われています。
▼神社入口右手に駐車場があり、そこからの神社全体の眺めです。
▼少し戻って正面参道から参拝です。
参道脇の大木はケヤキでしょうか? ここまで太くなるには相当な時間が必要です。
▼両部鳥居を抜けると石造りの「ニノ鳥居」。
▼額の文字は読み取れません。おそらく「春日神社」。
▼「春日灯篭」がアクセントになって美しいバランスで社殿が控えています。
「春日灯篭」という名称は、情けないことに最近知りました。
灯篭は火袋の大きさや屋根の素材などによって異なりますが、1基15〜30万円ほどするそうです。
ほとんどの灯篭が氏子によって奉納されるのでしょうが、
▼古そうな狛犬もアングリ口を開けるような金額です。
▼のっけから灯篭の価格という下世話な心模様を手水舎で清めます。
神社を綺麗に維持していくには、常に植木屋さん的作業や土木的な作業などもこなさなくてはなりません。
専門職を雇えない小さな寺社は大変なご苦労があることでしょう、などといつも感じることです。
▼石段上に一対の「随神像」が祭神を守っています。
▼石像の随神像は他でもそれほど多く見かけないでしょう。
随神門内で色鮮やかな像は記憶に多いものですが、素朴な石造りも悪くありません。
▼社殿は昭和初期の再建。
当社に保存されている棟札には、1707年に奈良春日大社から分霊を勧請し社殿を造営とあるそうですが、創建は詳らかではないようです。
しかし、当社近隣の発掘調査によれば奈良、平安時代の集落遺跡が見つかり、
土器や鎌などの鉄製品なども出土されているところから、この地域が古くから信仰の地であったことが予想されるそうです。
社殿の龍の透かし彫り物や木鼻の獅子像は木造ならではのものでしょう。
コンクリート製の社殿では木鼻が施されていたとしても、ここまで精巧な創りはできないでしょう。
また現代では彫刻できる職人も多くはないことも予想できます。
▼社殿脇に細かい文字が夥しい奉納額の内容は読み取れず分かりません。
▼本殿です。
▼社殿前から参道、鳥居。
▼社殿周辺を時計回りに見ていきます。
「稲荷社」は鳥居も社殿も塗りが新しく綺麗ですが、元は江戸時代後期に氏子により祀られたものが、のちに境内に移されたそうです。
▼社殿左手裏の神域は祠が三つ。
このような場所は通常、妖しげな雰囲気が漂うものですが、その空気感は少な目。
▼狛犬が守る石の祠もあります。
▼それほど古いものではなさそうです。
▼明治十五年の文字と「●塚社」の文字は欠けていて分かりません。
▼御朱印をいただいた「龍女神」を祀る「弁天堂」。
弁天堂内社殿からは「不忍池辨天堂」の絵、賽銭箱には「江島神社」の神紋、さらに「厳島神社」と書かれた看板などが見つけられ、
この地域で弁天信仰が盛んだったことが伺われるそうです。
▼極小ですが池と神橋も設けられています。
近年まではこの辺りで湧水があったそうです。
▼堂内社殿の龍の彫り物。奥の扉はしっかり鍵がかけられていました。
「龍女神」は扉の奥にいらっしゃるのでしょう。
▼どなたかの歌「紅梅の 咲き向かひけり 古稀の●」最後の一文字が読めません。
▼作業の手を止めて御朱印対応いただいた神職さんは、再び何かを植える作業に。
後日、当社の「FB」を覗いたら、植えられていたのは奉納いただいた「ギボウシ」という植物だったようです。
季節になって綺麗な花が咲くことを願っています。