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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

梅田神明宮の御朱印(東京・足立区)〜「とほかみ えみため」神につながる言霊?

梅田神明宮御朱印

うめだ しんめいぐう主祭神:天照皇大神(東京都足立区梅田6-19-4)

 

梅田神明宮御朱印です。(2023年)

とほかみ ゑみため」という添書きがありました。

古くから使われている祝詞の一つで、その意味、解釈はいろいろあるそうですが初耳で、神道の深い部分に入っていくとさっぱり分かりません。

御朱印の見た目の魅力から神仏を理解し始めた者にとっては、浅薄な上っ面は理解できても、その深さ広さを知るたびにハードルが上がるばかりです。

 

御朱印は鳥居をくぐり右手奥の社務所でいただきました。

少し雑然とした感じの社務所入り口です。

玄関ガラス戸には「丸に井の字」。

神紋というより家紋でしょう。

井伊氏の家紋として知られていますが、名字の一部に「井」の字を含む多くの家も家紋として使用されています。

 

東武線「梅島駅」から徒歩10分ほどで神社に到着です。

神社鎮座地の住所は「梅田」。

地名としては全国的には大阪の「梅田」が知られていますが、足立区梅田も大阪の梅田同様、もとは低湿地帯の地域を埋め立て田にしたことから「埋田」と呼ばれ、その後「梅田」に転じたそうです。

 

▼神社に近づくと「神明宮通り」の案内が見掛けられます。

日光街道から延びる神社前のレンガタイル貼りの道路が「神明宮通り」と名付けられています。

▼車の場合は鳥居左手に神社の駐車場があります。

▼神社の周囲は密集した住宅街ですが、駐車場は広々としています。

▼住宅街の中にいきなり静かな緑の森、周囲とは違う異空間が現れました。

▼一礼して鳥居をくぐった先の大きな石碑の文字は、風化して一文字も読めません。

▼3月5日、まだ梅の花が咲き残っています。

▼簡素な造りの手水舎。

▼しかし柄杓が用意され、盤面には水がたっぷり注がれ溢れ出ています。

水盤には「文化十二年」の文字があったので約200年前ということになります。

 

▼参道は木々が鬱蒼と覆いかぶさり、正面に社殿が顔を覗かせています。

▼参道途中で振り返ればベンチなども用意されていました。

▼梅田神明宮の創建は1762年。現在の社殿は明治期再建のもの。

当初は地主神が祀られていたところ、江戸の大火で「芝神明宮」の避難先として「神明社」が建立されたとも伝わります。

のちの1840年天保年間)に井上正鐵という人物が神主に就任し「息の行法を以て神道の極意を伝えた禊教発祥の霊場」とされています。

井上正鐵」は霊神として相殿に祀られています。

▼さらに正鐵に纏わる人々の御霊を合祀した末社井上神社」が社殿右手に。

▼石積みの基壇が素朴な雰囲気を感じさせられます。

正鐵の教えは大名から庶民まで幅広い階層に広がり、その教えの広がりを恐れた幕府は井上を投獄し、その後も寺社奉行により勤皇・倒幕思想の邪教とされ三宅島に遠島。

井上は三宅島でも布教や医療活動を行なっていましたが、梅田神明宮に帰ることなく、流罪人として送られた三宅島で生涯を閉じています。1849年、井上60歳の時と伝わります。

▼社殿奥に禊教教祖井上の旧宅が現存。

しかしフェンスで隔てられ、ここから奥には進めませんでした。

途中で手を加えられた旧宅でしょうが、現在は荒れ気味。

教祖の生活が少しだけ垣間見える、まさに垣根ごしの旧宅です。

明治に入ってから、既に他界していた井上は赦免となり禊教はその後もさまざまな経緯をたどり現在に引き継がれているようです。

井上のことも「とほかみ えみため」という言葉も梅田神明宮を訪問して初めて知ったのですが・・・

いただいた御朱印を確認しながら、天をつくように聳える楠の御神木を見上げていると、よく分からないものの「とほかみ えみため」と呟いていました。

 

前回UPした記事は4/10付。

50日間のブランクでした。

本ブログが体調を崩したわけでも、2017年に始めたBLOGを止めようとしている訳ではありません。

BLOG記事を書くより先にやるべき事があっただけです。

その環境はひとまず落ち着いているので、以前のようなUPペースに戻れればと思っています。

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