用賀神社の御朱印
「ようが じんじゃ」主祭神:天照大神(東京都世田谷区用賀2-16-26)
▼用賀神社の御朱印です。
右下のスタンプのイチョウの葉は分かりますが、その下は何でしょう?
コウモリのような、ロールシャッハテストのような図案です。
▼御朱印はこちらの「参集殿」と書かれた建物でいただきました。
▼授与所は参集殿の右手奥に窓口を開いています。
▼本務社の等々力でも御朱印をいただけるそうです。
▼当社へは田園都市線「用賀駅」から約300mです。
神社は路地に鎮座しますが、境内に向かって左側(北側)の道路に車で入れば境内に止められる入口が見つけられます。
邪魔にならないスペースに、参拝時間内の駐車ならばお咎めはないはずです。
▼神社境内に入る左側にはこんな案内がありますので、間違っても駐車しないように。
もっとも、10万円にしても、100万円にしても「申し受けます」だけで、払う義務が生じるかは別問題です。
ハイッ「不正駐車」はいけません。
▼傾斜地に鎮座する当社は「一ノ鳥居」手前から神社境内裏手に向かって高台になっています。
石段の先にすぐ「ニノ鳥居」が建ちます。
▼大小二つの「社号標」が仲良く並んでいます。小さい方はずいぶん可愛らしい。
▼左手にもう一つ鳥居が建ちます。こちらからは境内に入れないようになっています。
「用賀」は東京人には耳慣れた地域名ですが、よくよく考えてみると奇妙な名称です。
江戸時代の「用賀村」は大山街道の宿場町で、用賀神社の別当寺であった「真福寺」の門前町としても栄えたそうです。
その寺、真福寺は鎌倉時代に創建され、真言宗の「瑜伽(ゆが)」の道場が開設されたことが地名の由来とする説もあります。
つまり、瑜伽(ゆが)→ ヨガ → ヨーガ → 用賀ということです。
一説ですので他の由来、解釈もあるようです。
▼手水舎には水がしっかり流され柄杓も用意されていました。
気持ちよく清めができます。
▼神明造の社殿は比較的新しく昭和の造営です。
▼社殿前の狛犬も古さは感じられません。
▼同じく社殿前に三柱の祭神を記した石碑が建ちます。
当社の以前の名称は「神明社」。
創建年は不詳ですが、鎌倉鶴岡八幡宮か分霊された八幡神は天正年間に祀られていますので安土桃山時代にはすでに神社があったことになります。
明治期に村内の各社が合祀され地名を用いて「用賀神社」改称されています。
▼堅魚木の木口が、天照大神が降臨されたかのように光輝いていました。
▼美しくもガッシリとした印象の総檜造りの社殿。
▼本殿側の裏山の森には回り込めません。
▼拝殿前から見た「神楽殿」。
▼境内には梅や松など様々な木のなかに桜もあります。
▼境内左手奥にある稲荷社は「幸福稲荷神社」と案内されています。
▼整備されて塗りが新しいのか朱色が眩しい。
元は単に稲荷神社でしょうが、人々の関心が高まるように「幸福」を冠したのでしょう。あるいは別の「幸福稲荷神社」から勧請されたものかもしれません。
港区に鎮座の「幸稲荷神社」を思い起こされますが関連ありません!
▼神狐は金網の奥でウインクしてるようなアングルになりました。
▼奉納物でしょうか? 神社にはどんな動物も似合うかもしれません。
▼右奥に頑丈に鎖で繋がれた小さな祠。どこもオープンな神社は治安が気がかりです。
▼大きな松の木の根元近くに拳大のコブは、願いが叶う「一福の松」と名付けられていました。
木々は人面やハート型、キツネの姿など時々珍しい造形をします。
コブはデリケートな存在ですから長く生き永らえてくれるとイイですね。
用賀神社が「一福の松」でもっと人気が上がるかもしれません?
春のいっときをとても気持ちよく過ごせた用賀神社でした。